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内田樹さんの「『沈黙する知性』韓国語版序文」 ☆ あさもりのりひこ No.915

「コモン」というのはかつて英国にあった「共有地・公有地」のことです。村の人たちが森や草原や湖沼を共同で所有し、共同で管理する。村人たちは、「コモン」で自由に鳥や魚を獲ったり、果物やキノコを摘んだり、家畜を放牧したりします。でも、そういうことができるためには、「私たちの村」という共同体にしっかりしたリアリティがなければいけません。

 

 

2020年8月26日の内田樹さんの論考「『沈黙する知性』韓国語版序文」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

平川君とのラジオでの対談を収録した『沈黙する知性』の韓国語版が出ることになった。対談本の翻訳ははじめてである。僕の本は30冊ほどが韓国語訳されているけれど、平川君の本もこれで7冊目になるはずである。どうして平川君や僕の本が韓国で読まれるのか・・・考えてもよくわからない(『街場の日韓論』で一応の仮説を立ててみたけれど、自分でも納得できているわけではない)。

 もしかすると「あまり多くの人に同意してもらえそうもない変な所見を、教条主義的ではない言葉づかいで述べる」という作法が韓国ではちょっと珍しいのかも知れない(かの地では「きっぱり断言する」ということが知的・倫理的なインテグリティの徴であるようなところがあるから、政治や経済や人事について「もぞもぞ語る」という人はあまりいないのかもしれない。よう知らんけど)。

 ともかく、そういうわけで韓国語版序文も「もぞもぞ」している。

 

 みなさん、こんにちは。内田樹です。

 これは平川克美君との対談本です。

 平川君は僕の小学生時代からの友人です。知り合って60年近くになります。大学生の頃はいっしょに同人誌を出していました。そのあと、平川君が起業した翻訳会社に僕も加わって、20代の終わり頃は一緒にビジネスをやってました。その後僕の方は大学院の博士課程に進学したことを機に会社は辞めてしまったんですけれど、友人としての付き合いはずっと今日まで続いています。

 平川君は80年代90年代にはヨーロッパやアメリカでビジネスを展開したり、若い起業家たちを支援するインキュベーション・ビジネスをしたり、国内外で大活躍していましたけれど、ある時期からふっとそういうビジネスから手を引いて、株式会社論や、経営論の歴史的意味を深く掘り下げたり、詩的なエッセイを書いたりする内省的な物書きになり、大学でも教えるようになりました。

 僕が大学のフランス語教師で、彼がグローバルなビジネスマンだった時期は活動領域がずいぶん離れていたんですけれど、ふたりとも50歳を超えるころから気が付いたら「同業者」になっていたのでした。それから往復書簡本を出したり、対談本を出したり、僕が編者になったアンソロジーに寄稿してもらったり、彼が編者の媒体に僕が寄稿したり・・・とさまざまなコラボレーションをしてきました。

 とにかく小学生の頃から60年近く、ずっと仲良くしてきて、さまざまな仕事を一緒にやってきましたが、一度も意見が対立したことがなく、一度も言い争いをしたことさえないという、まことに稀な関係です。

 僕たちがずっと仲良くしてこられた理由は「原則として相手が言うことを否定しない」という暗黙のルールを守ってきたからだと思います。

 相手が予想もしない「変な話」をしてきた場合でも、とりあえず話を遮らないで最後まで聴く。意味がよくわからないときはいくつか質問をしたりはしますけれど、いずれにせよ、「何を言っているかよくわからないこと」はとりあえず棚上げして、「コモン(共有地)」に置いておく。

 この「相手の話でよく理解できないことは、暫定的にコモンに置いておく」というルールを採用したことが、僕たちが久しく仲良くしてこれた理由ではないかと思います。

「コモン」というのはかつて英国にあった「共有地・公有地」のことです。村の人たちが森や草原や湖沼を共同で所有し、共同で管理する。村人たちは、「コモン」で自由に鳥や魚を獲ったり、果物やキノコを摘んだり、家畜を放牧したりします。でも、そういうことができるためには、「私たちの村」という共同体にしっかりしたリアリティがなければいけません。

