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内田樹さんの「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その2)」 ☆ あさもりのりひこ No.1096

今回のコロナ騒動でグローバル資本主義はどうも限界にきたらしいということがはっきりしました。

 

 

2021年11月23日の内田樹さんの論考「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その2)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 第二の変化は経済システムについてのものです。今回のコロナ騒動でグローバル資本主義はどうも限界にきたらしいということがはっきりしました。多国籍企業に牽引されたグローバル資本主義が政治や経済の仕組みを変え、ついには生態系にまで大きな影響を与えて、人類の生存を脅かし始めたというのが今日の状況です。

 多国籍企業はどの国民国家にも帰属せず、どこの国民に対しても「同胞」という感覚を抱かず、株主の利益を最大化することだけを目的とする事業体です。それが現在の経済システムを支配している。でも、こうした企業の野放図な活動を止めないと、もう地球環境は持たないし、貧富の格差も拡大し、僕たちの生活基盤そのものが破壊されてしまう。どこかでグローバル資本主義の活動を抑制しなければならないということが国際社会でも同意を広げてきました。

 例えば、SDGsがそうです。これは国連が提案し、貧困をなくす、豊かな自然を守る、などの目標を掲げて対応策を出したものです。国連は国民国家の連合体ですから、これはグローバル資本主義に対する「国民国家の側からの異議申し立て」というふうに理解してよいかと思います。

 国連だけではなく、今世界中で若い人が中心になって多国籍企業の行動に歯止めをかけて、気象変動を抑制しようとして活動しています。『人新世の「資本論」』の著者でマルクス主義の復権を訴える斎藤幸平さんのような若手の経済学者も出てきました。今の若い世代は、グローバル資本主義を暴走させたままにしておくと、自分たちの生存が脅かされるということを実感し始めています。

 そのような動きのさなかにコロナが来た。これは結果的にはグローバル資本主義の暴走に対する抑制として働きました。物流が止まり、企業の経済活動が停滞し、飛行機も飛ばなくなりましたので、CO2の排出量が減り、いろいろな国で大気汚染が緩和されたり、海洋が浄化された。パンデミックで、人や商品のクロスボーダーな動きが抑制されたことで、環境負荷が軽減されたのです。ですから、見方によっては、コロナは自然から文明社会へ向けての「いい加減にしろ」という手厳しい叱責だというふうに見立てることもできます。

 

 グローバル資本主義の抑制と国民国家の再構築は一つのコインの裏表です。国民国家の連合体である国連が主導してSDGsという「グローバル資本主義の暴走抑制」政策が提言されたわけですから、国民国家は本質的にはグローバル資本主義と相性がよくありません。

 国民国家(Nation-State)というのは、1648年のウエストファリア条約によって成立した新しい世界の枠組みです。ある地域に、同一人種、同一宗教、同一言語、同一生活文化を共有する「国民」という同質性の高い人々が暮らしていて、この人たちは基本的に利害が一致しているというのが「国民国家」という概念の基本になるアイディアです。そういうものがもともと存在していたわけではありません。それ以前は帝国の時代であり、巨大な帝国の中に人種も宗教も言語も異にする多民族が共生していました。それが17世紀頃から、同質的の高い「国民国家」というものを基本的な政治単位とみなした方が、「帝国」を政治単位として考えるよりも、今起きている政治的出来事を説明したり、未来を予測したりすることに適しているということになった。だから「国民国家」を政治単位とするという考え方が採用されました。一定の歴史的条件が整ったせいで採用されたアイディアですから、歴史的条件が変われば、賞味期限が切れて、使い勝手が悪くなるということもあり得る。

 グローバル企業は複数の国民国家にまたがって活動します。最も人件費の安いところで人を雇い、最も公害規制のゆるいところに工場を建て、最も税金の安いところに本社機能を移す。どの国民国家にも帰属しないし、どこの国民国家の「国益」も配慮しない。どの国民国家のメンバーも気づかうべき「同胞」とはみなさない。そういう事業体です。

 日本企業である以上は、日本国内で操業して雇用を創出し、日本の国庫に税金を納めて、日本の同胞たちに安価で質の良い商品やサービスを提供し、日本の生態系や伝統文化を守るべきだ・・・というのが伝統的な「国民国家内部的企業」の建前でした。けれども、グローバル企業にはもうそういう「しばり」がありません。そして、そういう「しばり」のない企業の方が競争においては圧倒的に優位に立てる。ですから、資本主義社会では、すべての営利企業はグローバル化を目指すことになる。でも、そういう企業の形態が支配的になると、国民国家はもう持たないわけです。それがグローバル企業と国民国家は「相性が悪い」ということです。

