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内田樹さんの「ドレフュス事件と反ユダヤ主義陰謀論」 ☆ あさもりのりひこ No.1164

陰謀論というのは、破局的な大事件が起きた時に、それがいくつかの複合的な原因の帰結であるというふうに考えず、単一の「オーサー(張本人)」がすべてを統御している信じることである。

 

 

2022年4月18日の内田樹さんの論考「ドレフュス事件と反ユダヤ主義陰謀論」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ロマン・ポランスキー監督作品『オフィサー・アンド・スパイ』(原題はJ'accuse)の公式パンフレットに一文を寄せた。この映画の配給には字幕監修として私も協力した。もうすぐ公開されるので、ぜひ観に行って頂きたい。その前にまずドレフュス事件がどのような歴史的文脈に位置づけられる出来事なのかについて少しだけ説明する。

 

 ロマン・ポランスキーは少年時代にナチス占領下のポーランドとフランスで「ユダヤ人狩り」に遭遇した。彼は生き延びたが、母はアウシュヴィッツで殺された。ホロコーストでは600万人のユダヤ人が殺されたと言われている。正確な死者数はわからない。

 この映画は1895年1月5日のドレフュス大尉の軍籍剥奪式の場面から始まる。この日に、それから50年かけて、最後には600万人の虐殺に至る近代反ユダヤ主義の歴史の号砲が鳴り響いた。象徴的な意味で「すべてはここから始まった」と言ってよい。

 

 この軍籍剥奪式には、ドイツの新聞のパリ特派員だったテオドール・ヘルツルという若いユダヤ人のジャーナリストが立ち会っていた。ヘルツルはその場を領するパリ市民たちのユダヤ人に対する憎しみの強さに強い衝撃を受ける。

「近代反ユダヤ主義の父」エドゥアール・ドリュモンが『ユダヤ的フランス(La France juive)』を出版して、フランスの政治経済メディアすべてはユダヤ人に支配されているという妄想的なアジテーションを開始したのはドレフュス事件の9年前の1886年のことである。彼の『ユダヤ的フランス』は今日のいわゆる「陰謀論」の原型となった。

 陰謀論というのは、破局的な大事件が起きた時に、それがいくつかの複合的な原因の帰結であるというふうに考えず、単一の「オーサー(張本人)」がすべてを統御している信じることである。例えば、フランス革命は巨大な政治的変動であったが、それを王政の機能不全、資本主義の発展、啓蒙思想の普及などの複合的な効果とは考えずに、フランスのすべてを裏から支配している「秘密組織」の計画の実現とみなすのが陰謀論である。

 この場合の「オーサー」は必ず「秘密組織」でなければならない。というのは、革命が起きる直前まで、フランスの警察はこのような巨大な運動を一糸乱れぬ仕方で統制しうるほどの実力を持った「組織」が存在することを知らなかったからである。だから、それは「闇の組織」でなければならない。

 とりあえず「秘密組織」が存在することは自明の前提とされた。だとすれば、次の問題は「それは誰だ?」ということになる。

 フリーメイソン、イリュミナティ、聖堂騎士団、英国の海賊資本、プロテスタント・・・さまざまな候補が挙げられ、最終的に「ユダヤ人の世界政府」が「オーサー」だという話に落ち着いた。フランス革命後に、ユダヤ人が被差別身分から解放され、市民権を獲得し、政治経済メディアの各界にはなばなしく進出したという歴史的事実が目の前にあったからである。ドリュモンはこう書いた。「フランス革命の唯一の受益者はユダヤ人である。すべてはユダヤ人から始まる。だから、すべてはユダヤ人のものになるのである。」(『ユダヤ的フランス』)

 ある出来事の受益者がその出来事の「オーサー」であるという推論は論理的には成立しない。それは「風が吹けば桶屋が儲かる」という事実から桶屋は気象をコントロールできる謎の力を有していると推論するのと同程度に没論理的である。だが、この陰謀論にフランスの読者は飛びつき、『ユダヤ的フランス』は19世紀フランス最大のベストセラーになった。そして、ドレフュス事件はこの荒唐無稽な陰謀論が一人のユダヤ人将校を破滅させるほどの現実変成力を持っていることを世界に示したのである。

