〒634-0804

奈良県橿原市内膳町1-1-19

セレーノビル2階

なら法律事務所

 

近鉄 大和八木駅 から

徒歩

 

☎ 0744-20-2335

 

業務時間

【平日】8:50~19:00

土曜9:00~12:00

 

内田樹さんの「共感にあらがえ」(その4) ☆ あさもりのりひこ No.1231

これはソクラテスが言っていることなんですけれど、僕たちはその解法が分かっているものは「問題」としては意識しない。逆に、解法がまったく思いつかないものも「問題」としては意識されない。僕たちが「問題」だと思うのは、その解法がまだ分からないのだけれど、これから時間をかけて取り組んでゆくといずれ解法がわかりそうな気がするものだけなんです。

 

 

2022年8月14日の内田樹さんの論考「共感にあらがえ」(その4)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

永井:たしかに、私も「葛藤している方が真摯なんじゃないか」ということは、なんとなくわかりますし思ってもいます。でも、自分がいくら葛藤したところで問題はずっとそこにあり続ける。その問題を、私はどう捉えればいいんだろうと考えざるを得ません。物事が良くなるには百年、千年かかる。「一歩ずつよくなってればいいじゃないですか」ということを言われたりもします。それはとてもよくわかる反面、社会が良くなるためにも千年かかりますってときに、その問題に対して「仕方ないよね」で片付けるのも納得がいかないというか、それでいいんでしたっけ?と素直に思います。

 

内田:いやいや、片付けちゃいけないんですよ。葛藤するというのは、納得がゆかないということなんですから。

 

永井:でも、いくら葛藤しても実際にその問題を解決できなければ意味がないのでは、とも考えるわけです。今ここで、その問題の解決を考えているわけですし。

 

内田:これはソクラテスが言っていることなんですけれど、僕たちはその解法が分かっているものは「問題」としては意識しない。逆に、解法がまったく思いつかないものも「問題」としては意識されない。僕たちが「問題」だと思うのは、その解法がまだ分からないのだけれど、これから時間をかけて取り組んでゆくといずれ解法がわかりそうな気がするものだけなんです。だから、永井くんがあることを「問題だ」と考えているということは、指先が解法に手が届いているという実感があるからなんだと思う。どうやって解けるかはまだわからない。でも、時間をかけて、経験を積んでゆけば、わかりそうな気がする。そういう状態にいるんだと思います。

 永井くんがホームレスを見て葛藤するのは「自分の力の範囲内でこの状況をなんとかできるかもしれない」と思っているからなんですよ。解決する手立てがどこかにある「ような気がする」。解決の可能性を直感している。まったく自分の手には負えないと思っていたら、そもそも視野に入ってこない。まったく無力な人間は自分のことを「無力」だとさえ思わない。「自分には力が足りない」と思うのは実は多少は力があるからなんです。

 永井くんがこれから力を付けてゆくと、いずれなんとかなるかも知れないということを直感的には確信しているんです。今は「どういう力を身に着けたらこの問題は解決できるのか」を考えてゆけばいい。そんなに急がなくていいんですよ。

 

永井:ソマリアは当時、「比類なき人類の悲劇」だと言われていたんですが、同時に「地球で一番危険な場所」とも言われていました。なので特に日本なんかではほとんどの大人たちがソマリアなんて無理となっていて、「英語話せるようになれ、専門知識つけろ、10年は経験積め」なんてことを話を聞きに行った大人たちに言われていたんです。それはたしかにそうなのかもしれない。でも、じゃあ「自分はその10年間どの面下げてソマリアを見ていればいいんだ」と思った。そもそもそれらを持ってる大人たちが危険だの金がおりないだのでやらないわけですし。なので、結局問われているのは姿勢だなと考えるに至りました。

 

内田:個人としての限界があるから、そこのところは折り合いをつけるしかないと思いますよ。死んだら身も蓋もないから。永井くんがもし、この世に少しでも善を積みたいと思っているなら、「長生きする」ってこともけっこう大事な仕事ですよ。

 

永井:葛藤しつつ、とかく瞬間瞬間ベストを尽くすということなのかもしれません。問題解決への文字通りのベスト。とはいえ実際にはなんだかなあと思うのですが、「じゃあ今この瞬間に世界にあるすべての人権侵害と紛争をなくしてみろよ」と言われても、恥ずかしながらできないのも事実ではあります。だからこそ、恥ずかしいと思いながらも、少しばかり先のことも見据えて、ベストを尽くす必要があるのかもしれないと思いました。

少し話が戻るのですが、内田先生のおっしゃる「感情の器」って、「人を見る目」「ものを見る目」でもあるとのことでしたけど、それって理性ともまた違うんですか?

 

内田:理性とは違いますね。やっぱり「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。

 

永井:「感情の器」を大きくするのって、「外付け」や家風以外でできたりしないんですか?というのも、外付けが嫌だったり合わない人もいれば、家が崩壊している人もいるでしょうし。

 

内田:「とにかくこの人は器が大きい」と思う人のそばに行って、弟子入りしたり、友達になればいいんじゃないかな。自分の器をちょっとでも大きくしたいと思ったら、実際に器の大きい人に親しむしかないと思います。「器の大きい人ってこうやって息するんだ」とか「こうやって鼻かむんだ」とか。身近で、その人の所作や物言いを身近に感じて、それを模倣する。それは書物では学べないことですね。

 

永井:たとえば内田先生は、どうされたんでしょう。

 

内田:合気道の師匠の多田宏先生と哲学上の師匠のエマニュエル・レヴィナス先生に就いて学んだのだと思います。二人ともほんとうにスケールの大きい師でした。

 

永井:となると、集団的な知性を高めるためには、たとえばどんなことをすればいいのでしょうか。

 

内田:普通にしてればいいんじゃないですか(笑)。世の中には感情の器が大きい人がいるということを永井くんを通じて見せるのが一番早道なんじゃないかな。そういう人を見ると、「自分ももしかしたらそうなのかも」って思うから。見たことないと、そうは思わない。

陸上競技でも100メートル9秒台って人間には無理だと思われていたんだけど、一人が9秒台を出すと、走れる人がどんどん出て来たでしょう。高いパフォーマンスを持っている人ができる最良のことは「人間ってここまでのことができるんだ」ということを見せられるということです。それを見て、「じゃあ、自分も」と思う人が出て来る。

 

永井くんがやっていることもそうだと思う。永井くんを見て、これからアフリカやアジアに支援に入っていく若い人がどんどん出てくると思う。それは永井くんが「できる」ということを見せたから。「こういうことをやってもいいんだ。やればできるんだ」ということがわかると、フォロワーが出てくる。