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日本の民主主義を今滅亡させつつあるのは新自由主義者たちの「意識低い系」資本主義の方であり、たぶんこちらの方が手際よく日本の民主主義に引導を渡してくれると思う。
2023年5月10日の内田樹さんの論考「『「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』書評」(後篇)をご紹介する。
どおぞ。
ここで話がややこしくなってくる。woke capitalism は「意識高い」に軸足を置いているのか、「資本主義」に軸足を置いているのか、どちらなのか。
NFLは2020年のシーズン開幕戦で国歌斉唱の前にLift every voice and sing を演奏することを決めた。19世紀から歌い継がれてきた奴隷制の記憶と自由を求める闘いを歌った「黒人の国歌」である。この歌を開幕戦で流すことについて、NFLは「人種差別と黒人への組織的抑圧を非難し、かつてNFLの選手たちの声に耳を傾けなかったことは過ちであると認め」た。(226頁)2017年のキャパニックの事実上の追放からわずか3年間でNFLは180度方向転換したことになる。
もちろんこれはジョージ・フロイド暴行殺人事件(2020年5月)のあと全世界に広がったBlack Lives Matter 運動に直接反応したものである。世論の圧倒的な流れに直面してNFLは豹変したのである。
「NFLはビジネスであり、ビジネスである以上、顧客を無視するわけにはいかない。(...)世界がブラック・ライヴズ・マターを支持するならば、NFLもそうすることが商業的には当然である。」(230頁)
このNFLの変節を著者はきびしく咎める。NFLがBLM運動への支持を表明したのは、ただそうしないと顧客が離れると思ったからである。NFLだけではない。「あらゆる種類の企業が素早くこの流れに乗り、公式に声明を出し支持を表明した。現に、反人種主義への支持が主流となった政治的環境において、世界中の企業が政治的に覚醒したふりをした。」(231頁)
著者はこれを「企業が自らのブランドを政治的大義と一致するように行動する『ブランド・アクティヴィズム』」とみなす。それは「国民感情へのあからさまな迎合」であり、「中身を伴わない『売名行為』」に過ぎない。
「わたしたちは真の変化を目撃しているのではなく、企業の富と利益を増大させるために黒人の抵抗を利用する、一筋縄では行かない人種的資本主義の拡張を見ているのだ。この場合のウォーク資本主義は、黒人や労働者階級の人々を搾取するもうひとつの形態にすぎない。搾取は彼らの身体の労働にとどまらず、彼らの闘争、政治、思想、精神にまで及んでいる。」(245頁)
ウォーク資本主義が信用ならないものであることは本書の指摘の通りである。次の問題は、題名にあるように、それが「民主主義を破滅させる」というのはどういうことか、である。著者はこう説明する。
自由民主主義国家は三つのセクターに分かれる。第一のものは政府、警察、司法機関、公立学校、病院などの公的セクター。第二が営利企業。第三が非政府の公共機関。教会、スポーツクラブ、慈善団体など。ウォーク資本主義の特徴は、第二の営利企業セクターが、他の二つのセクターの仕事を代行してしまうという点にある。つまり、国家の全領域が私企業の「それは儲かるのか?」というロジックに従属するということである。
ウォーク資本主義は原理的に非民主的である。これは当然である。アマゾンにしても、ナイキにしても、政治的イシューに大きな影響力を及ぼすわけだけれども、影響力をどう行使するかを決めるのは、CEOやマーケティングや広報のスタッフなど一握りの人間である。彼らが「政治的に正しくふるまうと、どれくらい儲かるか」について思量し、決断を下す。あまり儲からないという予測が立てば、政治的に正しくふるまうインセンティブは消える。一握りの人間が政府の領域にまで入り込んできて、公共の利益がいかにあるべきかを決定することは許されるのか。彼らが仮に善意の人であり、その行為が公共の利益にかなうものであるとしても、その手続きは民主的とは言われない。
