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内田樹さんの「『アウトサイダー』についての個人的な思い出とささやかな感想」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1101

「アウトサイダーは、事物を見とおすことのできる孤独者なのだ」「盲人の国では片眼の人間が王者である。が、この王権は、何ものをも支配しない」

 

 

2021年12月6日の内田樹さんの論考「『アウトサイダー』についての個人的な思い出とささやかな感想」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

私が『アウトサイダー』を手に取ったのは、1966年の秋のことである。そのときのことは半世紀近く経った今でもはっきり記憶している。この本の導きによって、私は知的成熟の一つの階段を上ることができたからである。その話をしよう。

 その年、私は都立日比谷高校という進学校の雑誌部という超絶ナマイキ高校生たちのたまり場のようなクラブの1年生部員だった。上級生たちはヘーゲルとかマルクスとかフロイトとかサルトルとか、そういう固有名をまるで隣のクラスの友人たちについて語るかのように親しげに口にしていた。私はそこで言及されている人たちについて、かろうじて人名辞典レベルの知識があるのみで、手に取ったこともなかった。ましてやその一節を適切なタイミングで議論の中で引用するというような知的離れ業は夢のまた夢であった。

 この圧倒的な知的ビハインドをどう克服すればいいのか、15歳の私はその手立てがわからぬまま呆然としていた。なにしろ私の中学時代の愛読書は山田風太郎の忍法帖とフレドリック・ブラウンのショートショートと『足ながおじさん』だったのである。今思えば、中学生としてはなかなかバランスのよい選書だったと思うが、それはクラブの先輩たちに「こんなのを読んできました」とカミングアウトできるようなラインナップではなかった。雲の上を行き交うような高踏的対話を横で立ち聞きしながら、自分のこれまでの読書が知的成熟とまるで無縁なものであったのかと私は深く嘆じたのである。

 とはいえ、当時の私は(信じがたいことに)向上心にあふれる少年であったので、とりあえず上級生たちの会話に出てくる難語のうち最も言及頻度の高い「弁証法」についてだけは、それがどういうものか知ろうと思った。そして、昼休みに3年生のイトウさんが部室で所在なげにしているのを好機に、勇を鼓して質問してみた。

「先輩、『弁証法』とはどういうものなんですか?」

 イトウさんはにこやかに笑って、「うん、それはいい質問だ。ウチダくんがキャッチボールをしているとするね。キミが投げた球がうっかり隣の家に飛び込んで、ガラスを割ってしまった。さあ、どうする?」

 私は意味がわからず、ぼおっと立っていたが、そのうち血の気が引いて、黙って部室を立ち去った。背中にイトウさんの甲高い笑い声が聞こえた。そのとき、二度と先輩たちの前で自分の無知をさらすことはすまいと心を決めた。

 まず柳田謙十郎の『弁証法十講』という文庫本を買ってみた。弁証法の辞書的な定義はわかったが、どう使っていいのかはわからない。やむなく続いて、マルクスの『共産党宣言』とさらにサルトルの『実存主義とは何か』を買った。こちらも意地である。

 だが、七転八倒してそのような本を読み通してみても、彼らが何が言いたいのかはやっぱりよくわからない。

「ヨーロッパに幽霊が出る。共産主義という幽霊である」といきなり言われても困る。ヨーロッパは行ったことがないし、共産主義はソ連や中共(と当時は略称されていた。今ではATOKでも変換されない)の国是と聞いているが、それがどうしてヨーロッパで幽霊になっているのか文脈がわからない。誰を相手にしてこの人たちはこんなに怒っているのか、それがわからない。「ブルーノ・バウアー」とか「ラロック中佐」って誰?

