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内田樹さんの「中国はこれからどうなるのか?」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.972

日本は久しく中華帝国の辺境でした。「日本」という国号自体「中国から見て東」という意味なんですから。それほど深く華夷秩序コスモロジーは日本人に内面化している。秀吉の朝鮮出兵も、大日本帝国の満州建国や日中戦争も「辺境民が中原に鹿を逐う」というスキームの中の出来事です。

 

 

2021年1月22日の内田樹さんの論考「中国はこれからどうなるのか?」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

― 皇帝と辺境の関係はどうですか。

 

内田 華夷秩序における辺境は「化外の地」ですから、中国の領土なのか、そうではないのかがはっきりしない。かつての沖縄や朝鮮半島のような帰属のはっきりしないエリアが辺境には広がっている。中央のハードパワーが弱まると辺境の人々は皇帝への服属を止めて独立しようとするか、あるいは中原に攻め込んで自分たちの王朝を立てようとする。モンゴル族の元朝や女真族の金朝や満州族の清朝がその例です。明朝を滅ぼして、後陽成天皇を中華皇帝に頂いて、新しい日本族の王朝を立てようとした豊臣秀吉の考え方も辺境人としては当たり前のものだったわけです。

 中国は香港の民主化運動を弾圧していますが、これは香港という辺境を実効支配するのか、それとも現地の人たちの自治に任せるのか、直接支配か一国二制度か、その選択の問題です。

中国には55の少数民族がいます。「少数」といってもあくまで漢民族に対して少数ということであって、雲南に住むチワン族は1900万人、西域のウイグル族は1100万人、回族は1000万人ですから、規模としてはほとんど世界各地の国民国家と変わらない。少数民族が中央に朝貢し、形式的に服属する限り、中央政府は彼らに一定の自治を認めるけれども、民族独立をめざして「ここは中華皇帝の権力が及ばない土地だ」と宣言しようとすると暴力的に弾圧する。その華夷秩序の統治原理は昔から変わっていません。中国が香港を弾圧するのは、ここで香港の独立を許してしまうと、自治権拡大運動がそれ以外の辺境各地に飛び火するリスクがあると考えているからでしょう。

 

― 皇帝は国民と辺境を恐れいている。

 

内田 僕は2007年に『街場の中国論』(ミシマ社)という本を出版しました。しばらくして中国の出版社から翻訳のオファーがあったのですが、その際、先方から条件が出されて、それは「文化大革命と少数民族について書いた章はカットさせてほしい」ということでした。結局、そういう条件での翻訳は困るということで、お断りしたのですが、中国では「漢民族同士の内戦」と「辺境の独立」という二つのストーリーが最大の政治的タブーなのだということが分かりました。

 

― 日本は建国以来、中国とどう付き合うかという問題に頭を悩ませてきました。改めて日本は中国とどう向き合うべきですか。

 

内田 大事なのは華夷秩序のコスモロジーを理解することだと思います。中国は伝統的に「西」を目指してきました。漢代には張騫、李陵、霍去病らの将軍たちが数十万の大軍を率いて何度も西征しました。彼らがたどった道筋は今の一帯一路の「シルクロード経済ベルト」のコースとそのまま重なります。「21世紀海洋シルクロード」のコースの方は明代の鄭和の大艦隊がたどった航路とほぼ同じです。鄭和は泉州を出て、南シナ海からマラッカ海峡を抜けて、インド洋を通って、アラビア半島を経由して東アフリカに向かった。つまり、中国人には陸路をまっすぐ西に向かうか、海路をいったん南に下ってから西へ向かうというGo Westという基本的な趨向性があるということです。

 その一方で、中国人は「東」にはほとんど興味を示さない。僕たちが知っている事例はせいぜい秦代に始皇帝の命をうけた徐福が不老不死の薬に東海に旅立ったくらいです。でも、これも変な話で、海路でわずか数日あれば日本列島にはたどりつけるはずなのに、中国人は「東海へ船出する」ということをなんだかはるか遠い「ミステリー・ゾーン」に向かう旅のように思いなしていた。現に、鄭和の大艦隊は7回も航海に出て、東アジア全域に明の国力を誇示したのに、一度も東へ向かっていないのです。1回くらいはちょっと遠回りしても、日本列島に立ち寄って、沖合から大艦隊の威容を見せつけて、日本人をびびらせるくらいのことはしてもいいはずなんですけれど、それをしなかった。

 中国軍が東海に来たのは元寇だけですけれど、来たのは漢民族ではなくモンゴル族です。漢民族は日本列島に領土的野心を示したことが過去にないのです。663年に白村江の戦いがありました。日本は唐・新羅連合軍に歴史的大敗を喫しました。当然、このあと唐は日本列島に攻め寄せるだろうと日本人は考えた。何しろその時点で東アジアで唐に帰属していなかったのは日本だけなんですから。日本を潰せば、それで東アジア全域が唐の支配下に入る。だから、必ず日本に攻めて来ると思って、日本人は防人の制を整え、大宰府に水城を建設し、防衛のために内陸の大津京に遷都しました。でも、なぜか唐は攻めてこなかった。結局、しばらくして遣唐使をそっと送り出したら、これまで通りふつうに処遇してくれた。それで唐が攻めてくるという話は立ち消えになった。

