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「あらゆるシステムは民間企業のように経営されるべきだ」ということを涼しい顔で言い立てる人たちがいるけれども、それは端的に間違っている。
2023年1月20日の内田樹さんの論考「複雑系と破壊のよろこび」をご紹介する。
どおぞ。
年頭にはよく「今年はどうなる」という予測を求められる。予測が外れても失うほどの知的威信もないので、気楽に予測を語ってきた。十年スパンの国際情勢についての予測などはそこそこ当たるけれど、一年くらいのスパンでの政治についての予測はだいたい外れる。それは政治が複雑系だからである。
「複雑系」というのは「北京で蝶がはばたくと、カリフォルニアで嵐が起きる」というカラフルな喩えから知れるように、わずかな入力差が巨大な出力差として現象するシステムのことである。そして、政治や経済は複雑系である。
ロシアのウクライナ侵攻はプーチン大統領の脳内に兆した「主観的願望」がスイッチになった。冷静なテクノクラートが側近にいて「大統領、それほど簡単にウクライナは降伏しませんよ。長期戦になるとロシアは失うものが多すぎます」と諫言していれば、プーチンも再考したかも知れない(しなかったかも知れない)。でも、この選択によって世界の政治と経済は劇的に変化した。
経済もそうだ。イーロン・マスクがSNSで陰謀論や中傷が行き交うことが「言論の自由」だという独特の考え方をしたせいで、テスラの株価が暴落して、彼は個人資産の半ばを失った。
誰かの脳裏に浮かんだアイディア一つで政治や経済は激震をこうむる。世界的な影響力を持つ誰かの脳裏にいつどんな思念が浮かぶか、そんなことは誰にも予測できない。複雑系についての予測がおおかた外れるのはそのせいである。
逆に出力と同程度の入力がないと変化しない惰性の強い系もある。教育や医療や司法はそういう系であるし、そうでなければならない。たとえ変わる場合でも、氷の上を歩くようにゆっくり進まねばならない。
ところが、現代日本社会では、もうこの常識が通じなくなっている。直近の選挙で多数派を占めた政党が、惰性の強い制度をいじりまわすことを市民が当然だと思うようになったからである。
この数年間、わが国で起きた「とんでもない事件」のほとんどは、恒常的・安定的に管理運営されなければならないシステムに、政治家とビジネスマンが手を突っ込んできて、複雑系のように運営しようとしたせいで起きている。
「あらゆるシステムは民間企業のように経営されるべきだ」ということを涼しい顔で言い立てる人たちがいるけれども、それは端的に間違っている。政治やビジネスはそれで構わないが、教育や医療や司法や行政や社会的インフラのような「社会的共通資本」と呼ばれる制度については、政権交代したから教育制度が変わったとか、株価が下がったので医療制度が変わったとか、台風が来たから司法判断が変わったとかいうようなことがあってはならない。こういう制度は入力にかなり大きな変化があっても、制度そのものは「昨日と同じように」管理運営されていなければならない。現に私たちはそういう制度が短期的には変わらないことを前提にして生きている。
政治やビジネスの世界と、社会的共通資本の間には、乗り越えてはならない厳然たる境界線がある。その常識をある時期から日本人は放棄してしまった。たぶんわずかな入力で長い間続いていた堅牢な制度が激変するのを見ると(自分がその被害者である場合でさえ)、ある種の全能感のようなものを感じるのだろう。
私は合気道の師の多田宏先生から「破壊することは、創造するときに要する力の100分の1でできる」と教わった。だから、全能感を手早く求める者は必ず破壊に走る。先生の教えはそう続いた。
破壊することで得られる全能感に淫する人が今の世界にはあまりに多い。年頭に師の教えを改めて肝に銘じたい。
(2023年1月3日「山形新聞」)