〒634-0804

奈良県橿原市内膳町1-1-19

セレーノビル2階

なら法律事務所

 

近鉄 大和八木駅 から

徒歩

 

☎ 0744-20-2335

 

業務時間

【平日】8:50~19:00

土曜9:00~12:00

 

内田樹さんの「天皇制についてのインタビュー『月刊日本』」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1120

現実の天皇より自分の脳内で作り上げた理想の天皇像を優先する人たちは、結局は「誰よりも自分が大事」な人なんだと思います。

 

 

2022年月日の内田樹さんの論考「天皇制についてのインタビュー『月刊日本』」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―― ただ歴代の皇位は近代以前から例外なく男系で継承されてきました。「万世一系」という血統の物語には、何か意味があるのではありませんか。

 

内田 能「花筐(はながたみ)」は、越前に住む大迹部(おおあとべの)皇子(おうじ)(継体天皇)の下に都の使者が来て、突然「皇位に就いてくれ」と懇請されて上洛した後、一人取り残される愛妃照日(てるひ)の前の嘆きの場面から始まります。「帝位を践()む身にあらざれども」という詞章が示すように、室町時代の人たちにとっては「これほど遠い血筋の人が皇位に就けるはずがない」というのが前提だった。そこにこのドラマの「意外性」があります。戦時中は『大原御幸(おはらごこう)』『蝉丸(せみまる)』『船弁慶』などの曲が不敬に当たるということで上演禁止になりましたから、おそらく『花筐』も上演禁止だったと思います。「帝位を践む身にあらざる」人が皇位に就いたという話なんですから。でも、何世紀も語り継がれてきて、日本人の天皇観を形成してきた物語群をたまたまその時点で支配的だったイデオロギーで禁止するというのは絶対にしてはいけないことです。

 それでも、明治政府が天皇を「万世一系」「神聖不可侵」と定義したことには歴史的必然性があることは僕も認めます。幕末にアジア諸国を次々と植民地化してきた欧米帝国主義列強の圧倒的な経済力・軍事力の背景には白人種を人類の頂点とみなすキリスト教的コスモロジーがありました。だから、日本が列強に対抗するには、黒船だけではなくキリスト教にも対抗しなければならなかった。

 明治政府は神仏分離令で江戸時代の民間信仰を徹底的に解体して、新たに天皇と伊勢神宮(天照大神)を頂点とする国家神道を作り上げました。民衆の信仰心を土俗的で多様な神仏から回収して、霊的エネルギーを現人神に一点集中しようとしたのです。いわば、天皇を「イエス」、伊勢神宮を「バチカン」に擬した「日本型一神教」を技巧的に作り上げた。

 僕は神仏分離による日本の伝統的な宗教文化の破壊を悲しむものですけれども、「一神教文化に対抗する霊的な物語を創造しないと列強に対抗できない」という政治判断自体にはそれなりの合理性があったと思います。

 

―― キリスト教との戦いは今も続いていると思います。

 

内田 僕は天皇制への支持を表明してから様々なメディアから取材を受けましたが、「なぜ内田は天皇制を支持するのか」と最も厳しく質問してきたのはプロテンスタント系のメディアでした。『赤旗』のような左翼系メディアからも取材されましたけれど、それほど厳しい質問は来なかった。その時に、共産主義よりもキリスト教のほうが天皇制とは相容れないのだと実感しました。

 キリスト教と天皇制が相容れないのは、おそらく「物語」の構造が似ているからだと思います。キリスト教は、神の一人子であるイエス・キリストの受難によって人類全体が救済されるという物語です。一方、天皇制は象徴たる天皇の犠牲的献身によって国民の統合が保たれ、四海に平和が訪れるという物語です。一人の「選ばれたもの」が「私」を犠牲に供することで「公」を立ち上げて、共同体を守護するという物語は世界中に存在します。マルクスが「類的存在」と呼んだものもある意味ではそれに近い。日本の場合はその「受苦する義務」が個人ではなく、皇室という特定の家系に世襲されている。

 それを「人権の侵害」だと言って非とする人がいますけれども、程度の差はあれ家伝の世襲が義務化されている家は現にいくらでもあります。能楽の宗家でも、日舞の家元でも、造り酒屋でも、網元でも、家の子は「家伝」の継承のために職業選択の自由を制約されている。政治家だってそうでしょう。三世四世の議員たちにとって議員であることは逃れられない「家業」ではないんですか。皇室に比べると、「私」を犠牲にして救済すべき「公」の範囲がきわめて限定的であるというところが違いますけれど。

 

―― 日本では天皇がイエスの役割を担っているから、キリスト教の需要がないわけですね。

 

内田 キリスト教徒の人口は中国が7%、韓国が30%ですが、日本はどうしても1%の壁を超えることができません。同じ東アジアの儒教圏の国と比べて、日本のキリスト教人口は圧倒的に少ない。それは天皇制があることがかかわっていると推理して過たないと思います。天皇制とキリスト教はストーリーのかたちが似ている。だから、図らずもゼロサムの関係になったということではないかと思います。

 それに、戦後の象徴天皇制はそれ以前に比べてあきらかにキリスト教の世界観に近づいているように見えます。上皇陛下は皇太子時代にクウェーカー教徒のヴァイニング夫人を家庭教師に迎えられましたし、美智子さまも学生時代にカトリック教の修道女と交わられていた。ですから「苦しむ人々のために祈り、寄り添う」ことが天皇の本務であるという「象徴的行為」のアイディアにキリスト教の発想と近いものがあったとしても僕は不思議はないと思います。

