〒634-0804

奈良県橿原市内膳町1-1-19

セレーノビル2階

なら法律事務所

 

近鉄 大和八木駅 から

徒歩

 

☎ 0744-20-2335

 

業務時間

【平日】8:50~19:00

土曜9:00~12:00

 

内田樹さんの「最悪の事態を想像することについて」 ☆ あさもりのりひこ No.1322

「最悪の事態」を事細かく想像した上で、それが決して起きませんようにと強く念じることで「最悪の事態」の到来を防ぐというのは、人間が太古からずっとしてきた祈りの一つのかたちである。

 

 

2023年1月13日の内田樹さんの論考「最悪の事態を想像することについて」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

年頭なので「2023年はどうなるんでしょう」といろいろな人から訊かれる。そういう場合には「起こり得る最悪の事態」を語ることにしている。

 去年の年頭に「ロシアがウクライナに侵攻する」と予測していた人はきわめて少なかった。「ウクライナが徹底抗戦する」と予測した人はもっと少なかったと思う。なぜ予測がはずれたのか。両国の軍事力・経済力・外交力は比較可能であった。そこから推理して、侵攻後数日から数週間でウクライナは屈服し、指導者は亡命し、親ロ傀儡政権ができると多くの人は予測した。でも、現実はそうならなかった。実際に現実変成力を発揮したのはウクライナ国民の「気持ち」であり、それは数値的には考量できないものだったからである。私たちの予測がしばしば外れるのは「人の気持ち」に強い現実変成力があることを勘定し忘れるからである。

 ロシアは核兵器を使うだろうか。可能性はゼロではない。ウクライナや近隣諸国を破壊し、たくさんの人を殺すことはできる。だが、それから後、ロシアは国際的孤立を余儀なくされ、経済の停滞と科学技術の遅れによっていずれ先進国からも脱落するだろう。

 プーチンがおのれの判断ミスを認めて一人失権するくらいならロシアの全国民を道連れにする方を選ぶという時にもクレムリンのイエスマンたちは彼に従うだろうか。それとも、「それだけはやめてください」と袖にすがるだろうか。私にはわからない。ロシアの政権中枢に残っている人たちの「正気」の度合いもまた考量不能だからである。彼らの「正気」があるレベル以下であれば、第三次世界大戦が始まる可能性はある。

 中国の台湾侵攻はあるだろうか。私にはわからない。去年まで中国の国内メディアでは「いずれ台湾は中国領土になる」という不遜な楽観論が支配的だった。政府がそういう気分の醸成を主導していたのだ。でも、ウクライナの現実を見た後には、侵攻すれば、台湾国民はすぐに屈服するだろうという予測にはかなりの修正が加えられたはずである。台湾が保有する艦船やミサイルの数は数えられるが、2340万人の台湾市民の「気持ち」は考量不能だからである。

 台北に行ったことのある人は台湾海峡越しに大陸をにらみつける蒋介石の巨大な立像を観たことがあると思う。実際に侵攻がなされた場合、台湾市民の「大陸反攻の気持ち」がどの程度の強度を持つ物質力に転換されるのかは誰にもわからない。

 アメリカの外交専門家の中には、台湾市民は中国の軍事的圧力の前にすぐに屈服するだろうから、台湾支援のために米軍を出すのは、米中戦争のリスクを高めるだけで、メリットがないと平然と言い放つ人もいる。そうなのかも知れない。でも、たぶんこの人はウクライナについても、首都はすぐ陥落して、傀儡政権が出来るだろうという予測をしていたのではないかという気がする。「人の気持ち」というような不安定なものは外交や安全保障の政策立案に際して勘定に入れてはならないというのが「リアリズム」だと信じている人が時々いる。それも一つの見識ではあるが、夫子自身の予測がそのせいでよく外れることについての多少の反省はしているのだろうか。

 台湾侵攻というリスクの大きな決断を習近平が下すかどうか。合理的に推論すれば「下さない」だろう。でも、習近平の脳内でどのような計算がなされているかは、プーチンの脳内と同様、誰にも覗けない。彼が周囲のアドバイスに耳を貸さずに、東アジアの軍事的緊張を一気に高める選択をする可能性はある。

 その場合に、もし在日米軍が出動して、米中戦争が始まれば、安倍政権以来「戦争ができる国」になるためにこつこつと既成事実を積み上げてきた甲斐あって、日本も望み通りに戦争当事国になれる。そうなってから国土が破壊され、たくさんの人が傷つき、死ぬことになっても「こうなったのはもとはと言えば私の責任だ」と言う人は日本政府の中には一人もいないだろう。

 新年早々暗い話をしてすまない。でも、「最悪の事態」を事細かく想像した上で、それが決して起きませんようにと強く念じることで「最悪の事態」の到来を防ぐというのは、人間が太古からずっとしてきた祈りの一つのかたちである。『1984』以来、ディストピアの物語を私たちが語り止めないのはそのせいである。

 

(2023年1月11日「週刊金曜日」)