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内田樹さんの「比較共産党論のすすめ」 ☆ あさもりのりひこ No.1265

マルクスを読むことは、本邦では久しく知的成熟の一階梯だと信じられてきた。マルクスを読んだあと天皇主義者になった者も仏教徒になったものもビジネスマンになった者もいる。それでも、青春の一時期にマルクスを読んだことは彼らに何らかの屈折を残した。

 

 

2022年11月13日の内田樹さんの論考「比較共産党論のすすめ」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

以前、日本共産党から「党名を変更すべきだという声がありますが、どうお考えですか」というアンケートに回答を求められたことがある。私は「改名すべきではない」と答えた。私の友人たちの中にも実利的な理由から「共産党なんていう古めかしい党名はもう捨てた方がいい」という意見の人もいる。でも、改名しても党はマルクス主義政党であることを止めないだろうし、メディアはその後も「〇〇党(旧共産党)」という表記を続けるだろう。果たしてどれほどの「実利」があるだろうか。

 党名を維持した方がいいと私が思うのは、党名を保つことで「比較共産党史」という興味深い研究領域が成立すると思うからである。1917年のロシア革命の後、世界中に共産党ができた。ドイツ共産党、フランス共産党、イタリア共産党、アメリカ共産党...アジアでも中国共産党、インドネシア共産党、日本共産党、朝鮮共産党、ベトナム共産党などが次々と創建された。それからおよそ100年を経て、それぞれの党の消長を見ると、その国の固有の政治風土が際立つように私には思われるのである。

 19世紀のアメリカが世界の社会主義運動の一大拠点であったことはあまり知られていない。1852年から61年までカール・マルクスは当時ニューヨークで最大部数を誇った『ニューヨーク・トリビューン』のロンドン特派員として400本を超える記事を寄稿していた。リンカーンの再選の時に第一インターナショナルは祝電を送り、リンカーンも返礼をしている。アメリカに「草の根のコミュニズム」が育つ可能性はその時点では存在したのだが、20世紀に創建されたアメリカ共産党はコミンテルンに頤使される硬直した組織となり、大戦間期に知識人にいくばくかの支持を得た以外にアメリカ政治史に足跡らしいものは残していない。

 イギリス共産党はかつてはジョージ・オーウェルに『1984』を書かせるほどに強力なスターリン主義政党だったが、今は見る影もない。フランス共産党はレジスタンスの中核をなし、一時期はドゴール将軍にとって国内最大のライバルだったが、「モスクワの長女」と称されたソ連追随が嫌われて、これも今や存亡の瀬戸際にある。インドネシア共産党はかつては一大勢力だったが、1965年スハルトによる大弾圧で壊滅した。朝鮮共産党は離合集散を繰り返しながら、激しい弾圧を生き抜いたが、最後は北朝鮮の朝鮮労働党に収斂した。今マルクスが生き返って習近平の中国共産党を見てなんと評するか私には想像もつかない。

 その中にあって日本共産党は例外的に「穏健なマルクス主義政党」として生き延びている。  

 以前、新華社からのインタビューで「どうして日本ではマルクス主義が市民社会に許容されているのか」と訊かれたことがある。私は日本では、マルクスの非政治的な読みが許されていたからだと思うと答えた。マルクスを読むことは、本邦では久しく知的成熟の一階梯だと信じられてきた。マルクスを読んだあと天皇主義者になった者も仏教徒になったものもビジネスマンになった者もいる。それでも、青春の一時期にマルクスを読んだことは彼らに何らかの屈折を残した。

 日本人は世界の共産党の興亡とはかかわりなくマルクスを「教養書」として読んできた。その固有の歴史的条件が日本共産党の今のかたちに影響を与えていると私は思う。

 

 同じ名前を持つ政党のそれぞれ相貌を異にする歴史を照合することで私たちは諸国民の政治的傾向を知れるような気がするのである。