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内田樹さんの「「予言書」としての『1984』」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1001

アメリカはただ「日本の国益よりアメリカの国益を優先的に配慮してくれる政治家」が日本のトップにいると好都合だから「菅でいい」と思っているだけです。

 

 

2021年4月27日の内田樹さんの論考「「予言書」としての『1984』」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

― 内田さんは村上春樹の『1Q84』についても父権制の問題を指摘した上で、「『父』の存在により、私は今あるような人間になった」と説明する限り、「父」からは自立できないと述べていますが、これは戦後日本にも当てはまると思います。日本人が「幼児化」「愚鈍化」したのは、「父」としてのアメリカに従属し続けているからではないか。

 

内田 日本の場合はもうちょっと複雑じゃないかと思います。日本の権力構造は邪馬台国のヒメヒコ制から、摂関政治、武家政治を経て戦後の天皇制立憲デモクラシーまで、霊的権威としての天皇と世俗の政治権力の「二焦点」構造です。そして、この二つの権力構造において、天皇は女性ジェンダー化している。その天皇の方がより根源的な権力者です。だから、日本人は権力関係を「父子関係」としてよりむしろ「母子関係」としてとらえる。

 安倍政権がその典型ですけれども、彼は「親疎の距離」で人を査定する政治家でしたね。第一次安倍政権は「お友達内閣」と呼ばれましたし、第二次政権では森友・加計・桜に代表される縁故政治が目に余った。つまり、安倍晋三にとって権力関係とは自分に「甘え」てくる人を「甘やかす」、自分にすり寄ってこない人間を「冷遇する」という以上のものではなかった。

 彼の極右イデオロギーなるものも、すべてを説明できる「父の物語」というよりは、人との親疎を計るための「踏み絵」のようなものだったと思います。ふつうの人なら二の足を踏むような危険な物語を「私は信じます」と自己申告してすり寄ってくる人間を「トモダチ」認定する。安倍も菅も「ビッグ・ブラザー」ではなく、機能的には「おばさん」なんだと思います。

 この母子癒着モデルの権力関係は日米関係にも当てはまると思います。白井聡さんは『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)で、日本国家の本質(国体)は「統治者が国民を愛してくれている」という信憑に支えられていると指摘しています。戦前は「天皇陛下はその赤子たる臣民を愛してくれている」と信じ、戦後は「アメリカ大統領はその属国民たる日本人を愛してくれている」と信じてきた。日本国民のアイデンティティーを支えているのは「母に愛されている」という安心感なんです。

 だから、日本がアメリカに求めているものは「父」ではないと思います。もしアメリカを「父」に見立てるなら、子である日本は、「父」を真似て、「父」が参加しているゲームで自分も一人前のプレイヤーになろうと努力するはずです。でも、日本はそれより日米関係における「親疎の距離」を配慮している。「父」の意図を理解することよりも「母」に愛されることを優先した。

 だから、日米首脳会談では、日本の国益がどれくらい守られたか、日本の意見をどれくらい通したかよりも、首相と大統領がゴルフをしたとか、飯を食ったとか、ファーストネームで呼び合ったとかいう情報ばかりがニュースで流されます。日本人にとっては、アメリカに日本の国家意思を伝えることよりも、アメリカに愛されることの方が大事なんです。

 前に朴槿恵韓国大統領が訪米したときに、韓国大統領と日本の首相ではホワイトハウスの「接待」がどう違ったかということがうるさく報道されました。「アメリカは日本と韓国のどちらの方を愛しているのか」ということが気になるんです。日本は韓国と「ワシントンの長女」の座をめぐって姉妹喧嘩をしているつもりでいる。だから、米韓関係がうまくゆかないと聞くと、日本人は嬉々として報道する。

 尖閣問題でも、アメリカが「父」ならば、アメリカの世界戦略をまず理解した上で、日本にとって最適の国防戦略を構想するはずですけれども、実際に尖閣について日本人が気にかけているのは、「アメリカは日本を守ってくれるのか、それとも見捨てるか」だけです。それは連邦議会が決めることですから、日本人がじたばたしても仕方がない。それより、さまざまなシナリオについて日本がなしうることを非情緒的にシミュレートするしかない。でも、たぶん「アメリカが軍を出さない」となったら日本人はマスヒステリーを起こしますよ。そして、「安保条約即時撤廃」とか「米軍基地即時撤去」とか言い出す。「愛されていない」と知ったら、「憎さが百倍」になる。

