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「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」人がいたとしたら、それはその人にとって「旧悪」ではなく、頻繁に更新され、上書きされてきた「新悪」だからである。今もなお「いかにもそういうことを言いそうな人間」だから、過去のテクストをサルベージしたら「すぐ」にお目当てのものが出てくるのである。
2021年8月31日の内田樹さんの論考「旧悪は露見するか?」をご紹介する。
どおぞ。
ある週刊誌から「旧悪の露見」についてコメントが欲しいという電話があったのは2週間ほど前である。五輪開会式にかかわったクリエーターの二人が、民族差別といじめについての「過去の言動」を掘り返されて職を解かれたことについて、「こんなふうに簡単に昔のことを掘り出して炎上させることができる時代になると、誰でもがプライバシーを侵害されるリスクがあるのではないでしょうか」という論調でコメントを取りに来たのである。
私は「その作業は決して簡単ではない」ということをまず申し上げた。
例えば、私の過去の書き物のうちから何であれ「差別的」な発言を取り出して、「炎上」させることは理論的には可能である。ただその場合に、その人は私のとりあえず手に入る限りの私の著作を通読し、かつ過去十数年分のブログ記事すべてを読まなければならない。
たぶんすべてを探せば「差別的な発言と解釈できなくもない」文言は見つかるとは思う。だが、私の書き物からそれを探しだすのは「干し草の山から針を探す」作業に近い。おそらく数週間にわたり、朝から晩まで私の書き物を読み続ける(場合によって、その挙句「何も見つからなかった」ということもあり得る)という地獄のようなタスクをこなさなければならない。
どれほどの苦役であろう。
だから、「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」という記者の設定そのものに私は同意しない。「ネットで検索すれば簡単に旧悪がばれる」人がいたとしたら、それはその人にとって「旧悪」ではなく、頻繁に更新され、上書きされてきた「新悪」だからである。今もなお「いかにもそういうことを言いそうな人間」だから、過去のテクストをサルベージしたら「すぐ」にお目当てのものが出てくるのである。
二十年前に「言わない方がいいこと」を言ってしまい、それを消去する手立てがないという場合には、それから後「そういうことを言いそうもない人」たるべく自己陶冶するはずである。
ジャン・バルジャンだって、別に「旧悪が露見した」わけではない。起業して成功し、人望篤い市長になっていたのである。彼の旧悪が明らかになったのは彼が無実の罪を着せられた人を救おうとしたためである。ふつう、心を入れ替えて「よい人」になろうと思って日々努力している人の身には「旧悪が露見する」ということは起こらない。もしかしたら、こいつ「ろくでもないやつ」じゃないのか・・・という疑惑を周囲に抱かせるからこそ「旧悪」を調べようという気になるのである。
だから「ネット時代になれば、誰でも過去の失言を咎められるリスクがある」というのは事実ではない。仮に過去に恥ずべき失言をなしたことがあったとしても、その後反省して、「そういうことを言いそうもない人」になるべく努力を重ねていれば、その人について「恥ずべき過去があるに違いない。いくら時間がかかっても構わない。徹底的に調べてやろう」という人は出てこない。
ネットというテクノロジーを駆使するのは生身の人間である。生身の人間においてある人物の「旧悪」を探す意欲がむらむらと湧き上がることがなければ、仮に恥ずべき過去があったとしても、それはいずれ忘れられる。それでいいと私は思う。
というコメントをしたのだが、企画自体が没になったので、コメントは採用されませんでしたという電話がさきほどあった。
せっかくしゃべったことなので、備忘のために書き残しておく。