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内田樹さんの「それでも五輪中止を求める」 ☆ あさもりのりひこ No.1034

あと数週間のち、「安全・安心な大会」が実現できなかったことが判明した場合に彼らは何と言って言い訳するだろうか。私にはだいたい予想がつく。東京裁判の時に戦犯たちの弁疏と同じ言葉である。「私個人としては開催に反対であったのだが、とても反対できる空気ではなかった。そして、一度決まったことには、個人的には反対であれ、粛々として従うのが日本人の行き方である」と。

 

 

2021年7月23日の内田樹さんの論考「それでも五輪中止を求める」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

また東京五輪のことを書く。その話はもういいという読者もいると思うが、しつこく書かせてもらう。

 5月に弁護士の宇都宮健児氏の呼びかけでオンライン署名サイトで五輪中止を求める署名が始まった。35万筆を超える署名が集まった時点で、東京都知事に要望書が提出された(7月6日時点では44万5千筆)。

 要望書は、小池東京都知事宛てに提出された。だが、都はこの要望書に対していかなる検討も加えずにそのまま放置してきたことがその後の開示請求で明らかになった。報道機関からの「要望書にどう対応したのか」という問いかけに対しては、都は例のごとく「現下のコロナ対策に全力を尽くすとともに、引き続き、安全・安心な大会の開催に向けて、国・組織委員会等、関係者と連携・協力し、着実に準備を進めていきます」という壊れたロボットのような定型句を繰り返しただけであった。

 お役所仕事だから、その程度の反応かも知れないと予測はしていたけれども、それにしてもこれだけ五輪開催について懸念の声が市民から上がっているのに、署名に託された民意を「一顧だにしない」という態度には怒りを通り越して、絶望に近いものを感じる。別に署名を受け取ったからと言って都知事が「じゃあ、五輪を中止します」と言ってくれるとは誰も期待はしていない。でも、せめて「当惑する」くらいのことはあってもよかったのではないか。

 このキャンペーンから二カ月経って、上野千鶴子氏たちが再び「五輪中止」のオンライン署名を始めた(私も呼びかけ人の一人として加わっている)。3日間で4万6千筆の署名が集まった。だが、この署名も何万筆集ろうと、提出後は、おそらく役所の廊下に放置されたままだろう。

 私は別に政治家にそれほど高い知性も徳性も要求してはいない。ふつうの市民並みで十分である。そして、ふつうの市民並みの知性と徳性を備えていたら、この期に及んで市民の間から「五輪中止」の声が上がっているという事実に対して、少なくとも「当惑する」くらいのことはして当然だと思う。まとも人間ならそうなるだろう。

 だが、ステートメントを読む限りでは、都は「安全・安心な大会」が開催されると信じているらしい。これから何万人という関係者が来日する。すでに来日した選手たちからは感染者が出ている。バブル方式による「完全隔離」が空語であることはメディアが伝えている。この後、人の移動が増え、五輪に便乗してソーシャル・ディスタンシングを守らない「お祭り騒ぎ」が頻発すれば、感染は一気に拡大するリスクが高い。それでも「安全・安心な大会」が開催できると関係者の皆さんは本気で信じているのだろうか。むろん信じていなければ、開催されるはずがない。ということは、これらの人々は8月以降に東京を中心にして感染爆発して、医療崩壊を来し、多数の感染者・死者を出すリスクは「ない」と判断しているということである。

 私はその自信の根拠を知りたいのである。感染症の専門家たちが「この状況での開催はふつうはあり得ない」と口々に言っている中で、なお「安全・安心な大会」が可能だという「ふつうでないことが起きる」と信じていられる根拠を知りたいのである。でも、誰もそれを教えてくれない。

 あと数週間のち、「安全・安心な大会」が実現できなかったことが判明した場合に彼らは何と言って言い訳するだろうか。私にはだいたい予想がつく。東京裁判の時に戦犯たちの弁疏と同じ言葉である。「私個人としては開催に反対であったのだが、とても反対できる空気ではなかった。そして、一度決まったことには、個人的には反対であれ、粛々として従うのが日本人の行き方である」と。(2021年7月6日、山形新聞「直言」)