 EUは域内の国境線を事実上廃止して、人や商品の出入りを自由化し、通貨や度量衡を統一しました。その結果、複数の国民国家があたかもひとつの「帝国」のようにふるまうことが理論上はできるようになりました。EUの版図はかつての神聖ローマ帝国のそれとほぼ一致します。国民国家は解体されてゆくのかと思っていたら、コロナが来た。そして、消えかけていたと思われていた国民国家の国境線が再び「疫学的な壁」として甦った。

 国境線は幻想ではなく、リアルな壁でした。ヨーロッパの人がそれを実感したのが、医療の分野です。2020年初めにイタリアがヨーロッパで最初に医療崩壊を起こしました。ただちにEU同盟国のフランスやドイツに医療支援を求めました。けれども、フランスもドイツも医療品の輸出を断りました。自国民の健康を優先的に配慮するというのです。どんな商品もサービスも自由に国境線を越えて行き来するはずだったのに、そうならなかった。

 アメリカではすでに70万人以上の死者が出ています。南北戦争の戦死者数を上回る数字です。世界最高レベルの医療技術のアメリカで医療崩壊が起きたのは、感染拡大の初期にマスクや防護服や検査キットのような基礎的な医療品の備蓄がなかったせいです。

 アメリカでは医療分野でも、経営者マインドが徹底していますから、不要な在庫は持たない。「必要なものは、必要な時に、必要な量だけ、市場で調達する」というジャストイン生産システムが理想とされています。だから、マスクや防護服のような、特段の技術も要らない、材料とミシンだけあればできるようなシンプルな医療品は国内生産なんかしない。人件費の安い海外の途上国にアウトソースしていた。

 そのせいで、感染が拡大して、「いざ必要」という時に国内に備蓄がまったくなかった。注文しても、世界中の国が奪い合っていましたから、手に入らない。そうやってたくさんの人が死にました。これは「不要在庫を抱え込むのは愚かな経営者だ」という企業経営者の常識が「国民の生命と安全のためにほんとうに必要なものは海外にアウトソースすべきではない」という国民国家の常識より優先されたことの結果です。

「リスクヘッジ」というのは「丁半ばくち」で丁と半の両方に張ることです。用意したものの半分は無駄になる。でも、どちらの目が出ても困らない。この「無駄」のことを経済学の用語では「スラック(slack)」と言います。何かあった時のための「余裕」「ゆとり」「たるみ」のことです。システムがクラッシュしないようにするためには、スラックは絶対に必要です。でも、ビジネスマンはスラックをただの「無駄」としか見なさない。感染症のための医療品も、感染症専用病棟も、感染症専門医さえも、感染爆発が起きない限り「資源の無駄」だと見なす。だから、ビジネスマインドで医療システムを設計したら、いつ来るか分からない感染症のために戦略的な備蓄をしておくということはあり得ないのです。そうやってアメリカの医療崩壊は起きて、多くの人が死にました。

 これらの出来事は、国民国家の常識と資本主義の常識の間に大きな「ずれ」があることを前景化しました。それがコロナのもたらした重要な教えだったと思います。国境線の「こちら側」は医療体制が整っているので、コロナに罹っても命が助かり、国境線の「あちら側」は医療崩壊していたので、命が失われた。同じ病気に罹っても、国境線のこちらとあちらで生き死にが分かれたのです。国境線がこれほど決定的な境界線であったということを僕たちは改めて思い知らされた。

 

 消えるはずだった国境線が「疫学的な壁」として改めて再建された。それは世界各地でナショナリズムが息を吹き返してきたことと平仄が合っています。グローバル化が進行するにつれて、それに対するカウンターとしてのナョナリズムの覚醒が世界各地で始まった。ブレグジットを選択した英国、「アメリカ・ファースト」で熱狂的な支持を集めたトランプ大統領時代のアメリカ、ヨーロッパでも、フランス、ドイツ、ハンガリー、ポーランド、オランダなどでは排外主義的な政党が国民的支持を集めています。日本でも、排外主義的な言説を平然と口にする政治家が増えてきました。コロナ以前からの世界的な傾向でしたが、コロナが国境線の分断機能を強化した以上、ナショナリズムがさらに亢進するリスクは高いと思います。