 

―― 天皇とイエスは似て非なるものだと思いますが、両者の違いはどこにあるのでしょうか。天皇は日本のメシア(救世主)なのですか。

 

内田 天皇はメシアではありません。メシアは「終末」に到来して、人々を決定的に救うわけですけれども、天皇制ではそういうユダヤ=キリスト教的な、創造から終末に至る直線的な時間は流れていません。季節の変化のように、繰り返し再帰する円環的な時間の中に天皇制はあります。

 

―― 「受難の物語」は象徴天皇制に限らず、歴史的な天皇の在り方に通じると思います。

 

内田 仁徳天皇が民の暮らしを助けるために税を免除して、あえて極貧生活に耐えたという「民のかまどは賑わいにけり」というエピソードはよく知られています。この場合でも、天皇の受難は身体的苦痛を伴っていました。

 三島由紀夫は東大全共闘と討論した時、昭和天皇が東京帝国大学の卒業式で3時間もの間、微動だにせず座り続けていたエピソードを熱をこめて語っていました。昭和天皇はその身体的な苦しみに表情を変えずに耐える意志によって三島に強い印象を残したのです。

 上皇陛下も新嘗祭の時に夕方から深夜まで神嘉殿で儀式をされ、出て来られると顔面蒼白で疲労困憊されているという話を宮内庁楽部の伶人安倍季昌さんからお聞きしたことがあります。上皇陛下がその任務を果たすためにどれほど身体的な苦しみに黙って耐えているかという話をしながら安倍さんはほとんど涙ぐんでいました。

 身体的な苦痛に耐えて公務を果たす姿が国民を感動させ、統合を果たす。だから、上皇陛下は生前退位を望まれた時に「全身全霊をもって」つとめを果たすことが困難になったという言い方をされたのだと思います。

 

―― 昭和天皇はマッカーサーに面会した時、自分の身はどうなってもいいから国民を助けてほしいと頼んだと言われています。

 

内田 昭和天皇はおそらく本当にそう言われたと思います。自らの受難と引き換えに民を救うという選択はおそらく昭和天皇にとっても天皇として「つきづきしい」ふるまいだと思われたはずです。そして、それが象徴天皇制の原点になった。

 

―― しかし、こうした天皇の「受難の物語」は、キリスト教に由来する人権思想と矛盾します。上皇陛下が生前退位のご意向を示した時も、内親王が恋人と結婚する意思を示した時も、一部の国民は当惑したり反発したりしました。これは天皇や皇族が「受難の物語」から外れて人権を行使しようと受け止められたからだと思います。キリスト教との戦いは、天皇と人権をめぐる問題として続いているのではありませんか。

 

内田 たしかに天皇制は人権概念とも相性がよくありません。皇族は生まれながらに「受難する立場」を制度的に強制されている。しかし、本来受難はあくまでも主体的に自ら引き受けるものであって、他人が強制してよいものではありません。それでは「人柱」になってしまう。ですから、天皇制の生命線は皇族たちが自分たちの社会的役割を理解し、それを主体的に決然と引き受けているという「フィクション」に存します。現実には、皇族の方たちの中には、その役割を重荷と感じる人がいるとは思いますけれど、このフィクションが維持できなくなれば、天皇制は持ちません。

 重要なのは「折り合いをつける」ことです。立憲デモクラシーと象徴天皇制の折り合いは「おことば」でいったん定式化された。次はヨーロッパ的な人権思想と天皇制をどう折り合わせるかということが問題になります。だから、「皇族に人権はない」という主張にも「皇族にも100パーセントの人権を認めるべきだ」という主張にも、どちらも僕は受け入れることができない。その中ほどのどこかに常識的な「落としどころ」を探る他ないと思います。

 現に、「家業を継げ」とか「親の果たせなかった夢を代わって果たしてくれ」というような圧力と「自由に生きたい」という思いの間で引き裂かれている人たちはたくさんいるわけです。みんな必死で「落としどころ」を探している。天皇はそういう人たちのロールモデルになるだろうと思います。

 

―― 三島由紀夫は昭和天皇の「人間宣言」を「などてすめろぎは人となりたまいし」(英霊の聲)と批判しましたが、これも同じ文脈の問題だと思います。

 

内田 個人が抱く理想の天皇像と現実の天皇の間にはつねに齟齬があります。あって当然です。でも、そういう場合に、現実の天皇より自分の脳内で作り上げた理想の天皇像を優先する人たちは、結局は「誰よりも自分が大事」な人なんだと思います。

 事実、戦前の日本では、「あるべき天皇像」を権威として背負った政治家や軍人たちが「畏れ多くも畏きあたりにおかれては」という呪文を唱えて、国民を思考停止させ、自分の欲望を天皇を迂回することで実現しようとして、国を滅ぼした。

 

―― 戦前の天皇は国民の「上」や為政者、軍人の「後ろ」にいましたが、戦後の象徴天皇はどこにいると思いますか。

 

内田 現在の天皇は国民の「前」にいる対話の相手であり、国民の「横」にいてともに歩む「同伴者」だと僕は思っています。「雲の上」にいるわけではありません。ですから、僕たち国民の仕事は何よりも象徴天皇制が適切に機能し、皇族の方たちができるだけ自由かつ愉快に生きられるように支援することだと思います。

 

(1月2日 聞き手・構成 杉原悠人)