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内田樹さんの「『若者よマルクスを読もう2』中国語版への序文」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.986

それは「マルクスを読んで理解する」義務であって、「マルクス主義者になる義務」ではなかった

 

 

2021年3月15日の内田樹さんの論考「『若者よマルクスを読もう2』中国語版への序文」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

中国のみなさん、こんにちは。内田樹です。

『若者よマルクスを読もう』第二巻の中国語訳が出ることになりました。翻訳出版の労をとってくださった方々にまずお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 このシリーズはマルクスの代表的なテクストを『共産党宣言』から『資本論』までを選んで、経済学者の石川康宏先生と僕があれこれと解説するもので、全4巻で完結する予定です(いま、僕と石川さんは第四巻のために『資本論』をめぐって書簡をやりとりしているところです)。

 この本がどういう企図で書かれることになったのかについては、第一巻にかなり詳しく書いてあります。たいせつなことだけ、もう一度確認しておきたいと思います。

 この本は日本の高校生を想定読者に書かれました。ぜひ日本の高校生たちにマルクスを読んで欲しかったからです。

 半世紀ほど前までは、マルクスを読むことは日本の「知的であろうとする若者」にとっては一種の「義務」のようなものでした。その知的習慣がいつのまにか失われました。その伝統の消滅を石川先生と僕はとても残念に思っていました。ですから、ぜひもう一度若者たちにマルクスを手に取って欲しいと思ってこのシリーズを書き始めました。

 ただ、僕たちがいくら頑張っても、もう一度日本の若者たちが「知的義務」としてマルクスを読む時代が戻るかどうか、それについてあまり楽観的にはなれません。というのは、過去に日本の若者たちが基礎的教養としてマルクスを読んだのには、それなりの歴史的条件があったからです。

 

 マルクスを読まなければならないという歴史的な要請があり、それに応えて青年たちはマルクスを読んだ。でも、ある時期から、そのような歴史的条件が失われた。だから、読まなくなった。別に日本の若者たちが知的に怠惰になったとか、読解力を失ったということではないと思います。時代が変わったのです。でも、時代が変わったというのは、いったい何がどう変わったということなのか? 中国語版序文として、それについての僕なりの仮説を書いてみたいと思います。

 

 明治時代から昭和時代まで、約1世紀にわたって、マルクスを読むことは日本の青年たちにとって一種の知的な通過儀礼であり、一種の義務でした。マルクスを読んでいないと「一人前の大人」としては認知されなかった。

 ただし、これはいささか変わった「義務」でした。それは「マルクスを読んで理解する」義務であって、「マルクス主義者になる義務」ではなかったからです。

 その意味で、日本におけるマルクス受容は聖書の受容と似ていたように思えます。

 明治維新以後の日本の近代化の過程で、知的青年たちにとってまっさきに「読む義務」が課された図書は新約聖書でした。それまでは四書五経が若き読書人たちの必読文献だったわけですから、これはまことに大きな転換でした。それは日本人にとって自己造形のロールモデルが中国から西洋にシフトしたということを意味していました。

 でも、明治の青年たちにとって、聖書を読むことは、キリスト教徒になるための訓練ではありませんでした。どんな宗教でも、聖典を読むだけで人は信者になることはできません。信仰を持つとは儀礼を守ることです。祈りを捧げ、服飾や食事の儀礼を守り、聖務日課を実修することです。でも、明治時代の知的青年に求められたのは、そういうことではありませんでした。求められたのは、あくまで聖書を読み、その教えの内容を理解することでした。信仰を持つことではなく、何より学習することでした。西洋人たちがいったいどのような死生観や倫理規範でおのれを律しているのか、それを知ることが、後進国の知識人青年にとっては喫緊の課題だったのです。

 ですから、聖書とほぼ同時に必読文献として推奨されたのが、J.S.ミルの『自由論』やハーバード・スペンサーの社会進化論であったのも当然なのです。これらはまったく宗教性のない書物でした。けれども、聖書と同じように読書が義務づけられました。それは、欧米の政治指導者たちがどのような統治理念に基づいて判断し行動しているのか、彼らがアジア諸国に対してこれからどうふるまうつもりなのかを知る必要があったからです。国際社会に「新参者」として登場する明治の日本人にとって、それは必須の情報でした。

 そして、その次にマルクスを読むことが推奨される時代が到来しました。「支配する者たち」が何を考えて、何をしようとしているのかを学習したら、次は「支配されている民衆たち」が何を考え、何をしようとしているのかを知る必要があります。論理的には当然です。もし、欧米の民衆の間に、現行の統治システムの安定を脅かして、いずれ大きなうねりとなりそうな理論と運動が存在するとしたら、それがどのようなものであるかも知っておく必要があります。それは間接的には日本の運命にもかかわる可能性があるからです。だとすれば、それも学習しておかなければならない。

 明治の日本人はおおむねそういう順番で欧米列強の「国のかたち」を知ろうとした。僕はそんなふうに推論します。

 まずキリスト教を学習した。それが欧米諸国の判断と行動のもっとも根底にあるものだと思われたからです。宗教によって構築された世界観。これがそれぞれの文化圏における「定数」に当たります。長い歴史的時間をかけてゆっくりと熟成したものですから容易には変化することがありません。それが諸国民の心性の深層を形成します。

 そして、その歴史的・文化的「定数」という軌道の上を、今度はさまざまな「変数」が遷移してゆきます。政治・経済のシステムや科学技術や学問や芸術がその「変数」に当たります。歴史が教えるのは、これらの「変数」のうちで、その「国のかたち」に決定的な変化をもたらすことができるものは、「定数」の軌道上を走るものに限られるということです。ある国について、そのつどの外交や財政や国防についての政策上の推移だけを追いかけても、その国の本質的な傾向はわかりません。僕たちの眼に見えている政策群は、複数のファクターの関与でくるくる変わる「変数」に過ぎません。ある国のふるまいを記述し、理解し、とりわけ予測するためには、どうしてもそれらの国々の「定数」を見出す必要があります。

 

 19世紀末に国際社会に登場した後進国日本が欧米列強による植民地化を逃れて、生き延びるためには、できるだけ早く欧米諸国の「定数」を発見することが急務でした。明治日本の「近代化」と呼ばれるものは、その努力のあとを示していたと僕は思います。