2010年にビル・ゲイツとウォーレン・バフェットは大規模な社会貢献キャンペーンを始めた。イーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグら大富豪たちの支持を得て、「社会の最も差し迫った問題に取り組むために、自分たちの富の大半を提供することを誓」った。(289頁)彼らが供出した数千億ドルの原資は「『気候変動、教育、貧困緩和、医学研究、医療サービス、経済開発、社会正義』にかかわるプロジェクトに使われることになる。」(290頁)
初発の動機は善良であるが、これだけの規模の慈善事業を担うことのできる国家が見当たらない場合、彼らは国家の代理をつとめることになる。
「ウォーク資本主義の下では、社会的不公正や貧困の解決をもう国家に頼ることができない。そこで、社会はご主人さまの食卓から落ちてくるパンくずという慈善に頼ることになる。」(291頁)
資本主義はひたすら貧富格差を拡大している。今、世界の人口の1%に当たる超富裕層が世界の富のほぼ半分を所有している。「世界で最も裕福な10人の富の合計は7460億ドルとなる。これは、スイス、スウェーデン、タイ、アルゼンチンのそれぞれの国のGDPよりも多い。」(106頁)
世界ははっきりと超富裕層とそれ以外に二分されてしまった。そして、この超富裕な資本家たちが「資本主義を道徳的に裁定する者として自らを位置付けている」(110頁)。つまり、彼ら資本主義企業の所有者たちは「公共の福利とは何であり、そのために何をなすべきか」の決定権を国家から奪ってしまったのである。
もう選挙によって代表を選ぶというような面倒な手間をかける必要はない。彼らに政策実現をお願いすればいいのである。それが聞き届けられれば、民主主義を経由するよりはるかに迅速かつ確実に「公共の福利」が実現する可能性がある。
もちろん、条件がある。「彼らに絶対に損はさせない」という条件である。彼らが超富裕であり続けるシステムそのものには決して手をつけないという条件さえクリアーすれば、彼らは気前よく金をばらまいてくれる(はずである)。
「つまりは、億万長者の贈与は、そもそも彼らを億万長者にしたシステムに根本的な変化が起きないようにすることと、引き換えなのである。」(292頁)
2019年の香港の民主化闘争のとき、NBAのヒューストン・ロケッツのGM、ダリル・モーリーは抗議デモを応援するメッセージをツイートした。「自由のために闘おう。香港とともに立ち上がろう」と。このツイートを不快に感じた中国バスケットボール協会はこの「不適切な発言」に強く反対して、チームとの交流と協力を停止すると発表し、中国中央電視台はロケッツの放送を禁止した。NBAは40億ドルと言われる中国ビジネスを守るためにモーリーの発言を謝罪するという道を選択した。
「NBAと中国の騒動ではっきりしたのは、いざというときには、ウォークな資本家にとって第一の動機は経済であり、政治はそれが経済を支える場合にしか価値がないということだった。」(305頁)
これが著者カール・ローズのウォーク資本主義に対する最終的な評価の言葉である。
以上、本書の所説を紹介してきた。最後に少しだけ私見を書きとめておきたい。
本書を読んで、私はちょっとアメリカが羨ましくなった。というのは、わが国には「ウォーク資本主義」がまだ登場していないからである。「まだ」というより、これからも登場しないような気がする。日本の資本主義はナイキが戦った当の相手であるドナルド・トランプが代表する「新自由主義」的資本主義の段階にいまだあり、そこから先へ進むようには見えないからである。
本書巻頭解説で、中野剛志氏は、ウォーク資本主義の萌芽的形態が日本にも現れてきたことを指摘しているけれど、私は日本については「ウォーク資本主義が民主主義を滅亡させる」ことをそれほど気に病む必要はないと思う。日本の民主主義を今滅亡させつつあるのは新自由主義者たちの「意識低い系」資本主義の方であり、たぶんこちらの方が手際よく日本の民主主義に引導を渡してくれると思う。
むろん、そのことは本書の価値をまったく減ずるものではない。本書がわれわれに教えてくれる最も貴重な情報は、日本にはウォーク資本主義が出現する歴史的条件が整っていないという事実である。日本の資本主義はアメリカのビジネス書がもうリーダビリティを失うほどに世界のトレンドから遅れているという事実である。