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内田樹さんの「コロナ後の世界」(その7) ☆ あさもりのりひこ No.1071

中国国内では台湾を侵攻するかもしれないという世論形成がなされ、アメリカ国内では台湾がもし中国に攻められたら、見捨てようということを公然と言う人が出てきている。そういうことを日本のメディアはほとんど報道しませんし、冷静な分析記事を読むこともありません。

 

 

2021年10月15日の内田樹さんの論考「コロナ後の世界」(その7)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

中国のリスクファクター

 

一つは人口動態です。中国の国防費の総額は年々増えています。しかし、そのすべてが兵器の開発や充実に用いられているわけではありません。世界のどこの国でも国防費の相当部分は人件費です。中国の国防費に占める人件費の割合は予測ですが、おそらく30%から40%だと思われます。現役の軍人の給料であれば、それは軍事費としてカウントできますが、人件費には退役軍人の年金も含まれています。これは国防上には積極的な意味はありません。そして、この年金支出が国防費に占める割合が年々高まっている。

 中国の人口は2027年にピークアウトして、それから急激な高齢化と人口減局面を迎えて、以後一年に500万人のペースで人口が減ります。特に生産年齢人口の減少が顕著で、2040年までに30%の減少が見込まれています。一方高齢者は激増して、2040年には65歳以上が3億5000万人以上になります。それに、「一人っ子政策」が1979年から2015年まで採用されていたせいで、この世代には男性が女性よりずっと多い。ですから、男性たち、それも低学歴・低収入の男性が生涯未婚で老後を迎えます。彼らは親が死んでしまうと、兄弟姉妹も配偶者も子どももいない天涯孤独の身になります。中国では経済リスクを抱えた個人の救済のためには親族ネットワークがありましたが、親族がいない人にはこのセーフティネットがありません。中国はこの何千万もの高齢者を支える社会保障システムをいまは持っていません。これから構築しなければならない。

 ですから、中国としてはもう大型固定基地とか、巨大空母とか、巨大な軍隊を持つより、早くAI軍拡へ舵を切りたいのだと思います。初期経費はかかりますが、長期的な管理コストはAIの方が圧倒的に安いからです。ドローンやロボットには給料を払う必要もないし、年金受給も要求しませんから。ですから、中国の人口動態はAI化推進へのインセンティブになると思います。

 中国にはもう一つの懸念材料があります。それは治安維持コストの高騰です。すでにだいぶ前から治安維持コストは国防費を越えています。つまり、中国政府は予算配分上は「海外からの軍事的侵略リスク」よりも「国内における内乱リスク」の方を高く見積もっているということです。膨大な予算を投じて国民を監視している。顔認証、虹彩認証、声紋認証など、中国の国民監視テクノロジーは世界一です。この監視テクノロジーはシンガポールやアフリカの独裁国家へと輸出されています。

 香港や新疆ウイグルの統治問題もありますから、これから先、中国の国家予算に占める国民監視コストは増大することはあっても、減少することはないと思います。これも先行きは中国政府のフリーハンドをかなり制約する要因になるでしょう。

 

 うちの門人に台湾の方がいます。日本企業の社員で、いま上海に出向しています。先日彼が一時帰国した時に挨拶に来てくれたので、最近の上海の様子を伺いました。ショックだったのは、彼が会社で中国人の同僚と会話しているときに、彼が台湾出身だと知りながら、「台湾への軍事侵攻」の話題が日常会話で出てきたという話でした。「もうすぐ台湾は中国に併合されるだろう」というようなことを中国の一般市民が日常会話で平然と口にしている。

 中国政府が台湾侵攻の計画をほんとうに練っているのかどうかは分かりませんが、国民に対して、「いつでも台湾を軍事侵攻する用意がある」というアナウンスをしていて、いざそういうことが起きた時にも批判的な世論が出てこないように世論操作を始めていることはたしかです。

 中国の台湾への軍事侵攻は果たしてあるのでしょうか。『フォーリン・アフェアーズ・レポート』の6月号にショッキングな論文が出ていました。それはもし中国軍が台湾に侵攻しても、アメリカ軍は出動すべきではないと主張したものです。その場合には、気の毒だが台湾を見捨てよう。台湾を守るために出動すれば米中の全面戦争になってしまう。それは回避すべきだというのです。

 台湾への軍事侵攻を座視していた場合の最大のリスクは、韓国と日本がアメリカに対する信頼を失って、同盟関係に傷がつくことだけれど、これについては心配する必要がない。アメリカが台湾を見捨てた場合、日本と韓国はアメリカに対して不信感を抱くよりはむしろ中国に対する恐怖心をつのらせ、一層アメリカとの同盟関係を強固なものにしようとするだろうという予測でした。

 中国国内では台湾を侵攻するかもしれないという世論形成がなされ、アメリカ国内では台湾がもし中国に攻められたら、見捨てようということを公然と言う人が出てきている。そういうことを日本のメディアはほとんど報道しませんし、冷静な分析記事を読むこともありません。

でも、いまパンデミックをきっかけに世界の軍事状況が変化しつつあることは間違いありません。AI化が進行すれば、これから大型固定基地は不要になります。広いエリアに大量の武器弾薬を備蓄して、何万人も兵隊たちを住まわせておくというタイプの大型固定基地は時代遅れのものになる。

 そうなった時に米軍は日本国内の米軍基地を返還するでしょうか。僕はかりに米政府が在外基地の撤収を検討し始めても、日本の場合は米軍が強硬に反対するだろうと思います。大型固定基地と、そこに付属している諸設備を米軍は「既得権」であり、「私有財産」だと思っています。ですから、軍略上の必要性がなくなったあとも、手離さないだろうと思います。

 アメリカはキューバのグァンタナモ基地を返還していません。100年以上前の米西戦争の時に租借して、いまも年額4000ドルで借り上げています。当然、キューバ政府は以前から返還を要求し続けていますが、米軍は返す気がありません。

 

 グァンタナモ基地にはアメリカ国内法もキューバの法律も適用されません。ですから、米軍はその基地内では米軍のレギュレーションだけに従って、好きなことができる。一種の治外法権空間です。キューバは返還をつよく要求しているのにアメリカは返還しない。日本は返還要求さえしていないのですから、返還されるわけがない。地政学的環境や軍備のありようがこの先大きく変わった場合でも、おそらく日本国内の米軍基地は未来永劫「米軍の資産」として残されるでしょう。