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内田樹さんの「憲法の話(長いです)」(その5) ☆ あさもりのりひこ No.1084

国民の多くが憲法を「ろくでもないもの」だと思い、一刻も早く改定すべきだと思っていたら、制定過程についての「裏情報」はもっと流布していただろう。でも、戦中派の人たちはそう思わなかった。すばらしい憲法だと思っていた。だから、制定過程についてあれこれと語ることで、憲法のインテグリティーに傷をつけたくないと思った。

 

 

2021年11月3日の内田樹さんの論考「憲法の話(長いです)」(その5)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 そうやって何年か経った。憲法は日本の風土に根づき始めたように見えた。戦後に生まれた子どもたちは憲法を「自然物」のように素直に受け入れ、民主主義社会の空気を呼吸している。それを見て、戦中派の人たちはこう考えた。後はこの子たちに任せておけばいいじゃないか。この子たちは「生まれつきの国民主体」なのだ。この子たちに「好きに憲法を制定していいよ」と言ったら、きっとすらすらと今あるような憲法を起草するに違いない。だったら、今さら「日本国民は存在しない」「私たちは憲法制定の主体ではない」などという痛ましい事実をカミングアウトするには及ばない。黙っていても、「日本国民」は育っている。もう大丈夫だ。あと数十年も経てば、列島住民のほとんどが「憲法制定の主体」たりうる日本国民になっているはずだ、と。たぶんそういうふうに考えたのだと思う。そうでなければ、戦中派世代の制憲過程についての集団的な沈黙は説明できない。

 

 でも、まことに残念ながら、歴史は彼らが予想したようには推移しなかった。

 私たちは戦後民主主義からの気前のよい権限委譲を享受するだけ享受したあげくに、あっさりと憲法のことを忘れて、あろうことか戦後民主主義の「欺瞞性」を罵倒するようになった。その時の戦中派の落胆はいかばかりであっただろうか。

 でも、もう遅かった。私たちは「生まれついての憲法の申し子」であり、戦後民主主義が提供してくれる「果実」を食いたい放題に食うことは許されたけれども、憲法の精神を血肉化する義務があるとは教えられなかった。私たちにはもう「血肉化済み」だと思われていたのである。でも、そうではなかった。そして、何十年かして、私たちは改憲派に思い切り足をすくわれることになった。

 

 改憲派のアドバンテージはその一点に尽きる。憲法制定過程に日本国民は関与していない。これはGHQの作文だ。アメリカが日本を弱体化させるため仕掛けた戦略的なトラップだというのが改憲論を基礎づけるロジックだが、ここには一片の真実があることは認めざるを得ない。

 憲法制定過程に「超憲法的主体」であるGHQが深く関与したことが憲法の正当性を傷つけていると改憲派は言う。一方、護憲派はGHQの関与については語ろうとしない。「日本国民が制定した」という物語にしがみついた。

 繰り返し言うが、憲法を制定するのは「憲法条文内部的に主権者と認定された主体」ではない。憲法を制定するのは、歴史上ほとんどの場合、戦争や革命や反乱によって前の政治体制を覆した政治的強者だ。それは大日本帝国憲法も同じである。

 大日本帝国憲法において主権者は天皇である。「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と第一条に記してある。そして、その条項を起草したのも天皇自身であるということになっている。だから、大日本帝国憲法の「上諭」には「朕」は「朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典を宣布ス」と明記してある。

 でも、別に憲法制定の「大権」が歴代天皇には認められていたなどということはない。勅諭や綸旨ならいくらでも出したが、「憲法」という概念自身が近代の産物なのであるから、憲法制定大権なる概念を明治天皇が「祖宗」に「承クル」はずがない。実際に明治憲法を書いたのは伊藤博文ら元勲である。明治維新で徳川幕府を倒し、維新後の権力闘争に勝ち残った政治家たちがその「超憲法的実力」を恃んでこの憲法を制定したのである。やっていることはGHQと変わらない。

 憲法というのはもともと「そういうもの」なのだ。圧倒的な政治的実力を持つ超憲法的主体がそれを制定する。それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」については、憲法のどこにも書かれていない。でも、書かれてなくても、知っている人は知っている。

 明治時代の人たちだって、憲法を起草したのが元勲たちで、それが近代国家としての「体面」を繕い、国際社会にフルメンバーとして加わり、欧米との不平等条約を改定するために必要だからということも知っていたはずである。薩長のエリートたちによる支配を正当化し、恒久化するための政治的装置だということも知っていたはずである。

 日本国憲法だって同じである。これもまた圧倒的な政治的実力を持つ超憲法的主体によって制定された。それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」は、憲法のどこにも書かれていない。「上諭」にも書かれていない。でも、知っている人は知っていた。問題は、日本国憲法の場合は、制憲過程について「知っている人」たちがそれについて久しく口を噤んでいたことである。

 国民の多くが憲法を「ろくでもないもの」だと思い、一刻も早く改定すべきだと思っていたら、制定過程についての「裏情報」はもっと流布していただろう。でも、戦中派の人たちはそう思わなかった。すばらしい憲法だと思っていた。だから、制定過程についてあれこれと語ることで、憲法のインテグリティーに傷をつけたくないと思った。たぶんそうなのだろうと思う。

 

 戦中派は善意でそうしたのだと思う。私はそれを疑わない。彼らは戦後の日本社会を1945年8月15日以前と完全に切り離されたものとして、戦前と繋がる回路を遮断された「無菌状態」のものとして立ち上げようとした。だから、戦争の時に何があったのか、自分たちが何をしてきたかについて口を噤み、憲法制定過程についても語らなかった。それを語るためには、日本には、主権者である「日本国民」のさらに上に日本国民に主権者の地位を「下賜」した超憲法的主体としてのアメリカがいるのだが、それは自分たちが戦争をして、負けたせいだからだという痛ましい真実を語らなければならない。子どもたちに言って聞かせるにはあまりにつらい事実だった。