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グローバル資本主義では、企業はどこかの国民国家に安定的に帰属するということはありません。最も賃金が低く、製造コストが安いところに工場を建て、公害規制の緩い国で廃棄物を棄て、政治が腐敗していて役人が簡単に買収できる国で法律の網の目をくぐり、租税回避地に本社を移して、税金を払わない、というのがグローバル企業の常識です。
2021年10月15日の内田樹さんの論考「コロナ後の世界」(その3)をご紹介する。
どおぞ。
グローバル経済から国民経済へ
コロナ後の世界でも、パンデミックが間歇的に起きるということを前提にした上で、何が起きるかについて予測をしてみたいと思います。第一は皆さんがすでに見通している通り、グローバル経済の停滞です。
グローバル資本主義の時代では、ヒト・商品・資本・情報が国民国家の国境線とかかわりなく、クロスボーダーに超高速で行き来するということが自明のこととされていました。しかし、コロナを経験したことによって、国民国家の国境線は思いの外ハードなものであることが再確認されました。
去年の1月に最初に医療崩壊を経験したイタリアでは、マスクとか防護服とか人工呼吸器といった基礎的な感染症対策の医療資源の備蓄がありませんでした。イタリアはすぐにフランスとドイツに緊急輸出を要請しましたが、両国ともこれを拒否しました。自国民の生命を優先的に配慮するので、他国には送れないということでした。そのせいで、イタリアは医療崩壊に陥り、多くの国民が死にました。EUでは国境線は有名無実であるとされていましたが、実際には国民国家の国境線は堅牢な「疫学上の壁」として排他的に機能しました。
「必要なものは、必要な時に、必要な量だけ、マーケットから調達できる」ということがグローバル資本主義の前提条件でしたが、この条件が覆されました。必要なものが、必要な時にマーケットでは調達できないことがある。考えれば当たり前のことですが、それが明らかになった。国民国家が、自国民の生命と健康を守ろうとするなら、必要なものは自国内で調達できる仕組みを整備すべきであって、「要る時になったら、金を出して買えばいい」というわけには行かない。そのことを世界は学習したのです。
でも、国民国家の排他性の強化という傾向は実はコロナの前から始まっていました。トランプは移民を入れないために、メキシコとの間に壁を作ろうとしました。イギリスはEUから抜けて、「英国ファースト」のブレグジットを選択しました。国民国家というのは17世紀のウェストファリア条約によって人為的に作られた政治的擬制ですから、歴史的条件が変われば、変質し、必然性を失えば消えてゆく。そういうものだと思われていました。しかし、われわれは「国民国家は意外にしぶとい」ということを学んだ。
資本主義の本家であるアメリカは、必要なものはそのつど市場で調達し、在庫は持たないという経営が評価される風土でしたから、感染症の医療資源についても、ほとんど在庫がありませんでした。医療資源は別に国産である必要はない。一番製造コストの安い途上国にアウトソースすればいい。経営者たちはそういう考えでした。ですから、感染初期にマスクや防護服といった最もベーシックでシンプルな医療品(つまり、製造コストの安い途上国にアウトソースできる商品)の戦略的備蓄がほとんどありませんでした。その結果、多数の感染者・死者を出した。別に高度医療が足りなかったのではなく、最低の製造コストで製造すればよいと思っていたものが手元になくて、たくさんの人が死んだのです。
感染症対策のためには医療資源に「スラック(余力、遊び)」が必要です。でも、感染症のための医療資源を大量に在庫として抱えておくと、感染症が流行しなければ、それはすべて「不良在庫」として扱われます。感染症はいつ来るか分からない。もしかしたら、この新型コロナがだってある日いきなり終息して、それから何年も「次のパンデミック」が来ないかも知れない。その間は、感染症のための病棟も医療器具も薬剤も、感染症専門の医師や看護師も「不良在庫」扱いされることになります。専門家に伺うと、感染症という診療科は大学病院でも「不要不急の診療科」という扱いを受けるんだそうです。病院経営者が「病床稼働率100パーセント」を目標に掲げ、「不良在庫一掃」を指示するような病院では感染症のための戦略的備蓄の余地がありません。
事実、日本ではこれまで保健所を減らしたり、病床数を減らしたり、ということをずっとやってきました。医療費をなんとか削減しなければならないということが国家的課題として掲げられていたからです。だから、医療機関を統廃合して、「スラックのない医療」をめざしてきた。だから、パンデミックに対応できずに医療崩壊を起こした。
アメリカは「スラックの戦略的必要性」ということをすぐに学習して、すでにトランプ在任中から、主要な医薬品と医療資源に関しては外国にアウトソースせず、国産に切り替えるという方向を示しました。もちろん製造コストははるかに高くなるわけですけれども、「金より命が大事」だという基本的なことは学習した。これから先は、米中の経済的な「デカップリング」もあって、サプライチェーンを他国に依存しないという動きが出てくると思います。でも、エネルギー、食料、医療などを国産に切り替えるというのはグローバル資本主義から逆行する方向です。
グローバル資本主義では、企業はどこかの国民国家に安定的に帰属するということはありません。最も賃金が低く、製造コストが安いところに工場を建て、公害規制の緩い国で廃棄物を棄て、政治が腐敗していて役人が簡単に買収できる国で法律の網の目をくぐり、租税回避地に本社を移して、税金を払わない、というのがグローバル企業の常識です。
だから、グローバル企業は21世紀に入ってから国民国家の国境線が強化されるというようなことは想像だにしていなかったと思います。でも、パンデミックのせいで今起きているのは、いかなる企業も、国民国家の国家内部的存在であって、その国に対して帰属感を抱き、同胞たる国民のために雇用を創出し、国庫に多額の税金を納める「べき」だという国民経済への回帰の心理です。まさか、21世紀になって「国民経済への回帰」が起きるとは思ってもいませんでしたが、もしかすると、これは不可逆的なプロセスであるかも知れません。
気象変動で分かる通り、グローバル資本主義はいかなる国民国家に対しても帰属意識も忠誠心も持たないばかりか、地球に対しても愛着がなく、人類に対して同胞意識を抱かない存在です。国連が始めたSDGsもそうですけれど、この十年ほどは「グローバル資本主義を抑制して、国民国家単位で、自国民の利益を優先するように行動する」という動きを各国政府がするようになりました。グローバル企業が大儲けすれば、「トリクルダウン」があって、国民は恩沢に浴するのだから、政府は企業が経済活動しやすいように支援していればよくて、国民への公的支援は要らないというタイプの、バケツの底の抜けたような「新自由主義」政策はもう命脈尽きたということです。