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「俳優が俳優を演じる」という設定からは独特のリアリティーが生まれる。というのは下手な役者が名優を演じることは原理的に不可能だし、逆に上手い役者がわざと大根役者を演じることもできないからだ(やれば「名演技」と絶賛されてしまう)。
2022年12月29日の内田樹さんの論考「『ドライブ・マイ・カー』の独創性」をご紹介する。
どおぞ。
アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した映画『ドライブ・マイ・カー』について、「この映画の魅力は何でしょう」というインタビューを受けた。
あれこれ話したが、すぐれたアイディアだと思ったのは、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を多言語(日本語、韓国語、中国語、手話など)で演じる舞台の稽古を軸に物語が進むという設定だった。村上春樹の原作でも主人公の俳優家福が『ワーニャ伯父さん』の台詞を車内のカーステレオで練習するという場面はあるけれども、稽古と舞台を見せ場にしたのは映画の独創である。
「俳優が俳優を演じる」という設定からは独特のリアリティーが生まれる。というのは下手な役者が名優を演じることは原理的に不可能だし、逆に上手い役者がわざと大根役者を演じることもできないからだ(やれば「名演技」と絶賛されてしまう)。
俳優が俳優を演じる時、それ以外の設定では見ることのできない独特な緊張感が生まれる。別に劇的な出来事が起きるわけではなくても観客は少しだけ前のめりになる。
多言語演劇というのも巧妙な設定だと思った。日本語なら私たちには意味がわかる。だからつい意味を追ってしまう。それだけで「芝居を見た気」になる。でも、知らない言語で演じられると言葉の意味がわからない。私たちは俳優たちの微細な表情の変化や息づかいや声の響きに集中する他ない。それはストーリーを追うこととは別の種類の集中力を観客に求める。
さいわい、ベケットの『ゴドーを待ちながら』とチェーホフの『ワーニャ伯父さん』はよく知られた戯曲だから観客は台詞が聴き取れなくても、話が見えなくて困惑するということにはならない。観客はただ俳優の「フィジカル」に注目していればよい。というか、それしかすることがない。そのせいで、観客には物語の進行を高みから見物するという横着な構えが許されない。観客ひとりひとりが固有の仕方での「参与」を求められる。
台詞の多くを「聴き取ることができない」という設定そのものをアドバンテージとした映画が国際長編賞を受賞したのはある意味当然のことなのかも知れないと思った。
(2022年4月17日)