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内田樹さんの「2021年総選挙の総括」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1075

わが国で女性議員が少ないのは、男たちが女性の政治進出を妨害しているというよりは、「女性の政治参加を求めない政党」が久しく政権の座にあり、彼らが選挙に勝ち続けているからである。

 

 

2021年11月8日の内田樹さんの論考「2021年総選挙の総括」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「女性議員はなぜ少ないのか?」中日新聞11月4日

 

 総選挙の総括を複数の媒体に寄稿した。違うところに同じ内容を書くのは学術の世界では「二重投稿」と言われて禁忌である。だから何とか違うことを書かねばならない。これまで「争点」「どぶ板選挙」「野党共闘」について書いた。この欄では「女性候補者の少なさ」について書く。

 今回の衆院選では45人の女性が当選した。前回から2人減。全当選者のうち女性が占める割合は9.7%。でも、これで驚いてはいけない。女性が参政権を得た戦後最初の総選挙でも、実は女性当選者は39人、議員総数の8.4%に過ぎなかったからであった。以来75年間、女性議員の割合は10%ラインを上下している。参議院では女性議員数は微増し続け現在は22.9%にまで来ているが、衆議院は2009年の11.3%が過去最高である。ずっとその程度なのである。

 有権者の50%は女性であるのに、彼女たちの集団を代表するはずの議員が10%以下しかいないというのはよく考えると不思議な話である。それどころか、市町村議会レベルだと「女性議員ゼロ」という議会が342(全議会の約20%)に及ぶ。

 どうして女性議員の比率はこれほど低いのか。いろいろな理由が考えられる。

 私は「どうしてこれほど女性議員の比率が少ないのか?」という問いの立て方そのものが問題の所在をむしろ分かりにくくしているような気がする。こう問うと、あたかも男女間に議席のゼロサム的な奪い合いがあり、男性がそれに勝利し続けているというような印象を私たちは抱いてしまうからである。だが、議席の9割を占める男性国会議員たちが「女性議員の数を増やさない」という暗黙の目的を掲げて一つの集団を形成しているようには見えない。男性議員たちは政党同士ではげしく対立し、同一政党内でもヘゲモニーをめぐって抗争を繰り広げている。そんな男たちが「女性の政治参加を阻止する」という一点についてだけは足並みを揃えているという仮説を私は採らない。

 現に、政党ごとに女性立候補者の比率は大きく違う。今回の衆院選でも、社民党は60%、共産党は35.4%、国民が29.6%、れいわが23.8%と野党は総じて高い。だが、自民は9.8%、公明は7.5%といずれもこれまでの女性国会議員の比率よりも低い候補者しか立てていない。つまり、与党の二政党ははっきりと「女性国会議員を増やす気がない」という意思表示をして選挙に臨んでいたのである。

 女性議員を増やすための「クオータ制」がときどき議論される。候補者や議席の一定数を女性に割り当て、違反した政党には政党助成金の減額などのペナルティを与えるという制度である。

 男性と女性の間で議席のゼロサム的な奪い合いがあり、その戦いに男性が勝ち続けているというのなら、そのようにして性間での資源分配に強権的に介入することには合理性がある。けれども、わが国で女性議員が少ないのは、男たちが女性の政治進出を妨害しているというよりは、「女性の政治参加を求めない政党」が久しく政権の座にあり、彼らが選挙に勝ち続けているからである。

 多数の女性有権者が「女性議員は少ない方がいい」と考えている政党に進んで投票し続けていることを「変だ」と思い始めない限り、現状は変わらない。

 

「若者はどうして投票しないのか?」信濃毎日新聞11月5日

 

 今回の衆院選も投票率が低かった。55.93%は戦後ワースト3位。特に若者の投票率が低かった。18歳が51.1%、19歳に至っては35.0%という目を覆わんばかりの数値だった。

 どうして若い人たちは投票をしないのかあちこちで訊かれた。私の仮説は「受験教育のせいかも知れない」というものである。その話をする。

 受験教育では教師が問いを出し、生徒にしばらく考えさせてから正解を示す。生徒たちは「問いと正解」をセットにして記憶する。そして、次に同じ問いを前にすると、覚えていた正解を出力する。正解を知らない場合にはうつむいて黙っている。誤答をするよりうつむいて黙っている方が「まし」だからである。少なくとも教室ではそうだ。教師は黙っている生徒にはとりあわず、次の生徒に向かう。だから、「誤答するくらいなら黙っている方がまし」ということが「成功体験」として日本の多くの子どもたちには刷り込まれている。

 

 選挙では「誰に投票すれば正しいか」という「正解」が事前には与えられていない。若者たちの多くはどの候補者が「正しい」かを判断するほどの情報を持っていない。友だちや家族とそれについて意見交換することもたぶんあまりないだろう。だから、彼らは「正解」を知らない状態で投票日を迎えることになる。そして、受験勉強で刷り込まれた「正解を知らないときは、誤答するよりは沈黙していた方がまし」という経験則を適用する。教師に「どうしてそんなバカな答えを思いついたのだ」と絡まれずに済むし、的外れな答えを口にするよりは黙っている方がまだしも賢そうに見える。中高生には熟知された事実だ。だとすれば、「正解」を知らない選挙では投票しないことが「まし」だという結論になる。いささか暴論だが、その可能性はあると思う。