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内田樹さんの「アメリカと中国のこれから『月刊日本』ロングインタビュー」(その1) ☆ あさもりのりひこ No.1269

世界のこれからについては三つのシナリオがあります。「アメリカ一人勝ち」と「米中二極論」と「多極化・カオス化」の三つです。ここ数年は「米中二国が覇権を競う」という二極論が支配的でしたけれど、僕は「多極化しつつ、米中の競争ではアメリカ優位」というシナリオが現実的ではないかと思っています。

 

 

2022年11月21日の内田樹さんの論考「アメリカと中国のこれから『月刊日本』ロングインタビュー」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

― アメリカのバイデン大統領と中国の習近平国家主席がそれぞれ新体制をスタートさせ、米中覇権争いは新たな局面に突入しました。

 

内田 世界のこれからについては三つのシナリオがあります。「アメリカ一人勝ち」「米中二極論」「多極化・カオス化」の三つです。ここ数年は「米中二国が覇権を競う」という二極論が支配的でしたけれど、僕は「多極化しつつ、米中の競争ではアメリカ優位」というシナリオが現実的ではないかと思っています。アメリカが抱えている最大の問題は「国民の分断」ですけれど、これについてはアメリカに過去にいくども分断を克服した「成功体験」がある。この点で言えば、危機に対する「レジリエンス」(復元力)は中国よりアメリカのほうが強いように見えます。

 アメリカは建国以来「自由」と「平等」という二つの統治原理の葛藤に苦しんできました。自由と平等はもともと相性が悪い。「水と油」の関係です。個人が最大限の自由を追求すれば、弱肉強食の社会となって平等は失われ、平等の実現のためには公権力が市民的自由をどこかで制約しなければならない。

 自由と平等のどちらかを採り、どちらかを捨てるというわけにはゆかない。そのさじ加減を間違うと、国民的分断や場合によっては内戦の危機にさえ直面することになります。でも、アメリカはそのたびに「和解の物語」を編み出して国民の統合を維持してきた。

 いまのアメリカは「準内戦」レベルまで分断が深刻化していると言ってよいと思います。しかし、過去にこういう危機を何度も乗り越えてきた経験があります。そして、分断を乗り越えて和解を達成したときに、国運の上昇が訪れることも知っている。ですから、アメリカは現在の分断もいずれ乗り越えると思います。

 アメリカは分断と和解の両極端を往還してきました。単一の統治原理に居着くことなく、絶えず葛藤に苦しむことからアメリカは政治的エネルギーを汲み出し、それがアメリカン・デモクラシーの原動力だと言ってよいと思います。

 それに対して、中国の統治原理はもっとシンプルです。「中華皇帝による独裁」か「群雄割拠の内戦状態」か、それがデジタルに交代する。「独裁と内戦の中ほどでバランスをとる」というようなことはありません。中央のハードパワーが強い間は帝国が維持され、弱まれば辺境が反乱を起こす。この交代劇は古代から現代まで変わりません。

 いまの中国は「無謬の共産党」による一党独裁体制ですから、アメリカのような統治原理上の矛盾はありません。中国共産党による中華人民共和国建国の最優先課題は何よりも全国民の平等の達成でした。市民的自由の達成ではありません。まず権力者、富裕層を倒し、社会的弱者、貧民に資源を分配すること、それが最優先されました。

 毛沢東の中国は「国民すべてが等しく貧しい」という仕方でしたけれども、その理想を実現した。しかし、鄧小平の「先富論」はそれを逆転しました。「先に豊かになれる者たちを富ませ、落伍した者たちを助ける。富裕層が貧困層を援助することを義務にする」というロジックで、人民の間に自由競争を導入したのです。その結果として年率二桁を超す経済成長を達成したわけですが、同時に、一方では超富裕層が生まれ、他方では半数の国民が貧困のうちに取り残されるという格差社会になった。革命で廃絶したはずの階級が事実上甦ってしまったのです。

 公権力が介入して、富者の懐に手を突っ込んで、貧者に分配しないと社会的平等は達成できないけれど、それをすれば経済成長は止まるリスクがある。中国はここで「自由と平等の葛藤」にはじめて直面したわけです。問題は、過去にこの同じ葛藤に苦しみながら、それを解決したという成功体験を中国の統治者は持っていないということです。自由と平等の間の「ほどよい落としどころ」を見つけて、帝国という「器」を修理しながら維持したという政治的経験がない。中国のレジリエンスは弱いと僕が見るのは、この経験の欠如です。

 習近平はこの統治上のリスクを察知して、強大な「皇帝」になることで市民的自由の抑制する道を選びました。でも、この強硬路線は一時的には奏功するでしょうけれど、遠からず限界を迎えます。経済活動の自由を抑制すれば、成長は止まるし、言論の自由を抑制すれば、知的イノベーションはもう起きないからです。

 

 レジリエンスは国家という「器」を維持する力ですが、それは中国よりアメリカのほうが強いと言ってよいと思います。現在の政治状況だけ見れば、民主主義ゆえに混乱を深めるアメリカより、独裁体制のもとで安定している中国のほうが優勢に見えますが、長期的にはレジリエンスの差が米中の明暗を分けることになると思います。