 何冊か本を読めば、先輩たちが何の話をしているのかわかるようになると思っていたが、こと志に反して、しだいに知識が身につくどころか、読むほどに知らない書名、知らない人命のリストが幾何級数的に増えてゆくばかりである。

 これではとても間に合わない。自分が何を知っていて、何をまだ知らないのかについての鳥瞰図を手に入れないと話にならない。

 いかにも受験生の考えそうなことである。「出題範囲」をまず確定してもらいさえすれば、その上で一マスごとに塗りつぶすように暗記してゆくことならできる。哀れな話ではあるが、15歳の私はそのような勉強法しか知らなかった。だから、哲学に向き合うときも、その方法しか思いつかなかった。そしてこう考えた。問題は「現代哲学の出題範囲」というか「現代哲学の学習指導要領」というか、そういう「哲学についてのトピックはだいたいここから出題されます」という大枠を示す情報がどこにもみつからないことである。さて、そのような情報はどこにゆけば手に入るのか。

 そんなある日、同じ雑誌部1年生のM田君が、一篇のエッセイを書いて編集会議に持参してきた。エッセイは1年生全員に課された宿題で、そのとき、私はジャズ喫茶についてのルポを書いていた(新宿のDIGとか銀座の69とかいう店の様子はどんなふうであるかをジャーナリスティックなタッチでレポートしたのである)。ところが同時に提出されたM田君のレポートには、サルトルとかカミュとかニーチェとかキェルケゴールといった名前がすらすらと引用されており、彼らは「アウトサイダー」という共通傾向によってカテゴライズされるのが妥当ではないかというようなことが書いてあった。

 私たちは驚倒して絶句した。ふだん温顔でおとなしいM田君にこれほどの教養があるとは思いも寄らなかったからである。上級生たちも「哲学がわかる1年生」の突然の出現にいささか気色ばんでいた。

 でも、なんか変だ、と私は思った。どうも、ふだんの彼の話題とエッセイの中身に隔たりがありすぎる。それに「アウトサイダー」という言葉は高校生が普通名詞として使うにはあまりに鮮やか過ぎた。

 私は頭上に疑問符を点じたまま下校した。当時、私の家は目蒲線の下丸子というところにあった。多摩川沿いのぱっとしない工場街である。町には一軒だけ本屋があり、その大衆小説と雑誌しか置いていない間口一間奥行き二間くらいの店に私は駅から家に戻る途中に、なぜか寄り道した。目的もなく書棚の背表紙を目で追っているうちに、『アウトサイダー』という書名が目に飛び込んできた。私は雷撃に打たれた。

 手に取って、ぱらぱらとめくると「アウトサイダーは、事物を見とおすことのできる孤独者なのだ」「盲人の国では片眼の人間が王者である。が、この王権は、何ものをも支配しない」というようなポエティックな断言がちりばめられている。

 これだ、と私は確信した。M田君はこれを読んだのだ。私はその茶色の土偶のようなものが表紙に描かれた『アウトサイダー』を不機嫌な顔の店主からひったくるように買い求め、そのまま払暁に至るまでむさぼるように読んだ。最後まで読み終えるまでに三日とかからなかったと思う。そして、読み終えたときに、私は深い満足感と、一抹の寂しさを感じていた。

 うれしかったのは、この本が私の久しく待望していた「現代哲学の学習指導要領」(それもきわめて出来のよい)だったからである。寂しかったのは、おそらくはあの先輩たちもこれに類した「参考書」をひそかに自分用に持っており、(誰にも教えずに)哲学者たちの名前と引用句をそこから拝借して読んだような顔をしているのではないかという疑念にとらえられたからである(事実、一年後に私自身が新入生たちに先輩風を吹かせるようになったとき、私は「読んでもない本を読んだような顔をする」技術にすっかり習熟していた)。

 これは「教科書」として読むべき本だろう。私はそう思った。ただし、きわめて強い個人的バイアスのかかった教科書である。

 

 バイアスがかかっていることは知識を得る上では少しも障害にならない。現に、山川出版の『詳説世界史』は唯物史観に貫かれているがゆえに、歴史事実を「価値中立的に」記述した世界史の教科書よりはるかに読みやすく、それゆえ歴史の知識を得る上で効率的であるではないか。