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すべてを個人の自由に委ねて、公共財を痩せ細るに任せてきたせいで社会的格差が拡大している。だから、その状態を補正するために、これからしばらくの間は公共財を豊かにして、再分配に工夫を凝らすことを優先させた方がいい
2021年1月19日の内田樹さんの論考「市民社会とコモン」(後編)をご紹介する。
どおぞ。
平等を実現するのは「公共」です。現代社会で階層格差が拡大し、一部の超富裕層に富が偏在するようになったのは、まさに新「自由」主義の成果です。私財は神聖であり、公権力が手を着けるべきではない、富裕者の私財を徴収して貧者に再分配するのは自由の侵害であるというアメリカ的な考え方が世界に広がった。
この歪みを補正するためには、自由を抑制しても、平等を実現するしかない。それは社会の中の公共的なエリアを広げて、そこに豊かな公共財を蓄積し、共同的に管理し、適正に分配する仕組みを作るということでしか実現しません。
かつてはヨーロッパにも日本にも、公共財を共同管理し、共同使用する村落共同体が存在しました。英国では、村落共同体が共同所有する共有地は「コモン(common)」と呼ばれました。コモンで村人たちは牧畜したり、果樹やキノコを採取したり、魚を釣ったり、鳥を獲ったりしました。コモンによって村人たちの生活は豊かなものになった。けれども、土地から上がる利益は少なかった。そのうち、土地の生産性を上げるために共有地を廃して、これを私有地にしようという考えが出て来た。みんなで共有しているから、その土地から儲けを出そうという気持ちになれないのだ。私有地なら、わがことだから、目を血走らせて土地の有効利用を工夫する。この土地でどうやって儲けようか必死に考えるだろうというのです。
イギリスで行われた「囲い込み」とは「コモンの私有化」のことです。コモンは最初は牧羊地として業者に買い上げられ、19世紀になってからは農業資本家に大規模農業用地として買い上げられました。それによって農業革命、産業革命が実現したわけですから、資本主義的にはコモンの私有化は歴史的必然だったのです。けれども、コモンを失った農民たちの一部は小作農に没落し、一部は離農して都市プロレタリアになり、かつての豊かな村落共同体は消滅した。
コモンの消滅によって消滅したのは共有地だけではありません。「私たち」という一人称複数形の意識そのものが消滅した。それまで、コモンを共同所有し、共同管理してきたのは「私たち」という一人称複数形でした。「私たち」という人称代名詞が固有のリアリティーを持つためには、その共同体が共通の言語、宗教、祭祀儀礼、食文化などの生活文化を有していて、隣接する共同体と差別化されていることが必要です。祖先から受け継いだ伝統的な生活技術や芸能や祭祀儀礼や食文化を次世代に確実に受け渡すという使命が村落共同体を結束させてきました。「コモンの消滅」によって消えたのは、単なる共有地ではありません。公共財を共同管理することのできる「主体」そのものもそのときに消えたのです。「コモンの消滅」によって、かつて存在していた相互支援や互助的な共同体、血縁・地縁的なネットワークも消えた。そして、それと共に「公共財を所有・管理し、適切に分配して、全員が豊かさを享受するための技術知」そのものが消滅した。
アメリカでは1840年代からホームステッド法という法律が段階的に整備されて、国有地の私有化が国家的スケールで行われました。これは国有地に5年間定住して、耕作すれば160エーカーの農地を無償で頒布するという法律です。誰でも自営農になれるというので、ヨーロッパから何百万人という貧しい移民たちが流れ込み、これによって西部開拓が一気に進みました。ホームステッド法をカール・マルクスは高く評価しました。社会主義の先駆的形態だとみなしたのです。でも、実際にはこれは大規模な「囲い込み」でした。国有地のままではまるで生産性の上がらない荒野を私有地化することで「金儲け」の道具に換えたからです。ホームステッド法によってアメリカは驚異的な人口増とGDP増を達成しました。でも、当然、ある段階で分けるべき国有地がなくなりました。国土の大部分が私有地化されたときにアメリカにおける「囲い込み」は終わりました。たしかにそれは土地の生産性を上げるという経済的効果においてはすばらしい成果を上げましたけれども、「私たち」の公共財をどうやって共同管理するかというスキルを育成するためには何の役にも立たなかった。
フランスやイタリアには今も「コミューン(commune)」「コムーネ(commune)」という基礎自治体が残っています。サイズは数十万人から数十人までさまざまですが、行政単位としてのステイタスはどれも同じです。これはかつてのカトリックの教区に基づいた区分です。コミューンの中心に教会があり、教会の前に広場があり、広場の向かいに市庁舎があり、そこで市議会が開かれ、市長が選ばれる。この構造はどのコミューンにも共通です。そこに住む人たちが「私たち」という一人称複数形にリアリティを感じられるならば、サイズは関係ない。
これは公共財を共同管理する主体たる「私たち」を制度的に基礎づけようという努力の痕跡だと思います。この基礎自治体がめざしたのは市民の自由よりむしろ成員たちの間の平等の実現ではないかと僕は思います。そこでは公共財が占める割合が大きいほど、それを再分配することで市民間の平等はより実現しやすくなるからです。豊かな公共財があれば、個人の間にどれほど貧富強弱の格差が生じても、公共財の再分配によって、それを補正することができるからです。僕はこの「コモン」や「コミューン」や「コムーネ」を現代社会にもう一度再生させることが、現代のさまざまな問題にとって有効な解ではないかと考えています。
近代市民社会は自由と平等の緊張関係のうちに展開する。この基本的事実をまず認めましょう。自由か平等か。これは結論の出ない難問です。どちらかを選んでしまったら、デモクラシーはもう機能しなくなる。デモクラシーはこの緊張状態のうちでのみ生き延びることができる。自由か平等か、どちらかを選んで話を終わらせることができない。自由と平等はトレードオフの関係にありますから、この両方の顔を立てないとデモクラシーは存立しない。デモクラシーは扱いがとてもむずかしい仕組みなのです。みなさんわりと簡単に「デモクラシーを守れ」といいますけれど、デモクラシーは守るものではなくて、むしろ「微妙なさじ加減で統御するもの」です。
アメリカや日本の現状が教えてくれるのは、自由の過剰と平等の抑制が今の社会の不具合の主因だということです。ですから、これからしばらくは自由を抑制しても平等を実現する方に少しの間軸足を移さないといけない。けれども、それは「政府に権力を集中させて、個人の自由を抑制する」ことそれ自体を善とみなすということでは全然ありません。そんなはずがない。すべてを個人の自由に委ねて、公共財を痩せ細るに任せてきたせいで社会的格差が拡大している。だから、その状態を補正するために、これからしばらくの間は公共財を豊かにして、再分配に工夫を凝らすことを優先させた方がいいというだけのことです。私財や私権はできるだけ抑制しない方が正しいのか、公共の福祉を最優先するのが正しいのか、どちらかを選べというような原理的な話ではないのです。公と私のバランスをそのつどの歴史的環境の中でどうやってとるのかというごく技術的な話です。
デモクラシーは取り扱いの難しい仕組みです。デモクラシーは集団成員に市民的に成熟して、この「適切なさじ加減」ができるようになることを要求します。
デモクラシーが他のすべての政体より優れているのは、それが市民に「大人になること」を求めるからです。市民的成熟を遂行的課題として集団成員たちに求めてくるという運動性と開放性がデモクラシーの最大の手柄なのです。そのことをよく踏まえて、デモクラシーを運営する技術知をこつこつと身に着けてゆくがわれわれ市民の仕事なのだと思います。