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内田樹さんの「アメリカと中国のこれから『月刊日本』ロングインタビュー」(その4) ☆ あさもりのりひこ No.1273

「人としてこれだけはしてはいけない」、「人としてこれはすべきだ」という常識にオルタナティブはあってはならないと僕は思っています。

 

 

2022年11月21日の内田樹さんの論考「アメリカと中国のこれから『月刊日本』ロングインタビュー」(その4)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

― ただ、欧米の衰退と新興国の台頭という世界的な潮流は変わらないように見えます。このまま欧米の指南力は失われていくのではありませんか。

 

内田 欧米の影響力低下というトレンドはたしかに今後も続くと思います。中国やロシアは欧米の価値観や政治モデルを公然と批判するようになっていますし、それに唱和する国々も世界には多い。しかし、だからといって中国やロシアが欧米に代わって指南力を発揮しているわけではありません。

 中国の経済力や軍事力は毛沢東の時代とは比べものにならないほど強くなっていますが、中国の指南力は毛沢東時代のほうがはるかに高かった。当時は世界中に毛沢東主義者がいて、毛沢東思想を学び、自国を中国みたいに改造しようとしていたわけですから。日本にもいたし、フランスにもいた。それがどれほど妄想的なものであったとしても、中国がある種の未来志向を牽引していたのは事実です。でも、いまの習近平にそのような指南力はありません。習近平自身は自分を毛沢東に比肩する偉大な指導者だと自称していますし、国内的には毛沢東並みの強権体制を形成していますが、「習近平主義者」は世界のどこにもいない。その差に習近平は気がついていません。それがいずれ致命的になるだろうと思います。

 欧米も含めて、最近では暴力的なナショナリズムが息を吹き返しています。移民排斥や人種差別も公然と口にされるようになった。でも、そうやって偏狭なナショナリズムが幅を利かせる国には、もう海外から「新しい血」は入ってきません。むしろ、創造的な才能はそんな国からは離脱してしまう。ナショナリズム、自国利益第一を声高に主張する国の言い分はたしかに生々しいほどリアルですけれども、世界を導く力はありません。国際社会において嫌がられたたり、恐れられたりはするでしょうけれども、敬意を持たれることはないし、グローバル・リーダーシップを執ることもできません。

 

― アメリカの衰退に伴い、今後の国際社会は多極化・多層化していくという論調が強まっています。その中で中国やロシアは「アメリカ一極支配」を批判して「多極世界」を強調し、非西側諸国を取り込もうとしています。

 

内田 欧米の政治理念が影響力を失ってしまったのは事実ですが、「俺たちの国は好きにさせてもらうぜ」というてんでんばらばらな行き方では世界的な課題に取り組むことはできません。パンデミック、異常気象、アフリカの飢饉などはトランス・ナショナルな協力体制を構築しないと対処しようがありません。「自分の国さえよければそれでいい」という考えでは、そういうトランスナショナルな課題はすべて放棄されてしまう。でも、そのコストをいま負担しておかないと、いずれ地球的規模での災厄が起きたときに、そこで稼いだわずかばかりの国益を全部吐き出しても間に合わないということになる。

 多極化モデルは一見すると合理的な解のように見えますけれど、長期的に見れば「間尺に合わない」。多極化モデルを採用すれば、個々の国民国家の自己利益が最優先され、排外主義や人種差別や宗教差別に歯止めがかからなくなる。多極化モデルによって世界が平和になり、人間にとってより住みやすい場所になると僕はまったく思いません。心の狭いやつだと思われるかも知れませんが、「人としてこれだけはしてはいけない」、「人としてこれはすべきだ」という常識にオルタナティブはあってはならないと僕は思っています。

 

― アメリカは建国以来「マニフェスト・デスティニー」を掲げて自国の正義を広め、一極モデルの世界を目指してきた国です。そのアメリカが簡単に多極化モデルを認めるとは思えません。

 

内田 アメリカは「自由と民主主義の伝道師」として、時には武力に訴えてでも世界中に自由や民主主義を輸出してきました。でも、モンロー主義の時も、第二次世界大戦前の非戦論がさかんだった時も、トランプの「アメリカ・ファースト」の時も「アメリカがよければそれでいい」という内向きの態度をとる時もありました。アメリカは態度を変えます。でも、それがアメリカなんです。「自分さえよければそれでいい」というのは「自由」の原理の過激化したものですし、「全世界がアメリカのように豊かで民主的であるべきだ」というのは「平等」の原理が過激化したものです。ここでもやはりアメリカは自由と平等という相反する統治原理の間で揺れ動いているのです。

 

 最近のアメリカの政治学者の論調は、もう「伝道師」稼業は止めにして、「中国やロシアなどの『不愉快な隣人』と共存していくしかない」という方向にまとまってきています。これはアメリカが倫理的に成熟して、他国の統治原理を尊重するようになったというのではなく、単に「自由と民主主義の伝道師」の仕事を続けるだけの国力がなくなったからだと思います。