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内田樹さんの「ある共産党員への手紙」 ☆ あさもりのりひこ No.1356

政治組織というのは、その政党が政権を取ったあとの未来社会を先駆的・萌芽的に表現するものだ

 

 

2023年3月28日の内田樹さんの論考「ある共産党員への手紙」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

共産党員で、私の本の愛読者でもあるというSさんという方から手紙を頂いた。松竹伸幸さんの「共産党党首公選」をめぐる論争で私が松竹さんの行動を支持していることについてである。共産党の党規約はよくできていて、党運営も民主的であるのだから、松竹さんは「意見があるなら、党内でドンドン発言しなさい」という『しんぶん赤旗』の読者投書を引いて、私の行動をやんわりと批判するものだった。それに対してこんな返信をした。

 

 Sさま

 はじめまして、内田樹です。

 お手紙と投書拝見しました。ご指摘ありがとうございます。

 松竹さんの件については、実は僕も困惑しています。

 僕は非党員ですから、共産党の党規約というものがどんなものだか知りません。共産党の党内民主主義の実相についても存じ上げません。

 松竹さんは現役の共産党員であり、長く党中枢にいた人で、僕が実際に存じ上げて、人間を信頼している方ですので、その方から「党首や党幹部の選出方法がブラックボックス化している」と伺ったので、そうなのだろうと思っていました。

 党外の人間にはそれをどうこうしろという資格はありませんが、党内の人がそう思うなら、それは十分議論するに値する論件だろうと思いました。彼が本を出して問題提起をしたいというので、それに賛成しました。

 それは何よりも、このような問題を共産党がどういう手際で扱うのか、そのプロセスに興味があったからです。この問題提起は、共産党に対する国民的注目を集めるチャンスになると思ったからです。「共産党はどういう政党なのか、その意思決定プロセスはどういうものなのか」がひろくメディアの話題になり、人々の関心事になることは党外の共産党支持者の拡大に資するだろうと思ったからです。

 ご存じの通り、僕は共産党の支持者です。今回の統一地方選でも、大阪の辰巳コータローさん、地元の県議の木田ゆいさん、市議の西ただすさんの推薦人になっています。

 僕が松竹さんの企画に賛成したのは、松竹さんの問題提起をめぐって活発な議論がなされることで共産党の支持者が増え、国政、地方議会での議席が増えるという「政治的判断」をしたからです。

 ですから、共産党がこの「世間の耳目を集める好機」を松竹さんの除名というかたちで終わらせようとしたことは「政治的判断」としては適切ではなかったと今でも思っています。

 党規約をすぐに変更する必要なんか別になかったのです。今の規約が適切だと思っていたら、それが適切である所以を論理的に説明すればよい。まずなすべきは、党員からの異議申し立てついて、どれくらい「鷹揚な」対応をできる「練れた」政党であるかを世間に知らせることだったということです。最終的に党規約を変えなくてもよかったのです。「そのような異議申し立てが行われたことを重く受け止め、党首選定のあり方について一石を投じてくれたことを奇貨として、これから熟議してゆきたい」と(リップサービスでも)言うだけで十分だと僕は思っていました。それだけでも確実に党のイメージアップにつながるから。

 

 Sさんはどう思われるか知りませんが、僕は政治組織というのは、その政党が政権を取ったあとの未来社会を先駆的・萌芽的に表現するものだと考えています。

 現在その政治組織が一人の独裁的指導者によってトップダウン的に組織されているなら、その政治組織が実現する未来社会は「一人の独裁的指導者によってトップダウン的に組織される社会」になる。その政治組織が理想社会を実現するためには陰謀や暴力を用いてもよいという立場なら、それが実現する未来社会は「理想的な国家を実現するためには、政府が市民に対して陰謀や暴力を用いることが許される社会」になる。

 これは経験的にそう信じています。これまでさまざまな革命闘争がなされ、いくつかは成功しました。その結果できた政府は、革命を主導した党派の組織原理をそのまま引き継いだ。革命闘争を成功に導いた党派の組織原理なんですから、変える必要なんかない。それが最も効率的であることは、革命闘争に勝利したという現実が証明している。そうやって世界の各地で、革命闘争勝利の後に、市民への苛烈な弾圧を「非とする」ロジックを持たない強権的な政府ができました。そのことは、ソ連や中国を見ればわかります。

