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内田樹さんの「『日本習合論』中国語版序文」 ☆ あさもりのりひこ No.1010

つまり「固有のもの」が深く内面化して、血肉化するということがない。

 

 

2021年5月6日の内田樹さんの論考「『日本習合論』中国語版序文」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

『日本習合論』を手に取ってくださって、ありがとうございます。

 この10年ほどの間に、『日本辺境論』と『私家版・ユダヤ文化論』と『若者よマルクスを読もう』(石川康宏さんとの共著)という三冊の本が中国語に翻訳されました。今回、毛丹青先生の訳になる『日本習合論』が出版されると4冊目になります。毛先生はじめ、これまで中国語訳翻訳・出版のためにお骨折りくださったみなさまにまず心からお礼申し上げます。

 僕はこれまで130冊くらい本を出してきましたが、そのうちこの4冊が中国語訳として選ばれたことをとても興味深く思っています。

 どうしてこの4冊なのか? それについてちょっと個人的な解釈を書いて序文に代えたいと思います。

 

 この4冊では『日本辺境論』と『日本習合論』が「日本文化論」という点では同一の路線にあります。いわば姉妹本です。『私家版・ユダヤ文化論』と『若者よ マルクスを読もう』は、どちらもヨーロッパの宗教、哲学、政治を扱った「入門書」です。これらの本が選書されたというのは、中国には「こういう本」を書く人があまりいないからと推論されます。果たしてどうなんでしょうか。その仮説を検討してみたいと思います。

 まずは『私家版・ユダヤ文化論』から。

 ユダヤ人は少数民族とはいえ、宋代から1000年以上中国に定住しています。ですから、中国にも「ユダヤ文化論」の専門家がいてもおかしくありません。でも、日本人の方がユダヤ人に対してはたぶん中国人よりはるかに関心が高い。

 例えば、日本では明治時代から「日猶同祖論」(日本人とユダヤ人はイスラエルに発祥した兄弟部族であるという説)が繰り返し説かれてきましたし、いまでも「ヘブライ語と日本語は同族語である」とか「京都の太秦はユダヤの渡来民が住んだ地である」とかいう説を語る人が絶えません。日本人はすごくユダヤ人に関心があるのです(ユダヤ人の方は日本人に別に関心がないのですけれど)。とにかく日本人は世界に類を見ないくらい「ユダヤ人に興味がある」集団なんです。それはいかなる歴史的経緯があって形成されたメンタリティなのかについては話が長くなりますので割愛(『最終講義』の第六講で論じていますので、興味がある方はそちらをご参照ください)。

 

『マルクス』本の方はもう少しややこしい話になります。

 この本は中国共産党中央紀律委員会の推薦図書に選書されました。中国共産党の党員たちが日本人の書いたマルクス入門書を読むことを党中央から求められた。かなり変な話ですよね。なにしろ中国共産党はマルクス=レーニン主義を掲げている政党なんですから。マルクスについては、そちらが本家なんです。

 でも、そのせいで、中国ではあまりマルクス研究は自由には行われていないのではないかと僕は想像します。マルクスが「正典」である以上、どうしても共産党公認の「マルクス研究家」がマルクス解釈を専管することになる。それゆえ、非公認の研究者が「私はマルクスをこう読んだ」と自由にマルクスを解釈することにはつよい抑制が働いている。そういう事情があるんじゃないかと思います。でも、マルクスが「官学」になったせいで、9200万人いる中国共産党員の中には興味を失って、マルクスをぜんぜん読まなくなった人たちがだんだん増えてきた。それでは困る。そこで、マルクスを読まなくなった共産党員のために「マルクスは面白い!」と熱弁をふるっている本を紹介した...というのがことの次第ではないかと私は想像しております(違っていたらごめんなさい)。

 ともあれ、ユダヤ文化論とマルクス論については、「中国には『こういう本』を書く人があまりいない」と僕は推理しております。たぶんそれで当たっていると思います。

 では、『日本辺境論』と『日本習合論』はどうしてなのかか?

