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内田樹さんの「国葬という政治的失着」 ☆ あさもりのりひこ No.1252

国葬というみすぼらしい政治イベント

 

 

2022年9月27日の内田樹さんの論考「国葬という政治的失着」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

9月19日毎日新聞発表の世論調査では内閣支持率は29%、不支持率は64%。もはや「政権末期」の数字である。なぜ岸田内閣は国民の信をこれほど急に失ったのか。「してはいけないことをした」というよりは「すべきことをしなかった」せいだと私は思っている。

 法的根拠のない安倍元首相の国葬を国会の審議を経ず強行したことで一気に支持率は下がった。でも、国民はこのルール違反を咎めたわけではないと思う。政府の「ルール違反」はこの10年もう日常化していたし、それは安倍時代には内閣支持率に影響しなかったからである。

 法的根拠のない「超法規的措置」を内閣が断行するということはある。かつて福田赳夫首相はダッカ事件に際して、人質をとった日本赤軍の要求に応じて、獄中の赤軍メンバーを釈放するという超法規的措置を採った。首相はこの時「人命は地球より重い」という言葉でこの政治判断への理解を国民に求めた。私たちの世代の多くは四半世紀を経た今でも「超法規的措置を正当化するためには、それなりの重さのある言葉が要る」という教訓と併せてこの言葉を記憶している。

 しかし、今回の超法規的措置には特段の緊急性はなかった。今すぐ国葬にしなければ誰かが取返しのつかない損害を蒙るという話ではなかった。さらにこの措置を正当化する「重さのある言葉」を首相が語ることもなかった。ただ法治国家のルールを軽視しただけだった。

 首相がもしこの措置について国民の同意を求める気があったら、国民に向けて情理を尽くして語りかけたはずである。亡き元首相がいかに歴史に卓越した政治家であり、その功績が比肩なきものであるかを言葉の限り説いたはずである。

 国葬の閣議決定が下った時点では、国民の相当数は国葬の是非について態度を決めかねていた。賛否どちらにでも世論は動く状態だった。そうであれば、首相が故人への崇敬の思いを真率に語れば、国民の相当数は国葬を是としただろう。でも、首相はそれを怠った。在職期間が長かった。内政外交に功績があったというような気のない文章を棒読みしただけだった。

 首相は「聞く力」ということを繰り返し語ったが、政治家に最も必要なのは「ここ一番」という時に、割れる世論をとりまとめて、合意形成をもたらす「語る力」ではないのか。耳元で大声でがなり立てる人の話を「聞く」だけで、国民的合意を形成するために「語る」ことを惜しんだせいで、首相は支持を失った。

 安倍時代はそれで済んだ。選挙で勝てば「民意は得た」と居直って、個別的な事案については、どれほど国民の反対があっても無視することができた。国民の反対を無視しうるということそのものが磐石の権力基盤の上に政権が成立しているという事実を証し立てていると国民たちは信じ込まされたのである。「あれほど権力的にふるまうことができるのは、実際に権力があるからだ」と国民は合理的に推論して、権力者に抗うことを諦めた。

 そのようにして、10年にわたって、法律も憲法も無視し、国民の反対も無視することが「できた」のは、逆説的だけれども、安倍晋三という政治家に「他の総理大臣たちに卓越した力」があったと認めざるを得ない。

 民意を得るための最良の方法は民意を得るためにまったく努力する様子を見せないことだというのが安倍政治の「教訓」であり、続く二代の政権はそれを愚直に踏襲して、短期間のうちに支持を失った。

 

 国葬というみすぼらしい政治イベントから岸田首相が「重大事案については、そのつど情理を尽くして国民を説得して、民意を得るために不断の努力をしなければならない」という教訓を得たのだとしたら、民主主義のためには言祝ぐべきことだと言わなければならない。でも、その教訓を生かすだけの時間が彼に残されているかどうかは分からない。