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内田樹さんの「サコ先生との対談本の「あとがき」」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1256

それは「創造」と「管理」ということが原理的には相容れないものだからです。そして、「管理」がどういうものであるかはほとんどの人が知っているけれど、「創造」がどういうものであるかを知っている人はそれに比べるとはるかに少ないのです。

 

 

2022年11月3日の内田樹さんの論考「サコ先生との対談本の「あとがき」」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

中央公論新社からウスビ・サコ先生との対談を中心にした本が出ることになった。ゲラはもう戻して、最後に「あとがき」を書いた。

 

 ウスビ・サコ先生との対談を中心にまとめた本を出すことになりました。サコ先生は日本ではじめての「アフリカ出身でムスリムの学長」です。多様な出自の人々を同胞として迎える心構えにおいて日本社会はまだまだ十分な成熟に達していないと僕は思いますけれども、それでもサコ先生のような人が登場してきたこと、サコ先生の言葉に耳を傾ける人がしだいに増えてきたことは、日本の未来について僕を少しだけ楽観的な気持ちにさせてくれます。僕が日本の未来について「楽観的になる」ということはほとんどないのですけれど、サコ先生は僕にその「ほとんどない」経験をさせてくれる稀有の人です。

 この本で、僕たちは主に日本の学校教育について論じています。学校教育が僕たち二人の「現場」だからです。僕はもう定期的に教壇に立つということはなくなりましたけれども、いまでもいくつかの大学に理事や客員教授としてかかわっているので、大学で「今何が起きているのか」はある程度わかっています。そして、大学に関して言えば、楽観的になれる材料はほとんどありません。大学教育は制度としてはどんどん劣化しているし、研究教育のアウトカムはどんどん低下している。それも加速度的に。

 その原因については本書の中でも繰り返し述べています。それは「教育研究を中枢的に統御し、管理しようとする欲望」がもたらしたものです。「諸悪の根源」というような激しい言葉を僕はあまり使いたくないのですけれども、「統御し、管理しようとする欲望」が今の学校教育の荒廃の主因であることは間違いありません。

 でも、不思議な話です。「統御し、管理しようとする欲望」は「秩序」をもたらし、「効率」や「生産性」を向上させることをめざしているはずです。でも、それがまったく逆の結果を生み出してしまった。どうしてなんでしょう。

 それは「創造」と「管理」ということが原理的には相容れないものだからです。そして、「管理」がどういうものであるかはほとんどの人が知っているけれど、「創造」がどういうものであるかを知っている人はそれに比べるとはるかに少ないのです。

日本社会では「管理」したがる人の前にキャリアパスが開かれています。彼らは統治機構の上層に上り詰め、政策決定に関与することができます。でも、「創造」に熱中している人はシステム内での出世にはふつう興味がないので、創造的な人が政策決定に関与する回路はほぼ存在しません。

 ですから、資源分配の決定を「管理が好きな人たち=創造とは何かを知らない人たち」が下す限り、その集団が創造的なものになるチャンスはまずありません。自分の出世しか興味がないサラリーマンが組織マネジメントを委ねられると、組織はどんどん息苦しく、みすぼらしいものになることは避けがたい。

 というのは、「管理」が大好きな人たちは、あらゆる仕事に先立って「まず上下関係を確認する」ところから始めるからです。「ここでは誰がボスなのか」「誰が命令し、誰が従うのか」「誰には敬語を使い、誰にはため口でいいのか」「誰には罵倒や叱責を通じて屈辱感を与えることが許されるのか」ということをまず確認しようとする。彼らはまずそれを確認しないと仕事が始められないのです。

 この集団はそもそも何のためにあるのか、いかなる「よきもの」を創り出すために立ち上げられたのかとか、メンバーたちはそれぞれどういう能力や希望があるのかということには副次的な関心しかない(それさえない場合もあります)。関心があるのは「上下」なのです。

 ですから、日本の組織においては、上司が部下に対して最初にするのは「仕事を指示すること」ではなくて、「マウンティングすること」ことなんです。目下の人間にまず屈辱感を味合わせて、「この人には逆らえない」と思い知らせることがあらゆる業務に優先する。そんな集団が効率的に機能すると思いますか? 朝の会議で上司が部下に「発破をかける」ということが日本の会社ではよく行われますが、あれは別に今日する仕事の手順を確認しているわけではありません。誰が「叱責する人間」で、誰が「黙ってうなだれる人間」かを確認をする儀礼なんです。そんなこと何時間やっても仕事は1ミリも先に進まないのに。

 でも、管理が好きな人たちは、その因果関係が理解できない。しっかり管理しているはずなのに、トップダウンですべての指示が末端まで示達されているはずなのに、なぜか組織のパフォーマンスはどんどん下がる。

 どうして、仕事がうまくゆかないのか。そう問われると、彼らは反射的に「管理が足りないからだ」と考える。「叱り方が足りないからだ」「屈辱感の与え方が足りないからだ」と考える。そして、さらに管理を強化し、組織を上意下達的なものにし、査定を厳格にし、成果を出せない者への処罰を過酷なものにする。もちろん、そんなことはすればするほど組織のパフォーマンスはさらに低下するだけなわけですけれども、その時も対策としては「さらに管理を強化する」ことしか思いつかない。

 

 軍隊には「督戦隊」というものがあります。前線で戦況が不利になった時に逃げ出してくる兵士たちに銃を向けて「前線に戻って戦い続けろ。さもないとここで撃ち殺す」と脅すのが仕事です。軍隊の指揮系統を保つためにはあるいは必要なものかも知れませんが、もし「半分以上が督戦隊で、前線で戦っているのは半分以下」という軍隊があったとしたら「管理は行き届ているが、すごく弱い」軍隊だということは誰にでもわかると思います。今の日本の「ダメな組織」はこの「督戦隊が多すぎて、戦う兵士が手薄になった軍隊」によく似ています。学校現場もそうです。