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内田樹さんの「コロナ後の世界」(その8) ☆ あさもりのりひこ No.1072

国民を敵味方に分断して、味方の利害だけを配慮するというのは「ナショナリズム(nationalism)」ではありません。それは「トライバリズム(traibalism)」、部族主義です。

 

 

2021年10月15日の内田樹さんの論考「コロナ後の世界」(その8)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

野蛮なトライバリズムから健全なナショナリズムへ

 

 パンデミックでグローバル資本主義が停滞して、国民国家の再強化が始まりました。グローバル経済から国民経済へのシフトが始まる。これまでアウトソースしていたもののうち、集団の存続に必須のものは国産化されるようになる。SDGsや気象変動に対するトランスナショナルな行動は、グローバル資本主義の暴走を止めて、政治単位としての国民国家の力を強めようとする動きですから、これも平仄が合っています。「グローバルからナショナルへ」という流れはこのあとしばらく続くでしょう。

 問題は国民国家の再強化がどのような形のナショナリズムを生み出すかということです。パンデミックで露呈したのは、どの国も、結局一番大事なのは自国民を守ることだったということです。

 菅政権が短命に終わったのは、「国民国家の最重要の任務は自国民の健康と生命を守ることだ」という世界の常識を過少評価したことです。安倍―菅政権は、「すべての国民の利害を代表する」のではなく、身内や縁故者や支持者の利益を優先的に配慮しました。反対者を含めて全国民の利益を代表する気がありませんでした。国民を分断して、一部の身内の利益を配慮する方が、国民を統合して、全体の利益を配慮するよりも政権維持には有利だということを学習した。

 でも、その成功体験がかえって感染症対策の足をひっぱっることになりました。感染症は国民の政治的立場にもその他の属性にもかかわらず、国内の全住民に等しく良質な医療機会を提供することなしには抑制できません。でも、「その政治的立場にかかわらず、全国民の利益を配慮する」ということを政権は過去9年間本気で取り組んだことがなかった。だから、やり方がわからなかった。それが感染症対策の失敗の原因だと思います。

 国境線の外側に関しては国境線の壁を守って、かなり排他的ではあるけれども、国内については、その属性にかかわりなく、全住民の権利を等しく配慮するというタイプの為政者がこれから世界では「あるべき政治家」となることでしょう。少なくともそれが「疫学的に望ましい統治者」です。

 そのような趨勢が「健全なナショナリズム」の形成に結びつけばよいのですが、排外主義イデオロギーに転化するリスクが高い。ですから、ナショナリズムが過激化することなく、国民国家の同胞たち、「有縁の人たち」をまず配慮するけれども、過度に排外主義的にならないような「穏やかなナショナリズム」がこれからめざすべきイデオロギー的な着地点だと思います。

 しかし、いまの日本で「ナショナリズム」と呼ばれているものは、その語の本来の意味での「ナショナリズム」ではありません。国民を敵味方に分断して、味方の利害だけを配慮するというのは「ナショナリズム(nationalism)」ではありません。それは「トライバリズム(traibalism)」、部族主義です。

 ナショナリズムというのは、その属性にかかわらず、性別や信教や出自や政治的立場にかかわらず、「日本人であればみな同胞」として温かく包摂することです。国民を政治的立場で色分けして、反対者には権利を認めず、資源の分配から遠ざけるというような政治家は「ナショナリスト」とは呼ばれません。それはただの「トライバリスト」です。彼は「自分の部族」を代表しているのであって、「国民」を代表しているわけではない。

 このトライバリストたちによる政治がこの10年間日本をこれだけ衰微させてきたのです。トライバリストは国民を分断することによって長期政権を保つことには成功しましたけれど、敵や反対者の活動を封殺し、公的セクターから排除したために、国力は著しく低下しました。当然のことです。国民の一部しか国家的な事業に参加する資格を認められないのなら、国力は衰微します。多くの場合、イノベーションは学術的なものも、ビジネスモデルでも、メインストリームの外側にいる人たちが起こすものです。でも、トライバリストたちは自分たちの「部族」に属している人間にしか公的支援を行わないできた。日本学術会議の会員任命拒否が典型的ですけれども、政府は「政権に反対する学者には公的支援を行わない」という姿勢を明らかにしました。「部族」外のイノベーターには機会を与えないということを10年間続ければ、経済力も、文化的発信力も、国際社会におけるプレゼンスも劇的に低下して当然です。

 かつて帝国主義国家が植民地を支配するときに活用した「分断統治(divide and rule)」によってたしかに政権基盤は安定しましたけれど、国力は失われた。植民地の場合はそれでもよかったのです。植民地は宗主国にとっての収奪の対象であって、むさぼるだけむさぼって、収奪する資源が尽きたら棄てればいいからです。でも、独立国が自国の統治に「植民地主義」を適用するということはあり得ないことです。その「あり得ないこと」を過去10年間安倍ー菅政権は行ってきた。この致命的な失策をどこかで補正しなければなりません。どこかで、トライバリズムを棄てて「ふつうのナショナリズム」に立ち戻る必要があります。その道筋はまだ見えていませんが、それ以外に日本再生のチャンスはありません。