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内田樹さんの「安倍政権を総括する」 ☆ あさもりのりひこ No.932

私たちが畏れ、顔色を窺い、その内心を忖度するのは、あいまいな根拠に基づいて、首尾一貫性のない政策を、法律を無視して実行する政治指導者である。

 

 

2020年10月1日の内田樹さんの論考「安倍政権を総括する」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

辞任後に『週刊金曜日』に寄稿したもの。

 

 政権の功罪について、私から指摘したいのは一つだけにしておく。それは「道徳的インテグリティ(廉直、誠実、高潔)」の欠如ということである。

 政治指導者は道徳的なインテグリティを具えているべきだと私は思っている。少なくとも、そのような人間であると国民に信じ込ませる努力をするべきだと思っている。安倍政権の最大の特徴は、このような努力をまったくしなかったことである。

 それどころか、権力者であるということは、道徳的な規範に従う必要がないということだという「新しい判断」をメディアを通じて全国民に刷り込んだ。私はこれが安倍政権のもたらした最大の災禍だったと思う。

 私たちは今はもう政治家であれ、官僚であれ、財界人であれ、指導者たちが「国民全体の福利」をめざして行動しているということを信じていない。彼らは自分の仲間、手下、支持者、縁故者、そしてもちろん自分自身の利益のためにその権力を活発に行使するが、全体の利益のためには行使する気がない。そのことを私たちはもう受け入れている。

「権力を自己利益のために使うことができるということが、『権力を持っている』ということである」というシニカルな同語反復を人々は「リアリズム」と呼んでいる。

 たしかにこの信憑は真実の一端を衝いてはいる。というのは、どれほど権力があっても、合理的な根拠に基づいて、適法的に判断を下す政治指導者は国民からは畏れられないからである。そのような指導者は尊敬され、信頼されることはあっても、恐怖の対象にはならない。私たちが畏れ、顔色を窺い、その内心を忖度するのは、あいまいな根拠に基づいて、首尾一貫性のない政策を、法律を無視して実行する政治指導者である。合理性も首尾一貫性も適法性も意に介さない態度を私たちは「強さ」と解釈する。

 安倍晋三は政治指導者に道徳的なインテグリティを求めてはいけないと国民に繰り返し教え込んだ。それは別に安倍が個人的属性としてきわだって邪悪な人間だったからではない。「権力者が畏怖されるためには道徳的インテグリティはむしろ邪魔になる」ということを彼がどこかで学んだからである。つねに正直であることよりは嘘を織り交ぜることの方が、つねに論理的であるよりはしばしば没論理的であることの方が、次の行動が予見可能である人間であるよりは何を考えているかわからない人間であることの方が、権力基盤は安定するという経験知を彼はどこかで身に着けた。

「勝ったものは正しかったから勝ったのだ。多数を制した党派は真理を語ったので多数を制したのだ」という現実肯定のことを現代人はいま気の利いた世間知だと思い込んでいる。実際に私が国政について発言をすると「じゃあ、あなた自身が国会議員に立候補して、自分で国政に関与すればいいじゃないか。それができないなら黙っていろ」というタイプの「批判」が来る。

「権力批判は自分自身が権力者になってからしろ」というのは言い換えると「現在のシステムを肯定して、そのルールに従ってキャリア形成を遂げて、システムに完全に適応するまでシステム批判をしてはならない」ということである。「現状批判したければ現状肯定しろ」という悪魔的なロジックを彼らは弄んでいるわけだけれど、それがでたらめであるということにいまの日本の若者たちはもう気づいていない。

 私の友人のYoutuberがあるYoutuberを批判したら、「そういうことは再生回数が同じになってから言え」という「批判」があったそうである。ビジネスマンについて批判しても「そういうことは同じくらい稼いでから言え」という「批判」が来る。それが人を黙らせる切れ味の良い利器だということをみんな知っているのである。

 いま日本社会に瀰漫しているのは、この「権力者を批判する権利は権力者にしかない」という思考停止である。そして、安倍政権はまさにこの国民的なスケールでの思考停止を達成したことによってその「一強」体制を築いたのである。

 それはこの7年8カ月の間に「現実的対案を出せない野党には存在理由がない」という言い方を野党政治家自身が気弱に口にするようになったことからも知れる。与党と同じようなロジックに従い、同じような語彙を駆使して、同じような政治的効果をめざす政治勢力だけが「現実的」であるというのは、ただの事大主義である。「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という手垢のついたみすぼらしい処世訓の焼き直しである。日本人はそんなことさえもうわからなくなってしまっているのである。

 権力者であるためには「権力的にふるまうことができる」という以上の要件はないという新しい権力観を安倍政権は長い時間をかけて日本人に教え込んだ。だから、実際に安倍政権が通した重要法案の多くについて、安保法制も、特定秘密保護法も、テロ等準備罪も、国民の過半は世論調査で「急いで採決すべきではない」と意思表示したにもかかわらず、政権はそれを無視して、強行採決した。内閣支持率はたしかに直後にはいったんは落ちたが、すぐに回復した。つまり、有権者たちは「この政権は私たちが反対しても何の影響も受けないほどに強大な権力を有している。そうである以上、服従する他ない」と合理的に推論したのである。

 安倍政権はこの「リアリズム」を心理的基礎にして盤石の「一強体制」を誇った。しかし、この「リアリズム」はパンデミックという「現実」には無効だった。人間は権力を恐れるけれど、ウィルスにはそのような「心理」がないからである。

 世界23か国の人々に、コロナ対策に際して自国指導者の評価を求めたアンケートが行われたとき、日本政府の対応を「高く評価した」人は日本国民の5%にとどまった。世界平均は40%。中国は86%、ベトナムは82%、ニュージーランドが67%。死者数世界最多の米国でさえトランプを「高く評価する」国民は32%いた。

 国民は安倍政権が感染抑制については無能だったという評価を下した。当然だと思う。国難的状況において指導者に必要なのは、彼が国民全体の福利と健康と安全をめざしていると「信じさせる」ことだからである。けれども、安倍政権下で国民は、「権力者たちは自己利益のためだけに行動していて、自分の支持者・自分の縁故者にしか便益をもたらさない」ということをずっと前から教え込まれていた。感染症は全国民が等しく良質な医療を受けることができる体制を整備することでしか収束しない。しかし、安倍政権は支持者のみに選択的に利得をもたらし、反対者には「何もやらない」という道徳的インテグリティの欠如を誇示することで、「一強体制」の心理的基礎を打ち固めてきた。だから、安倍首相は強大な権力者であるが、その権力を全国民のために使うことは決してないというということを国民たちは知っていたのである。

 内閣支持率が30%ありながら、感染症対策を評価する国民が5%にとどまったのは、「私たちのために何もしてくれない政治家だからこそ支持する」「利己的にしかふるまわない権力者だから畏れ、服従する」という倒錯がそれだけ深く私たちの社会を侵していたことを表わしている。

 

 日本人はこの病的な現状肯定から逃れることができるだろうか。私にはわからない。でも、合理的で、適法的で、予測可能なしかたでふるまう指導者を「信頼し、尊敬する」という政治文化をもう一度構築しない限り、日本の没落は止まらないだろう。