 僕がかつて左翼の学生運動にかかわった時に、「これはダメだ」と思って離れたのは、どの党派を見ても、その今の学生組織が未来社会の萌芽形態であるのだとしたら、「こんな社会には住みたくない」と思ったからです。

 共産党についても同じことを思います。「党規約に基づいて、適法的に異議申し立てをなさない党員は除名する」という原則主義的な態度は、その政党がめざす未来社会は「政府への異議申し立てを、法律に基づいて適法的に行わず、それ以外の手段で行った国民は国籍を剥奪されることを是とする社会」になる。

 残念ながら、「これを非とする」というロジックは今回の共産党の決定からは出てきません。論理的に無理筋なんです。

 僕の立場は「これを非とする」ものです。というのは、「それ以外の手段」にはデモや、ストライキや、地下出版、レジスタンスなどが含まれているからです。「それらの政府批判が適法的になされていない場合、実行した人間は処罰されて当然である」ということを是とするなら、これまでの日本共産党の活動の相当部分は(例えば治安維持法下の活動)は「法律違反だから処罰されて当然」ということになります。

 

 公的なものである法律と一政党の党規約を同一視するのは論理の飛躍だというご批判がきっとあると思います。共産党を除名されても、別に明日からの生活に支障があるわけではない。国籍と任意加盟の政党の党員資格はまったく次元の違うものだというのはその通りです。でも、僕が問題にしているのは、政府に適法的でない異議申し立てをする国民の国籍を剥奪するのと、党中央に適法的でない異議申し立てをする党員を除名するのは「同じロジック」によるということです。問題はロジックなんです。

「異議申し立て」にもいろいろあります。「異議申し立て」というのはアナログな連続体ですから一律には扱えない。中には傾聴に値するものもあるでしょうし、まるで箸にも棒にもかからないくだらないものもあるでしょう。異議申し立てなんて、玉石混淆が当たり前です。ですから、あるものは取り上げ、あるものは無視するということでよい。ろくでもない異議申し立てに貴重なリソースを割く義理はない。それが常識的な判断です。

 でも、今回の松竹さんの申し立ては、「傾聴に値する」ものだったと僕は思います。これを「ろくでもない異議申し立て」にカテゴライズして、一蹴することは常識的ではない。

 

 松竹さんの行動が党規約に照らして違法であるから取り上げるに値しないという判断は「十分に政治的ではない」と僕は思います。ある行動がどういうふうに現実に影響を及ぼすかについて思量することの方が、その行動が合法的か違法かを議論することに優先するというのが「政治的」ということの一つのかたちだと思うからです。

 松竹さんは共産党の党勢が衰退してゆくことにつよい危機感を持ち、党勢を回復させるためには、通常の党内での意見具申とは違うかたちで、党内外をまきこんだ議論を起こすことが必要だという「政治的判断」を下しました。松竹さんはそういう意味ではすぐれて「政治的な人」だと僕は思っています(それは彼の「自衛隊を活かす」という発想からも知られると思います)。

 最初にボールを投げたのは松竹さんですが、それが結果的に右派メディアを含む「共産党叩き」を呼び出すことになった。これはまことに残念なことだと思います。僕が先に「困惑している」と書いたのはこのことです。もし、そこまでの展開を読めなかったとすれば、この点については松竹さんの「政治的判断」が不適切であったという批判は正しいと思います。

 問題はロジックの水準と、「政治」の水準の両方にかかわっています。

 松竹さんは政治的にふるまい、日本共産党も政治的にふるまった。その結果、共産党は多くメディアから手厳しい批判を受け、その結果無党派層の支持をいくぶんか失った。僕はそのことを残念に思うのです。

 共産党は「どんな難問でも一刀両断できる、政治的に正しい政党」ではなく、「難問に遭遇すると、困惑して、葛藤する常識的な政党」であって欲しいと僕は思っています。あるいは、実際にはそうでなくても、そのような政党であるかのようにふるまって欲しいと思っています。それはこれまでも書いてきた通りです。そういう政党なら、その政党が政権をとったあとに実現する未来社会は「どんな難問でも一刀両断できる、原則主義的な政府」ではなく「難問に遭遇すると、困惑して、葛藤する常識的な政府」を持つことになるはずだからです。

 僕はそういう「常識的な政府」の下で暮らしたい。そういうふうに考えています。

 

 長くなってすみませんでした。言いたいことがご理解頂けたらいいんですけど。