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内田樹さんの論考「アメリカ大統領選を総括する」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.961

人間たちはまったく新しいことをしているつもりでいるときに「過去の亡霊」を呼び出し、過去の「スローガンや衣装を借用」する

 

 

2020年12月30日の内田樹さんの論考「アメリカ大統領選を総括する」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 トランプがあれほど支持された理由の一つは彼がまさに「アメリカン・ドリームの体現者」のように自己演出して、それに成功したせいだと思います。それが人々を惹きつけた。そして、よく考えればわかりますが、アメリカン・ドリームというのは、社会的平等の実現と食い合わせが悪いんです。

 あまり知られていないことですけれど、アメリカは19世紀末までは世界の社会主義運動の中心地でした。そもそもは1848年のヨーロッパ各国での市民革命に失敗した自由主義者や社会主義者たちが祖国の官憲の弾圧を逃れて、アメリカやオーストラリアに移民したことから始まります。彼らは「48年世代(forty-eighters)」と呼ばれました。他の移民と違って、その多くが高学歴で、高度専門職を持ち、そしてそれなりに金も持って移民してきた。だから、移民した先でもコミュニティを創り上げ、ただちにさまざまな事業を興して、成功した。もともとリベラルな人権派ですから、当然のようにリンカーンの奴隷解放政策を熱烈に支持しました。そして、南北戦争が始まるとその多くは義勇軍として北軍に身を投じて戦った。

 これまであちこちで書いていることですけれど、カール・マルクスがニューヨークのドイツ語誌「革命」のために『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を書いたのは、1852年のことです。それを読んだ「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」のオーナーのホレース・グリーリーがロンドンのマルクスに「ロンドン特派員」のポストをオファーしました。生活に困っていたマルクスはこのオファーに飛びついて、以後10年間にわたって400本以上の記事を書き送りました。うちいくつかは無署名で「トリビューン」の社説として掲載されました。「トリビューン」はニューヨークの人口が50万人だった当時に発行部数20万部を誇る超メジャーなメディアでした。「トリビューン」を通じて、ニューヨークの知的読者たちは南北戦争前の10年間、ほぼ10日に1本ペースでマルクスの書く政治経済の分析記事を読み続けたのです。マルクスはイギリスのインド支配、アヘン戦争、アメリカの奴隷制などについて、同時代の政治的問題について健筆を揮いました。南北戦争前の北部の政治的意見の形成にマルクスはダイレクトにかかわっていたのです。

 アメリカで最初のマルクス主義政治組織「ニューヨーク・コミュニスト・クラブ」が創建されたのは1857年です。73年には第一インターナショナルの本部がロンドンからニューヨークに移転してきます。

 つまり、南北戦争をはさんだ30年間くらいというのは、アメリカは言論の面でも、組織や運動の面でも、世界の社会主義のセンターだったのです。もちろん、彼らの最優先の課題は「平等の実現」です。階級格差の廃絶、人種差別の廃絶、そして男女平等の実現がアメリカ社会主義のスローガンでした。このままゆくと、1880~90年代にアメリカでは世界で最も早く社会的平等が実現するかに思えました。ところがそうならなかった。アメリカでは1870年代にぴたりと労働運動・市民運動の思想的・組織的進化が止まってしまう。「アメリカン・ドリーム」のせいです。

 1862年に、リンカーンによってホームステッド法が制定されました。国有地に5年間定住して、農業を営んだ者には160エーカーの土地が無償で与えられるという法律です。この法律のおかげで、ヨーロッパで小作農や賃金労働者だった人たちが自営農になるチャンスをめざしてアメリカに殺到しました。これによってアメリカの西部開拓は可能になったのです。

 1848年のカリフォルニア・ゴールドラッシュ以来多くの貧者が「一山当てる」ことをめざして西へ向かいました。1901年にはスピンドルトップで石油が噴き出した。アメリカの大地には無尽蔵の自然資源が埋蔵されているように見えました。チャンスに恵まれれば、極貧の労働者が一夜にして富豪になるということが実際に起きたのです。この時代を「金ぴか時代」(the Gilded Age)と呼びます。「鉄道王」とか「石油王」とか「鉄鋼王」とか「新聞王」とかが相次いで登場したのはこの頃です。昨日まで自分の隣で一緒に働いていた貧しい労働者が、おのれの才覚と幸運だけで「王」のような御殿に暮らして、贅沢の限りを尽くしている。そういう実例を見せつけられていると、「鉄鎖の他に失うべきものを持たないプロレタリア」を組織して、雇い主と戦って雇用条件を引き上げようというような「たらたらしたやり方」に耐えられないという労働者が出てきても不思議はありません。そうやって人々を夢見心地にさせた「アメリカン・ドリーム」のせいでアメリカの社会主義労働運動は、支え手を失って短期間のうちに空洞化したのでした。

 ですから、アメリカン・ドリームの体現者であるトランプが、ヨーロッパ的な社会民主主義を体現するサンダースと不倶戴天の敵同士であるというのは、「金ぴか時代」のドラマを再演しているという意味ではまことに興味深い光景なのです。

 

 マルクスは『ブリュメール18日』で、人間たちはまったく新しいことをしているつもりでいるときに「過去の亡霊」を呼び出し、過去の「スローガンや衣装を借用」すると書いています。その通りだと思います。今もまたアメリカ人たちは、遠い昔に誰かが使った台詞を繰り返し、埃を払って古い衣装に手を通しているのです。