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内田樹さんの「コロナ後の世界」(その5) ☆ あさもりのりひこ No.1068

さまざまな指標が日本の学校教育が失敗していることを示していますが、それは「日本の学校はレベルが低くても別に構わない」という考え方をする人が、実際には教育の制度設計に強い発言力を持っているからではないかと僕は考えています。

 

 

2021年10月15日の内田樹さんの論考「コロナ後の世界」(その5)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

教育システムの再国産化

 

 教育システムもコロナ後の世界では変化をこうむる可能性があると僕は考えています。この30年近く、日本の学校教育は「グローバル化」をめざして再編されてきました。しかし、日本のいまの学術的発信力の低下は目を覆わんばかりです。さまざまな指標が日本の学校教育が失敗していることを示していますが、それは「日本の学校はレベルが低くても別に構わない」という考え方をする人が、実際には教育の制度設計に強い発言力を持っているからではないかと僕は考えています。学校教育を通じて、「世界に通じる日本人」を育成しようとしているという大義名分を掲げながら、「世界に通じる日本人」の育成を海外の教育機関にアウトソースしようとしているように僕には見えるのです。

 実際に良質な学校教育を受けたかったら、アメリカやヨーロッパに行けばいいということを平然と言う人がいます。日本の大学を世界レベルのものにするために手間をかけたり、予算をつけたりする必要はない。そんなところに無駄なリソースを使うよりは、すでに世界的な人材を輩出しているレベルの高い学校に送り込めば済む。ほんとうに良質な教育を受けたかったら、ハーバードに行け、ケンブリッジに行け、北京大学に行けばいい。そういうところに行くだけの資金力や学力の足りない人間は日本の大学で我慢しろというようなことを平然と言い放つ人がいます。

 現に、今の日本のエスタブリッシュメントでは、子どもたちを中等教育の段階から海外の学校に送り込むことがステータスの証になっています。「教育のアウトソーシング」です。でも、必要な教育は自前で整備する必要はない、金がある者は金で教育を買えばいいという発想をすれば、日本の学校教育は空洞化して当然です。

 1年間の海外留学を保障するという大学はいま受験生には非常に人気があります。志願者も大学もともにこれを喜んでいる。大学にしてみたら25%の教育コストをカットできるわけですからありがたい話です。教職員の人件費も、光熱費も、トイレットペーパーの消費量まで4分の1減らせる。授業料は満額もらっておいて、留学生受け入れ先の海外の学校に払った後は「中抜き」ができる。教育を何もしないでお金が入って来る。でも、これは大学の存在理由を掘り崩しかねない制度だという危機感が感じられません。

 そのうち、誰かが留学期間を1年間ではなく2年間にしたらどうだと言い出すでしょう。そうすれば教育コストは50%カットできる。教職員も半分に減らせる。校舎校地も半分で済む。そのうち「いっそ4年間海外留学させたらどうか」と誰かが言い出す。そうしたらもうキャンパスも要らないし、教職員も要らない。サーバーが一個あれば済む。もう大学そのものが要らなくなる。教育をアウトソースするということはそういうことなんです。学生の「ニーズ」にお応えして、教育コストをカットすることを優先していると、最終的な結論は「じゃあ、大学なんか要らないじゃないか」ということになる。今の日本で起きているのは、そういうことです。

 近代学制は明治時代に制度設計されましたけれど、それは「日本人教員が、日本語で、世界水準の教育を行える環境を創り上げる」ことを目指していました。最初は外国人の「お雇い教員」が英語やフランス語やドイツ語で授業を行いましたが、わずか一世代後には日本人教員が日本語で同程度の授業をできる体制を作り出した。「教育の国産化」を果たしたのです。もし、明治初期に「自前で世界レベルの高等教育機関を作るのはコストがかかるから、中等教育までは国内でやるにしても、高等教育は欧米に留学させればいい。アウトソースできるものはアウトソースするのが合理的だ」と言い立てる人たちが政策決定をしていたら、日本はそのあとも先進国の仲間入りすることはできていなかったでしょう。

 明治人は世界レベルの高等教育を日本国内で行える環境を整えるためにたいへんな努力をしました。当時の人たちが今の日本の高等教育を見たら愕然とすると思います。国内の大学で育てるのは「普通のサラリーマン」だけでいい。いずれ日本の指導層を形成するエリートは海外の一流の高等教育機関で育ててもらえばいいということを考えている人たちが日本の指導層を形成しているんですから。

 パンデミックのせいで、この1年半の間、留学生たちが行き来できなくなりました。そして、「教育のアウトソーシング」というのはいつでも好きな時にできるわけではないという当たり前のことを日本人は学習しました。金さえ出せば、どこにでも好きなところに移動できるという前提そのものがいかに危ういものであるかが分かった。もし「日本には高等教育機関は要らない。要る人は海外に出て行けばいい」という考えに基づいて教育制度が設計されていたら、国境線が「疫学的な壁」になってしまった時に、日本人は高等教育へのアクセス機会を失うことになります。それが長期的に日本の国力をどれほど損なうことになるのか。そのリスクをまったく勘定に入れてこないで教育を論じてきたことを彼らはもう少し恥じてもいいと思います。

 

 医療も教育も、エネルギーも食料も、国が存続するために不可欠のものは、一定程度の戦略的備蓄は必要です。「アウトソースした方がコストが安い」という人たちは「アウトソースできない時がある」ということを考えていないのです。国境線が「疫学的な壁」になってクロスボーダーな行き来が一定期間止まってしまった場合でも、自前で何とかできるように備えるのが「リスクヘッジ」ということです。そのことのたいせつさをパンデミックは教えてくれたと僕は思います。