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内田樹さんの「倉吉の汽水空港でこんな話をした。」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.976

日本はいま再び貧しくなってきました。

 

 

2021年2月8日の内田樹さんの論考「倉吉の汽水空港でこんな話をした。」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 家族解散は消費活動を加速させました。それまで家族が「コモン」として共有し、使い回してきたすべての財が私物化された。4人家族が一軒の家に住んでいたのが4つの不動産物件が必要になり、冷蔵庫も、洗濯機も、テレビも、みんな人数分要るようになった。市場の「ビッグバン」が到来した。「これはオレのものだ。誰も触るな」という共有を拒否するマインドそのものがGDPを押し上げて、高度成長の推力になった。誰とも何も共有しない、誰とも折り合いをつけないで「自分らしさ」を追求する「あらゆるものの私有化」が資本主義においては「絶対善」だとみなされた。その結果が今です。

 バブルが崩壊してから、そろそろ30年。それからの日本はひたすら貧しくなってきているのですが、「誰とも財を分かち合わない」というマインドだけは変わっていない。コモンというのはひとりひとりの生活を豊かにするための公共財でした。でも、いまはもうすべてに所有者のラベルが貼ってあって、みんなが利用できるコモンはない。

 僕が子どもの頃の日本は「共和的な貧しさ」のうちにありました。貧しかったけれども、みんなが多くのものを共有していた。要るものはみんなで使い回し、順番によその家の子どもの面倒を見た。日本はいま再び貧しくなってきました。だから、あの頃のように財やサービスを公共の場に供託して、それを必要とする者が使うという仕組みをもう一度立て直すときがきたと僕は思います。

 そういう時代の変化を主導してゆくのは言葉や理念ではなくて、もっと漠然とした、もっと具体的なイメージです。そのイメージを共有する人たちが、同時多発的になにごとかを始める。それが結果的に大きなトレンドを形成するということを最初に申し上げました。そして、いま始まりつつある新しい「コモン」は書物が中心になるのではないかとも申し上げました。

 青木真兵君たちが始めて、僕も加わっている「山學院」という活動があります。一昨年、その集まりが東吉野であったときに、「ひとり書店」「ひとり出版社」をしているという人が何人か参加されていました。漁村で「ひとり書店」を開いているという方の話をうかがいました。自分の街に本屋が一軒もないのが寂しいので、自分で開いたというのです。平日は別の仕事をしていて週末だけ書店を開ける。本好きの人が来るので、おしゃべりをする。

 瀬戸内の人口わずか150人の島に私設図書館を開いた方の話も聞きました。それがきっかけになってその後その島に若い移住者が相次いで、人口がV字回復しているそうです。   

 どこでも共通するのは書物が中心になっていることです。書物をたいせつに思い、それをみんなと共有しようという意志が共通している。書物というのは外部への回路です。書物は読者を「いまではない時代」「ここではない場所」に連れてゆく力を持っています。ですから、極端な話本が一冊そこにあるだけで閉じられた空間に風穴があいて、そこから涼風が吹き込んでくるということが起こる。その風の匂いを感じ取った人たちが、書物の周りに、書物に吸い寄せられるようして集まってくる。21世紀のコモンの再生のそれは一つのきっかけになると思います。

 外部に通じる回路が開いている場所には独特の活気があります。わかる人にはわかる。僕が定点観測している山形県の鶴岡は羽黒山伏が地域のさまざまな活動の中心にいます。僕はそこの星野さんという山伏のお招きで毎年伺っているのですが、集まってきている若い人に「なぜここに?」と訊くと、「なんとなく面白そうな感じがした」というのです。何か新しいことが始まっている場所には独特の匂いがする。それを感知した人が集まってくる。

 僕が勤めていた神戸女学院は明治のはじめにアメリカから来た2人の女性宣教師が開学した学校です。キリシタン禁令が解除された直後に神戸に着いたこの二人の若い女性が開いた私塾に7人の新入生が来ました。この7人はいったい何を感じ取ったのか? 「ネイティヴから英語が学べると就職に有利だ」とか、そういう時代ではありません。二人の女性宣教師が教えたことは、キリスト教学も英語も世界史も明治初年の日本社会において特段「市場のニーズ」のないものでした。でも、そういうことを教える塾を開いたら、「あそこで勉強したい」という子どもたちが集って来た。この子どもたちはきっと「なんだかわからないけれども、あそこには他の場所とは違う空気が流れている」ということを感じ取ったのだと思います。明治の日本社会の他のどこにもないような「異界に通じる回路」を感じたのだと思います。

 

 これから日本のあちこちに新しい「コモン」が生まれてゆくと思います。そのときに核になるものの一つは書物になるだろうと思います。書物は私有になじまない財であり、それゆえ新しいコモンの基礎となることができる。書物を通じて僕たちは遠い国の、遠い時代の人たちとしばらくの間時間を過ごす。書物を介して死者たちと出会い、死者たちの生やその感情を想像的に追体験する。死者たちとのつながり、それがあらゆる共同体の骨格をかたちづくります。ヨーロッパのコモンやコミューンはそういうものでした。先人から贈られたさまざまな財や知恵や技術を受け取り、次世代に「パス」してゆくことをミッションとして引き受ける人たちによって共同体は基礎づけられます。21世紀の日本でも事情は同じだと思います。それが地方の拠点を形成してゆくことになると思います。