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内田樹さんの「ポストコロナの時代を生きる君たちへ」(その5) ☆ あさもりのりひこ No.1116

歴史的環境が変わると、生き方も変わる。これからは競争から共生へ、生き方を変えなければならない。これは道徳的な話をしているわけではありません。そうではなくて、そうしないと生き延びられないという非常に生々しい話なんです。

 

 

2022年1月12日の内田樹さんの論考「ポストコロナの時代を生きる君たちへ」(その5)をご紹介する。

どおぞ。

 

  

「学級崩壊」という異常な事態が以前にはありましたが、あれは競争的なマインドがもたらしたものです。全員が同学齢集団内部での相対的な優劣を競う競争で自分だけが勝ち残ろうとしたら、学級崩壊するのは必然的なんです。最少の学習努力で競争に勝とうと思うなら、周りの級友たちの学習を妨害するのが最も効率的だからです。だから、立ち歩いたり、話しかけたり、いじめたり、教師の授業を妨げたりして、勉強に集中できないような環境を作り出す。確かに、周りの人たちの学習を妨害すれば、自分の相対的なポジションは少しは上がるかも知れません。でも、集団全体としての学力は下がる。連帯感も失われるし、コラボレートする意欲も損なわれる。

 競争をさせると一人一人が活動的になって、その結果集団全体の力が上がるということも実際にはあります。日本でも中国でもアメリカでもそういう時代はありました。でも、そういうことができるのは、社会が豊かで、分かち合う資源が潤沢な場合です。でも、これからはもうそういう時代ではありません。歴史的環境が変わると、生き方も変わる。これからは競争から共生へ、生き方を変えなければならない。これは道徳的な話をしているわけではありません。そうではなくて、そうしないと生き延びられないという非常に生々しい話なんです。

まだ日本は十分に豊かです。温帯モンスーンの肥沃な土地が広がり、水流もきれいですし、動物相も植物相も多様で、空気も澄んでいる。自然環境はたいへん恵まれています。治安もいいし、社会的インフラも充実しているし、教育も医療も質量ともに充実しています。こういう国民資源をこれからたいせつに有効に使って、みんなで新しいアイデアを出し合って、お互いに励まし合ってゆけば、日本の国力をV字回復させることはできない話ではありません。すべて工夫次第です。でも、今までのやり方を続けていたのでは、国力は衰微してゆくだけです。頭を切り換えないといけない。どうしたら自分の潜在能力を開花させることができるか、どうやったら自分のパフォーマンスを最大化できるか。どうやったら自分の頭がもっとよくなるか。それを真剣に考える。「頭がよくなる」というのは、試験の成績が上がるということではありません。自分の頭が活動的になるということです。自分の頭が活動的になるのを妨げているのは、自分自身です。知性がのびのびと活動するのを妨げているのは、自分自身です。その妨害を解除すること。それが「頭がよくなる」ということです。

 僕は武道の道場をやっているからよくわかりますが、技を教えても、どうしてもうまく動けない人がいます。それを「運動能力が低い」というふうに言っても意味がないんです。筋肉をつけたり、走り込みをしたりしたからと言って技がうまくなるということはないんです。自分の動きを妨害しているのは自分自身だからです。自分で自分の動きを止めている。技がかからないのは、相手が抵抗しているからではなく、自分で自分の動きを邪魔しているからなんです。相手に勝とうとする競争的な気持ちが身体能力の自由な発現を妨げている。必要なのは、自然に、のびのびと、気分よく動くことなんです。合理的な動き、自分にとって快適な動き、それが正しい動きです。

 脳も同じです。どういう脳の使い方をしたら知的なパフォーマンスが上がるか。これには一般的なやり方はありません。一人一人が考えて、工夫するしかありません。でも、これが君たちにとって最優先の課題です。どうしたら自分の頭は良くなるのか。どうすれば自分の知的パフォーマンスは上がるのか。そんなに難しいことじゃありません。簡単なんです。あることをすると知的パフォーマンスは上がり、あることをすると下がる。だから上がることをすればいいんです。怒ったり、悲しんだり、怖がったり、羨んだりしていると、頭は働かなくなる。機嫌よく暮らして、深く呼吸できて、よく寝て、よく食べて、次々と「したいこと」が思い浮かぶのが「頭がよい」時です。周りとは関係ありません。勝敗や優劣とは関係ない。自分自身だけにかかわる問題です。どうすれば、機嫌よくなるか、それは一人一人違います。でも、それを真剣に考えないといけません。

 今、君たちを見て気の毒だなと思うのは、自分で進路を決められないということです。お金がかかり過ぎて。僕は1970年に大学に入りました。その年の国立大学の授業料は年間12千円でした。月千円です。入学金が4千円でしたから、入学金と半期授業料で1万円で大学生になれました。いまとは貨幣価値がだいぶ違いますが、それでも僕がやっていた学習塾のバイトの時給が600円でした。2時間働くと月謝が払えた。1万円くらいなら、高校生だって持っていました。お年玉を貯めたら、それくらいにはなります。だから、進学するときに、どうしてもやりたいということがあったら、親が反対しても、「自分で学費出すから」と言えた。だから、当時は「不本意入学」というのがほとんどなかったのです。国公立大学に行くなら、好きな進学先を自分で選べた。でも、まさにそのころ、日本の大学の学術的な発信力が最高だったんです。当たり前ですよね。親や周囲の反対を押し切って、「やりたい勉強をしたい」と言って大学に行ったわけですから、成果を出さないと格好がつきません。自分の進学先の選択が正しかったことを証明するためには、毎日にこにこしてうれしそうに通学するのが一番効果的です。そんな様子を見せれば、「そんな学校へ行ってどうすんだ」と文句をつけた人たちを見返すことができる。

 それとは逆に、行きたくないのに親に無理やり進学先を決められると、親の選択は間違っていたことを証明したくなる。不機嫌に学校に通い、勉強もろくにせず、大学に四年間通ったけれど、「お金をどぶに捨てたようなものだ」と親に思わせるのが、最も効果的な「復讐」になる。でも、親の判断が間違っていたことを、子どもがわざと不幸になってみせることで証明するというのは、まことにもったいない人生の過ごし方です。

 君たちの人生にはそんな暇はありません。誰かに仕返しをする人生なんて、そんな無駄なことをする余裕は君たちにはありません。それよりは、どうやって自分の潜在能力を開花させるか、どうやって自分の頭を活動的に働かせるか、それを真剣に考えないといけないんです。そして、周囲に目をやって、どうやったら隣にいる人がもっと機嫌よくなるか、もっと活動的になるか、もっと創造的になるか、それを考える。そんなに難しいことではありません。一番簡単なことは親切にすることです。「隣の人に親切に」。これが一番大事なことです。簡単ですよね。でも、簡単だけれど、きわめて有効なことなんです。友だちが何かしたいと言ったら「やんなよ」と応援する。不安がっていたら「大丈夫だよ」と肩を叩く。「君には才能があるから」と励ます。それだけで十分に集団的なパフォーマンスは向上します。

 だから、考えるとそんなに悪い時代じゃないですよ。励まし合って、協力し合って生きてゆけばいいんですから。悲観することもないし、失望することもない。

 これから日本社会がどうなるか、予測はつきません。誰も「正しい生き方」の正解を知りません。だったら、自分が生きたいように生きればいい。他人の真似をするとか、他人に命令されるとか、他人からの査定を気にするとかではなく、自分のやりたいことをする。そして、周りにいる友だちが「やりたいことをする」のを支援する。そうすることによって君たちの世代全体の能力を高める。それが君たちに与えられた世代的なミッションです。

 

 この辺で話を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。