『日本辺境論』が選ばれた理由はわかります。これはただの日本文化論ではなくて、中国大陸/朝鮮半島/日本列島/インドシナ半島を含む、広大な華夷秩序圏の中で、「中華帝国の辺境民」として民族的なアイデンティティーを形成した日本族の文化として日本文化を論じたものだからです。これはかなり珍しい論の立て方でした。

 もちろん、それは僕の創見ではなくて、同じことを考えた先人は多々いたのですが、明治維新以後、「日本はアジアの辺境だ」ということを認めることにはつよい心理的な抑圧が働いていて、「辺境の文化」として日本文化を正面から論じる人はあまりいませんでした。

 ですから、中国の読者が「華夷秩序コスモロジーに共属している二つの隣接文化」として中国と日本を並べて論じるというアプローチに新鮮さを感じたというのはありそうなことです。

 

『日本習合論』は『辺境論』から10年後に書かれた、いわばその「続編」です。ただ、今回は中国との関係ということは後景に退いています。

「習合」というのは土着のものと外来のものが「混ざり合う」ことです。日本の場合、古代から近代まで、「外来のもの」はほぼ例外なく中国やインドを起源として、朝鮮半島経由で日本列島に入ってきました。それが土着の制度文物と習合して、独特の味わいの文化を創り出した。

 例えば、中国の統治システムはほぼそのままに日本に輸入されましたが、なぜか日本人は「科挙」と「宦官」の制度だけは採り入れませんでした。たぶんこの二つの制度は「国風に合わない」と思ったのでしょう。システムの一部を改変して採り入れるのも「習合」の一つのあり方と言ってよいと思います。

『日本習合論』では「神仏習合」という日本固有の宗教のかたちを中心的な論件としています。僕が関心を寄せたのは神仏習合が「どういうものであるか」ということよりも、1300年続いた宗教的伝統が明治政府の発令した「神仏分離令」という一篇の政令によって消滅したのはどうしてかということです。

 1300年続いた宗教的伝統ができたばかりの(それも政治的・軍事的実力においてまだまだ不安定だった)政府の発した一本の政令で消滅するというようなことはふつうはあり得ません。宗教生活というのはもっと深く人間の内面に入り込んでいるもののはずだからです。でも、日本人はあっさりと仏教を棄てました。仏像を壊し、経典を焼き、仏具を棄てた。組織的な抵抗は日本のどこでもありませんでした。ふつうはあり得ないはずのことが起きた。

 奇妙だと思いませんか?

 そして、それからしばらくしてまた何となく仏教が戻って来て、人々は何ごともなかったように、お寺にお参りに行き、仏式で葬式をするようになった。

 奇妙だと思いませんか?

 これは日本人の宗教性というのは、どうもあまり深く内面化していないで、外圧があるとわりと簡単に「システムの全とっかえ」ができるものではないかという仮説を立てるとつじつまが合います。

 事実そのあと、日本は1930年代に「天皇教」とでもいうべき過度に政治化した宗教にのめり込み、敗戦と同時にそれをあっさりと棄てましたが、別にそれがトラウマ的経験であったようにも見えない。

 つまり、さしたる心理的な抵抗なしに、外圧にしたがって、「信じる」対象をほいほいと切り替えて、新しい環境に適応することができる...日本人はそういう能力を集団的に持っているのではないか。神仏習合を棄てて、天皇一神教に切り替えたのも、「システムの一部を改変して採り入れた」という意味では一種の「習合」です。敗戦後に、それまでの熱狂的な天皇信仰を棄てて「天皇のさらに上にアメリカ大統領がいる」という属国固有の信仰システムに切り替えたのも一種の「習合」と言えるのかも知れません。

 日本人は集団的に「切り替え」をするときになると、あり得ないほどスムーズにそれまでの信仰対象を棄てることができる。この変わり身の早さはたしかに驚嘆すべきものがあります。これこそが日本人の「習合能力」ではないのか。僕はそんなふうに思えてしまうのです。

 つまり「固有のもの」が深く内面化して、血肉化するということがない。

 日本では、久しく「固有のもの」と思われていたものが、実は表層に貼り付けていただけの「借り物」だったということがしばしば起こります。だから、状況が変わると、惜しげもなく捨てることができる。その「惜しげもなく」という作法そのもののうちにあるいは日本人に「固有のもの」が存するのかも知れない。そんなことを最近は考えています。でも、これはよく考えると、これまでの日本文化論が(例えば丸山眞男が)書いてきたことの繰り返しに過ぎません。

 でも、それでいいと思います。僕の本がきっかけになって、みなさんが丸山眞男や川島武宜や鈴木大拙や新渡戸稲造の日本文化論を手に取ることになれば、この本を書いた甲斐はあるというものです。

 ともあれ、みなさんの隣国には「こんな人たち」が暮らしていて、なかなか中国の方からは理解しがたい独特の集団的思考をしているということをご理解頂ければ、それはきっと日中の相互理解につながる第一歩になると思っています。