 ヘルツルはこのような本を信じた人々が「自由平等博愛」の祖国であるはずのフランスの首都で怒りに身を震わせて「ユダヤ人は出ていけ」と叫ぶ光景につよい衝撃を受け、ヨーロッパにはこれから先ユダヤ人の居場所はないかも知れないという悲観的な見通しを抱くようになった。そして、ヘルツルは「ユダヤ人はヨーロッパから出て、アフリカでもアジアでも、自分たちだけの国を作ってそこで暮らせばいい。そこでなら諸君の民族的尊厳も保てるであろう」というドリュモンの「忠告」をまっすぐに受け止めて、「ユダヤ人のホームランド」を創建するという近代シオニズムのアイディアを得る。ヘルツルがバーゼルで第一回世界シオニスト会議を招集するのはドレフュスの軍籍剥奪の2年後のことである。

 この同じ光景につよい衝撃を受けたもう一人のユダヤ人ジャーナリストがいた。ゾラの『私は告発する』のさらに2年前に『ドレフュス事件の真相』を公にして、ドレフュス無罪の論陣を張ったベルナール・ラザールである。彼はフランスのユダヤ人たちがドレフュス事件に無関心を装い、自己保身に汲汲とする態度に怒りを爆発させ、「殴られても抵抗せず、背をかがめ、嵐が過ぎるのをただ待つ昔ながらの生き方をするユダヤ人」に別離を告げて、「戦うユダヤ人の軍団」の登場を予言した。この軍団はいずれドリュモンとその一党に対して「ただ連帯するだけでなく、襲いかかるであろう」と。(『反ユダヤ主義を駁す』)

 ヘルツルとラザールはのちに近代シオニズム運動を牽引する二人のキーパーソンとなった。ヨーロッパ人との共生を断念し、ユダヤ人だけの国を創るというアイディアを彼らに刷り込み確信させたのは、ドリュモンの反ユダヤ主義プロパガンダとドレフュス事件だったのである。 

 1948年のイスラエル建国、三次にわたる中東戦争、現在に至るパレスチナ紛争ももとをたどればこの事件に帰着する。

 この映画を観ただけでは、ドレフュス事件がそれから後に起きる無数の暴力と流血の淵源となったという事実は私たちにはわからない。映画は「ドレフュス派」の勝利(ピカールの陸軍大臣就任、ドレフュスの復職と昇進)の場面で終わるが、それは一時的なものに過ぎなかったのである。

 ドリュモンはその後も「ドレフュス派」がフランス人を奴隷化しようとしているユダヤの世界政府の走狗だと信じ続け、ドレフュスの無罪確定と復権そのものがユダヤ人の世界政府がフランスの統治機構を闇から支配していることの動かぬ証拠だと考えた。

 ドリュモンは、ユダヤ人が有罪になれば、それはユダヤ人が悪事を働いたからであり、ユダヤ人が無罪になれば、それはユダヤ人の悪事をもみ消すほどの巨大な闇の力が働いたからであるという「無敵」の論理を貫き、多くのフランス人がそれを支持した。彼はドレフュス事件のさなかに国会議員に選出され、やがてフランス右翼の大立者となり、晩年にはアカデミー・フランセーズ会員にさえなりかけた。

『ユダヤ的フランス』の最新版は2016年に出ている。この陰謀論はなんと足かけ3世紀を生き延びたのである。そして、それは今日でもフランスにおける反イスラム、反移民、反LGBTの毒性の強い民衆運動を生み出し続けている。フランス人たちは反ユダヤ主義陰謀論の清算に今も成功していないのである。

 

 ロマン・ポランスキーがこの映画を作ることに今日性があると感じたのにはそれだけの理由があるということである。