「アメリカに愛される」ことが最優先の国家戦略であるという前提に立てば、現在の政治状況はよくわかります。菅政権はコロナ対策に失敗して、日本は第四波に突入しつつあります。しかし、それでも菅政権の支持率は40%前後で下げ止まっている。それは国民が「菅首相はアメリカに愛されている」と信じているからです。アメリカはただ「日本の国益よりアメリカの国益を優先的に配慮してくれる政治家」が日本のトップにいると好都合だから「菅でいい」と思っているだけです。それは彼らの側のリアルでクールな計算に基づくわけですけれども、日本人はそれを「アメリカに愛されている」というふうに勘違いしている。

 野党の支持率は全く上がりませんが、それは野党が「アメリカに愛されること」にあまり熱心でないとみなされているからです。「もっとリアリストになれ」という批判がよく野党に対して向けられますけれど、あれは「そんなことを言っているとアメリカに愛してもらえないぞ」という意味なんです。

 

― 「幼児化」「愚鈍化」の原因は、母子癒着にあるということですか。

 

内田 そうだと思います。「父」は子どもに「成熟」を要求しますが、「母」は要求しない。「父」の抑圧に服従すべきか反抗すべきかの葛藤の中で子どもは成熟しますけれど、「母」が子どもに求めるのは甘えと懐きだけです。

 日本の場合は、戦前は天皇に、今はアメリカ大統領という「母」に対する甘えと懐きという情緒的なつながりが国民的アイデンティティーを基礎づけている。それが日本人の市民的成熟を妨げていると僕は思います。

 日本の対米従属の特殊性もここにあります。ふつう強国に従属するというのは、繰り返し収奪されて、屈辱感を味わわされる経験のことです。現に、日本は日米地位協定という不平等条約をおしつけられ、国富を収奪され、属国扱いに甘んじている。でも、政治家や官僚たちを見ていると、そのことに屈辱感を感じているようには見えません。それは彼らがアメリカに「服従・隷属」しているのではなく、「甘え・懐いて」いると信じているからでしょう。

 軍事的征服者を「自分を愛してくれる母」だと錯認したというのは、やはり狂気の沙汰としか言いようがない。でも、それはそれだけ敗戦の経験が決定的だったということでしょう。あまりに負け過ぎた。負け過ぎたせいで、日本人自身の手で国を再建することができなかった。自分の手では再建することができず、アメリカが書いたシナリオ通りにするしかなかった。

幼児性とは無力性・受動性のことです。幼児は自分の力では何もできない無力で受動的な存在です。その受動的経験の最たるものは、自分の意志に基づかずに、この世に無理やり「生み落とされた」という原事実です。戦後日本はまさに完全に無力な状態でアメリカから無理やり「生み落とされる」というトラウマ的経験から始まったわけです。だから、「生みの親」であるアメリカにひたすら甘え、アメリカに愛されていると確認することでしか、国家としてのアイデンティティーを維持できなくなってしまった。

 

― 主権とは、自国の運命を自国で決める自己決定権のことですが、主権を剥奪された状態から生み落とされた戦後日本が、主権国家たりえないのは当然かもしれません。

 

内田 戦前生まれの人たちはかつて大日本帝国という主権国家の国民だった経験がありました。だから、「主権国家を再建しなければ」という義務感が残っていた。でも、僕たち戦後世代は生まれてから一度も主権者であったことがない。だから自分が主権者でないということについて痛覚がない。

 

― 心理学的に「子」は「父殺し」によって自立しますが......

 

内田 そうなんです。「父殺し」はあっても、「母殺し」ってないんですよね。だから、アメリカを「母」と見立てている限り、日本の対米従属には終わりが来ないと思います。

 そのような痛苦な事実を含めて、現実を直視することが必要だと思います。日本は世界に類を見ないしかたで『1984』的なディストピアに向かっていますが、それを駆動しているのは「甘え」に基づく権力構造だという現実を認識する。でも、これって土井健郎が『甘えの構造』で言っていたことそのままですね。結局またそこに戻るんだ。

 そう考えると、丸山眞男『日本の思想』(岩波新書)、川島武宜『日本人の法意識』(岩波新書)、岸田秀『ものぐさ精神分析』(中公文庫)、山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)といった古典的な日本人論が指摘していたことはほとんど当たっていたということですね。当たっていたのだけれど、それらを読んでも、日本人はおのれの本質的な幼さ、弱さを克服することはできなかった、と。なんだか希望のない結論になってしまいましたね。

(3月29日 聞き手・構成 杉原悠人)