 歴史家は「ある出来事がなぜ起きたか?」については説明してくれますけれど、「起きてもよかったのに起きなかった出来事はなぜ起きなかったのか?」という問いには興味を示しません。でも、僕はむしろそちらの方に興味がある。なぜ唐は日本列島に攻め込まなかったのか? 僕はそれを「東海」への関心の低さのせいだと思います。朝鮮半島までは「東夷」征伐に何度も行ったけれども、そこから海を渡ってさらに東海に船出するのは何となく気が乗らなかった。どうしてもその気にならない。そういうことってあると思うんです。現に、習近平は「一帯一路」で示した「西へ」というアイディアには国民が熱狂するが、「西太平洋の制覇」を目標に掲げても、国民はそれほどには熱狂しないことは直感的にわかっていた。漢民族をスケールの大きな構想でまとめ上げようとしたら「西へ」しかない。そういう民族心理は地政学とは別のレベルで働いているんです。

 

― しかし今の中国は東シナ海に進出して尖閣諸島を脅かしています。中国は第一・第二・第三列島線を設定して西太平洋を支配下に置くという海洋戦略があると言われています。

 

内田 中国は尖閣にそれほどの興味は持っていないと思います。日本が「尖閣は日本領土だ」と言うから「違う」と言っているだけで。漢民族にとって辺境というのは「誰に帰属するのかよくわからない土地」のことなんです。だから、鄧小平の「誰に帰属するのかよくわからない土地は、わからないままにしておこう」とい「棚上げ論」が出てくる。それが華夷秩序では「ふつう」だから。

 カール・シュミットの「陸の国、海の国」という分類法がありますけれど、それで言えば中国は本質的に大陸国家です。海軍を増強して、太平洋の制海権を持つことが地政学的に有用であることはもちろん理屈では分かっているでしょうけれども、民族心理的にはそれほど優先順位の高い国家的課題とは思われていない。

 

― 日本はアメリカと連携して中国に対抗する方向に進んでいますが、それは逆効果になるリスクがある。

 

内田 日米同盟一辺倒では東アジアの安全保障は立ちゆきません。韓国、台湾、香港、ASEAN諸国との連携を深め、日米同盟以外の外交基軸も追求しておくべきです。忘れてはならないのは、台湾、香港、シンガポールは当然として、アジア諸国ではどこでも同じ言語を語り、同じ生活文化を共有する漢民族のネットワークが存在して、政策決定に大きな影響力を行使しているということです。彼ら漢民族は一種の運命共同体を形成しています。国民国家の間で国益が対立していても、国境を越えて漢民族同士にはある種の連帯感が存在する。だから、東アジア諸国の対中国外交は複雑なものになるんだと思います。

 

― 内田さんの著書『日本辺境論』(新潮新書)は中国共産党の中央規律委員会の推薦図書(幹部必読書)にも指定されていますが、日本は「辺境」としての強みを生かすべきだと思います。

 

内田 日本は久しく中華帝国の辺境でした。「日本」という国号自体「中国から見て東」という意味なんですから。それほど深く華夷秩序コスモロジーは日本人に内面化している。秀吉の朝鮮出兵も、大日本帝国の満州建国や日中戦争も「辺境民が中原に鹿を逐う」というスキームの中の出来事です。それを指摘する人が日本にはあまりいませんけれど、中国人から見ると僕の言っていることは「当たり前」なんだです。「当たり前のことを書いている珍しい日本人がいる」というので推薦図書になったんじゃないですか。

 華夷秩序のコスモロジーは東アジア全域に共通するものです。韓国も台湾もベトナムも辺境です。だから、辺境同士では話が通じる。僕は大国中国に対抗するために、中韓台の「合従」による東アジア共同体を提案していますが、韓国でも台湾でも「合従連衡」と言えば誰でもその意味するところがわかる。これが文化的同質性の強みです。

 これまで欧米の政治学者が書いた中国についてのレポートをたくさん読んできましたけれど、華夷秩序コスモロジーが東アジアの人々の思想と行動にどう影響しているかを論じたものは寡聞にして読んだ覚えがありません。だから、本来なら日本人は中国の内在的論理を欧米の政治学者よりはよく理解できるはずなのです。でも、そのアドバンテージを活用しているようには見えない。

 とはいえ、東アジアにおける華夷秩序コスモロジーも実は弱まりつつあるのかも知れません。原因の一つは漢字文化圏の衰退です。遣唐使の時代から戦前まで、大陸でも朝鮮半島でも台湾でも、どこでも知識人同士なら筆談で質の高いコミュニケーションができた。しかし戦後、中国は漢字を簡体字に改め、韓国は漢字を捨て、日本は漢文教育を軽視した。このままなら遠からずクロスボーダーな漢字文化圏は消滅するでしょう。僕は漢字文化圏の再構築が東アジアに平和と安定をもたらすために非常に有用だと思っていますけれど、なかなか共感してくださる人がいないのです。

 

 

1230日インタビュー、聞き手・構成 杉原悠人)