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内田樹さんの「2021年の十大ニュース」 ☆ あさもりのりひこ No.1107

個人を訴訟に引きずり込んで経済的に追い詰めるという「スラップ訴訟」の手法はひとりひとりの市民が連帯すればその前には無力だ

 

 

2021年12月31日の内田樹さんの論考「2021年の十大ニュース」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

大晦日なので、恒例の「今年の十大ニュース」を考えてみる。重要度で並べるのではなく、思いついた順。

(1)『レヴィナスの時間論』が6年かけてようやく完結。原稿を送ったのは前年12月だけれど、最終回が『福音と世界』に掲載されたのは今年になってから。『レヴィナスと愛の現象学』『他者と死者』に続く「レヴィナス三部作」をこれで書き終えたことになる。レヴィナス先生の思想を一人でも多くの日本人読者に伝えるという「レヴィナス哲学の伝道師」としての仕事は微力ながら果たせたと思う。泉下のレヴィナス先生にそのことをご報告できると思うと、少しだけ肩の荷が下りた。

(2)「日本人はどうしてアルベール・カミュが好きなんだろう?」というタイトルのカミュ論を新潮社の『波』に連載し始めた。パンデミックのせいで世界的に『ペスト』が読まれ出したという現象を受けての寄稿依頼だったけれど、レヴィナス論の連載が終わって「レヴィナス・ロス」になっていたところだったので「渡りに船」と引き受けた。

『レヴィナスの時間論』を書いている途中からもうきちんと行程表に従って書くということは諦めた。そのときに思いついたアイディアを追いかけて、あちこちふらふらする。そのうち気がついたらたどりつくべきところにはたどりついているはずである。そう腹を括った。ぜんぜん学術的な論文の書き方ではない。でも、何を書くつもりなのかを一望俯瞰する視点には私は立つことができない。地べたを這いずるような書き方しかできない。

(3)山崎雅弘さんの裁判の控訴審が結審した。控訴審も完全勝訴だった。原告は上告したが、最高裁でも結果は変わらないと思う。1000人を超える市民からの支援を受け、総額1200万円の裁判費用が集まった。個人を訴訟に引きずり込んで経済的に追い詰めるという「スラップ訴訟」の手法はひとりひとりの市民が連帯すればその前には無力だということを証明できたことをうれしく思う。

(4)今年もいろいろ本を出した。単著は『コロナ後の世界』(文藝春秋)、『武道論』(河出書房新社)、『街場の芸術論』(青幻舎)、『戦後民主主義に僕から一票』(SB新書)、『複雑化の教育論』(東洋館出版社、もう本はできたけれど書店に並ぶのは1月)。共著は『新世界新秩序と日本の未来』(姜尚中さんとの対談、集英社新書)、『学問の自由が危ない』(佐藤学、上野千鶴子さんとの共編著、晶文社)、『自由の危機』(佐藤学先生ほかとの共著、集英社新書)。信濃毎日新聞、週刊金曜日、AERA、山形新聞、東京新聞、『波』に連載。よく書いたものである。

(5)講演もずいぶんした。数えたら21回やっていた。オンラインのもいくつかあるけれど、多くは対面。「コロナ後の世界」という演題での依頼が多かった。中高生対象の講演が記憶にとくに残った。これから人口減とパンデミックと気候変動とAIで社会構造がどう変わるかという話題に聞き入ってくれた。彼らにとっては切実なことなのである。その関心に大人たちが十分に応えていないことが問題なのだと思う。

(6)コロナで道場を休んだ。たぶん一年の半分くらいは合気道を休んでいたのではないかと思う。合宿も去年からずっと休止したままである。非接触系の杖道と居合、守伸二郎先生の韓氏意拳講習会と三好妙心先生の新陰流稽古会だけはさいわい続けられた。10月末にようやく合気道の稽古を平常運転に戻すことができた。さて、これがいつまで続くのか。一日でも長く続いて欲しい。そう願うばかりである。

(7)朴東燮先生の献身的な努力のおかげで今年も韓国語訳が何冊か出た。これまでに35冊訳書が出ているのだそうである。どんな人が読んでくれているのだろうか。朴先生は今年「内田樹論」も出版された。日本語で書かれたモノグラフはないので、これが世界最初の「内田樹論」本である。これが日韓の市民間の相互理解の一助になっているのなら、こんなうれしいことはない。

(8)凱風館での稽古が減ったけれど、その代わりに河野智聖先生が先達される滝行には熱心に通った。11月と12月には久しぶりに一九会の祓いと作務に参加できた。来年の2月には加藤高敏一九会道場長をお迎えして凱風館で祓いを行うことも決まった。7月には藤田一照師をお招きして坐禅会を凱風館で行うことができた。こちらはもう身体があちこち傷んできたけれども、滝行と祓いと坐禅だけは老骨に鞭打って続けられそうである。

(9)撤退を始める。もう古希も過ぎた。来年で干支も6回りする。ぼちぼち「店じまい」の時間である。これからいろいろな団体の役職を少しずつ退いて、後進に道を譲るつもりでいる。さいわい周りには元気のよい若い人たちがたくさんいるので、これからは彼らの活動をサポートする側に回ろうと思う。来年の目標は「親切なおじいさんになる」である。

(10)今年した旅の中で印象深かったこと。一つは秋の極楽ハイキングで男鹿島に行ったときに中村荘で頂いたお刺身のおいしさと中村庄助翁の海洋的で豪快な圧倒的なキャラ。それから想田和弘・柏木規与子ご夫妻を訪ねたときに牛窓の海辺の家の二階から眺めた瀬戸内海の日没の美しさも忘れがたい。

顧みれば、多くの方々にお支え頂いた一年間であった。感謝の気持ちをお伝えしたいけれど、多すぎてひとりひとり名前を挙げることができない。大晦日を無事に迎えられたことについて今年私と時間をともにし、お支えくださったすべてのみなさんに感謝申し上げたい。

ほんとうにありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。