「私たちの村」という確固とした共同体を維持するために、村人たちは儀礼や祭祀を守り、食文化を伝え、固有の言語や習俗を保持しました。

 

「コモン」というのは、単なる「みんなが使える共有財産」ということにはとどまりません。「みんなが使える共有財産」を維持管理するためには、安定した村落共同体が存在しなければなりません。「コモン」が存在したのは、共有財産をみんなで共同的に管理運営する活動を通じて、村落共同体そのものを基礎づけることにありました。「私たち」という一人称複数形に実体を与えるために、「コモン」は存在した(残念ながら、そのあと「囲い込み(enclosure)」によって「コモン」は私有地に分割されて消滅し、同時に英国の村落共同体も崩壊してしまったのでした)。

 

 僕と平川君は、相手が言っていることで「よくわからないこと」は「コモン」として共有するということをずっとしてきたように思います。ですから、ときどき「コモン」を一瞥すると、そこには「前に平川君が言ったことで、そのときには僕によくわからなかったこと」が転がっている。そういう「片づかないもの」をぼんやり眺めているうちに、「ああ、そうか、なるほど。そういうことが言いたかったんだ」と腑に落ちたりする。そして、「そういうことか」と僕にも分かったことは、「コモン」から僕の知的アーカイブに移送されて、「僕の考え」というタグが付けられる。もともとは平川君の考えなんですけれど、「コモン」に転がしているうちに、なんだか「もともと僕の考え」だったような気になるから、それでいいんです。

 だから、最初に平川君が言ったことを「僕の考え」として発表してしまうということがよくあります(前にホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』を読んで、たいへん面白かったので、「平川君、読んだことある?」と訊いたら、「それはオレが内田に薦めた本だよ」と呆れられたことがあります)。たぶん、その逆のケースもあるんだと思います。

 

 僕たちが仲良くしてこれたのは、「いま、ここで、100%の」相互理解を追求しなかったことが与って大きいと思います。「何言ってるかわからないけど、そのうち、わかるんじゃないの(わからないかも知れないけど、それはそれ)」という「ゆるい」合意のうちに僕たちは踏み止まってきました。

 ですから、お読みいただくとわかりますけれど、この対談では、一方がある「テーゼ」を立てて、二人でその当否について議論する・・・ということはほとんどありません。一方がある「テーゼ」を立てると、それを聞いた方が「ふうん、そうか。ところで、いま君の話を聴いて、思ったんだけれど・・・」というふうに、話がよそに転がってゆく。それを聴いた方が「ふうん、そうか。ところで、いま君の話を聴いて、思ったんだけれど・・・」とさらに話を転がしてゆく。

 気の合う同士のテニスのラリーのように、話がぽんぽんとコートの中を行き交う・・・というのとは違うんです。テニスの場合はコートの外にボールは出ませんけれど、僕たちの対話では、ボールがすぐに「コート外」に転がり出てしまうから。でも、レシーブする方もそんなこと気にしないで、あらぬ彼方へボールを打ち返す。そうやって、二人でラリーを続けながら、コートを出て、丘を越え、川を越え、谷を越え、どんどん遠くへ行く。そうやって、話がスタートしたところとはぜんぜん違う景色のところまで来て、「なんか疲れたから、今日はこのへんで」とお別れする。

 

 話している方がそういう「ゆるい」ルールでやってますので、読者のみなさんも、「ゆるく」読んでくださったらうれしいです。適当な頁をぱらりと開いて、何頁か読んで、適当に止めて、ご飯食べたり、別の本を読んだり、仕事をしたりして、そのうちまた気が向いたら、ワイン片手に適当な頁をぱらりと開いて・・・という読み方をしてくださったらいいなと思います。ぜひ、そうしてください。