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内田樹さんの「自分のヴォイスを見つけるためのエクササイズ」(その2) ☆ あさもりのりひこ No.1213

いま奈良の多武峰というところに来てます。外はぱらぱらと雨が降っていて、同行の人たちはもう山に登って能の準備をしています。僕は夕方から出番なので、今はがらんとした宿に残って、メールを読んだり、短い原稿を書いたりしています。

 

 

2022年8月6日の内田樹さんの論考「自分のヴォイスを見つけるためのエクササイズ」(その2)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

O川さま

 こんにちは。

 就職したそうですね。おめでとうございます。よかったね。

 こつこつ一歩ずつがんばってください。

 課題拝読しました。文章が格段にうまくなっていますね。

 課題の意味はもうおわかりだと思うけれど「自分ではないもの」に言葉を仮託した方が人間はものを「ていねいに観察する」ようになるということを知ってほしかったからです。

 この「動物憑依文体」は古くは漱石の『我が輩は猫である』、カフカ『変身』から大島弓子『綿の国星』,サラ・イネス『誰も寝てはならぬ』に至る無数の先行事例がありますが、文学史の教えるところでは、この手法を最初に意識的に採用したのはモンテスキューだそうです。

 モンテスキューは『ペルシャ人の手紙』というフィクションで、「パリにはじめてやってきたペルシャ人」になりすまして、そこで「ペルシャ人」が見聞きしたパリジャンたちの奇妙きてれつな生活態度やものの考え方をびっくりしながら故郷にあてて手紙を書いたのです。

 パリの人間がパリの人間を記述すると、どれほど中立的に書こうとしても、どこか冷笑的になったり、思い入れ過剰になったりします。でも、「ペルシャ人」が「パリの人はこんなふうだよ」と書くと、それはただ客観的に記述するだけで批評的に機能する。そういう仕掛けです。

 現代でも、「タイムマシンに乗って過去からやって来た人」が現代人の生活を見てびっくりするし、現代人は昔の人のものの考え方やたたずまいを最初のうちは笑っているけれど、そのうちにだんだんその真価に気づいてゆく・・・というパターンのテレビドラマとかマンガとかいっぱいありますよね。

「異人」のまなざしから自分たち自身を記述するというのは、とてもよい知性と想像力の訓練になります。

 というわけで、今回の「牛」から見た人間世界は、「牛の生理」(眠気とか空腹とか痛覚とか)にO川くんがかなり想像的に同化していたので、とてもリーダブルなものになりました。あとは、「僕」が自分がメスだと気づいたあとも一人称が変わらないところが面白かったですね。あれが途中で「あたし」とかになると面白かったかもしれないけれど、作り過ぎになるかもしれない。

 今回の課題のポイントは「異人」の身になってみるということができるかどうかでした。

そのときの「身になる」というのは文字通り「その人の身体」に入り込んで、いっしょに眠くなったり、お腹が減ったり、さびしくなったり、穏やかになったり・・・という身体実感を共有することです。

 それができていたので、今回の課題はグッドジョブでした。

 さて、次回はその応用問題です。今度は逆です。僕たちの世界をぜんぜん知らない人に、僕たちの世界の成り立ちを教えるという「説明」の文章訓練です。

 今回は素材を指定します。「サッカー」です。

 サッカーというものを生まれてから一度も見たことがない人(冬眠していたとか、宇宙から来たとか、そういう人です。日本語は理解できます)がテレビのサッカーの試合を見てO川君に「この人たちは何をしているの?」と訊いてきました。

 O川君はいっしょにテレビを見ながら、その「異人」にサッカーのグラウンドで、あの22人はいったい「何をしているのか」、観客たちはどうしてあんなに興奮しているのかを説明しなければなりません。タッチラインもオフサイドもコーナーキックも、なあんにも知らない人にサッカーの「楽しさ」を教えるのです。

 字数は制限ありませんけれど、できれば「試合開始後5分くらいに訊かれたので、ハーフタイムが終わるまでに説明し終えた」くらいの時間で済ませてください。

では〜。

 

O川さま

 おはようございます。内田樹です。

 いま奈良の多武峰というところに来てます。外はぱらぱらと雨が降っていて、同行の人たちはもう山に登って能の準備をしています。僕は夕方から出番なので、今はがらんとした宿に残って、メールを読んだり、短い原稿を書いたりしています。

 さて、今回の課題、とっても面白かったです。

 この「地の言葉」が使えるというのは、ほんとうに強みですね。

「地の言葉」というのは、言葉だけじゃなくて、みぶりや表情やトーンや服装や職業やしばしば価値観や美意識やイデオロギーまで「込み」で口にされるものだからです。

ロラン・バルトはこの「地の言葉」のことをsociolecte「社会的方言」と呼びました。

アイアンマンのパワードスーツみたいに「すぽん」とそこにはまりこむと、あとは自動的に言葉が出てくるんです。

 いったん学習して身体化すると、「地の言葉」をつかうと、いつもと違う言葉づかい、違う視点、違う文脈で世界を叙すことができる。

 これは大きなアドバンテージです。

 でも、これは同時に「ヴォイスへの道」のひとつの落とし穴でもあります。

 だって、どんどんあふれるように言葉が湧き出てくるわけですから、「おお、これが私のヴォイスか!」ってつい思っちゃうんです。

 この言葉づかいさえしていれば、いくらでも言いたいことが言えるんですからね。

 でも、それはほんとうに「言いたいこと」なのか。

 パワードスーツに装備されている「出来合いの言葉」を再生し、「他人の言葉」を模倣しているだけではないのか・・・

 そう考えるとけっこう話がややこしくなってきます。

 でも、いいんです。

「ヴォイスとは何か?」という問いはそんなに簡単に答えが出るものじゃないか。のんびりやりましょう。

 それに「地の言葉」の持っている生成力と破壊力は侮れないですからね。その言葉の「適切な使い方」を覚えるのは自動車の運転技術を覚えるのと同じようにたいせつなことなんです。

では、次の課題。

 

課題(6)ははじめての課題ですけれど、「対話」を書いてもらいます。台詞だけ。芝居の戯曲と同じです。でも、「ト書き」は要りません。登場人物の名前も性別も年齢も職業もあらかじめ規定する必要はありません。ただ対話だけ。もちろん、オチも教訓も要りません。前の言葉に反応して、次の言葉が出てくる。ただどんどん対話が進み、時間が来たらぷつんと切れる。

最初の台詞だけ決めておきますね。

「誰待ってるの?」

では、がんばってね!