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内田樹さんの「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その5)」 ☆ あさもりのりひこ No.1100

自分がナショナリズムという取り扱いの難しいものを操作しているということに対する警戒心と、疚しさと、ある種の含羞を感じながら、ていねいにこの装置を使う。

 

 

2021年11月23日の内田樹さんの論考「寺子屋ゼミ後期オリエンテーション「コロナ後の世界」(その5)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 後期では、コロナの前後でどんな変化が起きたか、その変化はどういう意味をもつのか、あるいは社会をどう変化させるべきか、などを含めて自由に語っていただくようお願いしたい。みなさんの興味があってよく知っている分野、多様な分野ということですが、もっと専門的な話でもかまいません。僕と同じように大風呂敷を広げて「コロナ後の世界はこう変わる」と未来予測して頂いても結構です。また、これからアメリカはどうなる、中国は、EUは、と国家や地域を取り上げてスケールの大きい話をしていただいても結構です。

 今日のオリエンテーションの話はこんなものです。ご質問なりご感想なりあればお聞きしたいと思います。まずフロアのほうから。伊地知さん、お願いしますよ。

 

(伊地知さん)

 はい、内田先生がいま話されたなかで、ナショナリズムと呼ばれるのはトライバリズムじゃないかという部分は、わたしもすごく感じるところです。韓国の対外的な観光戦略の話ですけど、ソウルの観光キャッチフレーズとして採用されたのは「オギオンチャ」といって、昔から慣れ親しまれている固有語の掛け声なんです。意味は「よいしょ」とか「えんやこら」。ある都市を象徴するフレーズとしてそういう翻訳の不可能な表現を選んだことに、いまの韓国の自信が表れていると感じました。韓国だけでなく、近年、経済力をつけてきた国々にナショナリズムやそれがつくり出した排外主義が広がって、問題になってきています。

 もうひとつ、朝鮮半島に関係することを勉強しているので在日コリアンの友人が多いんですが、日本国籍をとった方のなかで、選挙に出馬しようという動きがある。それも一人で出るのでなく、違う出身国の方たちが連動するかたちで。歴史的な背景は必ずしも共有できないけど、「こんなに大勢いるんやから、いまのままやったらまずいやろ」という思いが共有されるようになってきたこともあります。旧植民地出身者のもつこだわりがそこで試されるし、むろん日本社会も試されます。そういう現象が生まれた背後には、これまでのナショナリズムの議論で語られなかった日本の姿を求める人たちがいるんだなぁと......

 

(内田先生)

 うん、それは興味深いですね。ありがとうございました。じゃあ、髙本さん。

 

(髙本さん)

 わたしの身近なところでも、いまコロナで弱い人たちにしわ寄せがきていると感じます。たとえば、学校教育の場で集団に適応できない子どもたち、発達障害といわれる子どもたち、その保護者の方々。不安定な雇用とかさまざまな困難を抱えて働く女性たちの、もうヤバい、みたいなメンタリティのありようもひしひしと伝わってくる。それでもみんな頑張っているけど、新政権が「もう大丈夫」といわんばかりのメッセージを発して、そういう人たちの間に燃え尽き症候群のような症状が出てくるんじゃないかと、すごく心配しています。

 一方で、ズームなどオンラインの新しい文化に適応できた人たちのなかでは、場所の制約を超え、共通の問題意識をもって、ていねいに対話しようという動きが始まっている。わたしはオープンダイアローグの実践を広げようとしていて、とてもいい兆しをみています。

 発表されるみなさんには、「こんなふうに希望もあるよ」とか「こういうところを見てほしい」という現場からの声を聞かせていただきたいと願っています。とくに、教育現場の方のお話をうかがいたいです。はい、今日の感想でした。

 

(内田先生)

 ズームの方たちは? 誰か手を挙げていますか?

 

(渡邉さん)

 内田先生のなかでは、ナショナリズムが逆の意味に解釈されているようですが......。ナショナリズムより範囲を狭めて、もっと地域を重視した愛郷主義、パトリオティズムと言ったほうが地方分権の時代にはふさわしいのでは、と。内田先生のようなナショナリズムの理解のしかたには、やはり違和感があるような気がするんですけど。

 

(内田先生)

 国民国家というのは政治的な擬制、フィクションですよね。とりあえずこれを足場にして、もうちょっと使い延ばしてゆくしか手がないと思っているんです。国民国家を結束させて、国民に政治的なエネルギーを備給する装置がナショナリズムです。でも、扱いが非常に難しい。すぐ暴走するし、気を緩めると簡単にトライバリズムに劣化してしまう。だけど、僕はここから逃げちゃいけないっていう気がするんです。自分がナショナリズムという取り扱いの難しいものを操作しているということに対する警戒心と、疚しさと、ある種の含羞を感じながら、ていねいにこの装置を使う。「うつむき加減のナショナリズム」というか()。多くの人たちがそういうマインドを熟成させて、「うつむき加減のナショナリスト」になってゆくのが着地点としては健全かなという気がしているのですけど、どうでしょう......

 

(渡邉さん)

 わたしとしては、東京オリンピック・パラリンピックで日本社会が本当の意味で分岐点を超えちゃったという感じがあります。なので、コロナ後のオリンピックを取り上げたい、と。12月ぐらいに発表できれば、と思います。

 

(内田先生)

 

 ありがとうございました。では、6時半になりましたので、これから先の担当者を決めて、お開きにしたいと思います。