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内田樹さんの「平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1390

平川君のこの人生相談には「回答」がない。答えを出さないで、問いを深めるだけである。

 

 

2023年6月29日の内田樹さんの論考「平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

平川君の本を書評したことはあまりないと思う。『俺に似た人』については書評を書いたような記憶があって、PCのハードディスクを探してみたが、なかった。ということは、これまで一度も平川君の書き物について僕は批評的な言葉を書いたことがないということである。

 そうだろうと思う。

 平川君の書き物を客観的に批評するというのは、まったく僕の任ではない。なにしろ、僕と平川君は「精神的な双生児」のようなものだからだ。

 

 本文にもあるように、平川君と僕は11歳のときに知り合って、爾来60年余を仲良く過ごしてきた「竹馬の友」である。それほどのべつ会っていたわけではないが(十代、二十代の頃は年に一度ということもあった)、ずいぶんお互いから影響を受けた。

 いや「影響を受けた」というふうにいうとまるですでに確立した人格同士のやりとりみたいだけれど、そうではない。まだ「人格」として確立する以前に友だちになってしまったので、人格を形成する過程で、人格が「ぐちゃぐちゃ」になってしまったのである。

 小さい子どもはともだちが転んでも「痛い」と言って泣き出すことがある。自他の区別がよくできないのである。精神分析の用語で「転嫁現象(transitivisme)」と呼ぶ。わが身に起きたことと、同年齢のともだちの身に起きたことが区別できない。だから、自分がぶっておいて「ぶたれた」と言い張ったり、友だちが転んでるのを見て「痛い」と泣き出したりする。

ふつうはこんな現象は三歳未満の幼児にしか起きないのだけれど、平川君と僕の間では例外的にそれが思春期以後に起きた。

 僕たちは小学校卒業までたいへん濃密な1年半を過ごしたのだけれど、そのあと別々の中学校に進学した。それまで毎日、朝から夕方までつるんでいた相方が不意にいなくなったのであるから、その欠落感はずいぶんシリアスなものだったと思う。その精神的危機を乗り越えるために、たぶん僕たちは二人とも「友だちは僕の中にいて、いつも一緒」という妄想を育んだ。そして、たまに会ったときに、相手の変貌ぶりを見て驚きながらも(十代のときの僕たちは二人とも信じられないほど急速度で変貌していた)、自分の中にある想像的な友だちのすがたかたちを現実に合わせて補正することで「いつも一緒」幻想をかろうじて維持した。たぶんそういうことだったと思う。

 思春期にまで延長されたこの「いつも一緒」幻想のせいで、その後、相手が考えていることと、自分が考えていることの区別がうまくつかなくなった。もちろん「うまく」つかなくなっただけで、「違う」ということはわかる。ただ、二人の考えの近いところ、境界線上のアイディアについては、それが最初にどちらが思いついたのかがよくわからない。平川君が言い出したことに僕が「そうそう、実はオレも前からそう思っていたんだよ」と頷いたことなのか、僕が言い出したことに平川君が(以下同文)なのかが曖昧なのである。しかたがないので、そういうアイディアは全部「パブリックドメイン」というか「コモン」というか、お互いに出入り自由なところに置いてあって、二人とも勝手に使ってよいことになっている。だから、「オレのアイディアを盗用するな」というようなせこいことは僕たちの間では「ない」のである。

 ほんとうにそうなのである。だから、この本の中での平川君の主張のすべてに僕は同意する。いや「同意する」というのではない。「実はオレも前からそう思っていた」のである。

 それでも、頼まれた以上は書評らしき文字を並べてみせないといけないので、以下にいささか贅言を弄する。

 

 読み始めてみたらいつもとちょっと調子が違う。「あとがき」を読んで理由がわかった。

この人生相談は中山求仁子さんというライターの方を相手に、平川君が人生相談の手紙に回答し、それを中山さんが原稿に仕上げて、平川君が手を入れるという形式で行われたそうである。

 だから、平川君は相談に回答する前に、自分がどうしてこういう回答をするかについて、まず目の前にいる中山さんを説得しなければならない。この人を頷かせることができなければ、人生相談してきた人を頷かせることはできない、平川君はそう思ったのである(たぶん)。

 そういうわけだから、最初の頃は話がわりと「くどい」。それが後ろにゆくほど、話の走りがよくなる。疾走感が出てきて、読んでいてちょっとどきどきする。きっと聴き手の中山さんが平川君の「思考の癖」がだんだんわかってきて、「はいはい、そうですね」と頷くのが早くなってきたからであろう。

 出だしはいささか重い。平川君の語りはいささか抽象的で、堅苦しい説教口調である。当然、こんな話を聴いても中山さんは簡単には頷いてくれまい。平川君の困っている顔が目に浮かぶ。そこで平川君は方針を改めて、具体的な事例を出したり、他人の本から引用するという手立てを使うようにした(引用の一部は加筆の時に「これも入れておこう」と後知恵で思いついたのだと思うけれど、引用はどれもぴたりとはまっている)。

 そのやり方が奏功して、人生相談の諸問題はそれぞれに奥行きと深みを増した。そして、「だから、あなたの問題に単一の正解はないのです」という平川君の回答にいい具合に着地した。

 

 言い遅れたけれど、平川君のこの人生相談には「回答」がない。答えを出さないで、問いを深めるだけである。

「問いを深める」というのは、相談してきた人が、そもそもどういう歴史的文脈の中で、どういう個人的事情のせいで、「こんな問題」に直面することになったのか、そのことを相談者自身に考えさせるということである。これは姿勢としてまことに正しい。平川君はその趣旨をこう書いている。

 

「人生は、問題解決のためにあるわけではない。ですから私は、質問者ご自身においても、安易に答えを出すことをせずに、問いを抱えながら生きてゆく術を学んでほしいと思うのです。」(4頁)

 

「解決できない問題の前で、私たちはどうすればいいのか。問題の立て方を変更する必要があります。『どうしたら解決できるか』ではなく、『解決できない問題を抱え込んだまま生きていくためには、人はどうすればよいか』というふうに。」(36頁)

 

 解決できない問題を抱え込んでいても、人は生きていける。生きていけるどころか、その問題を足場にして人間的成熟を遂げる。これはまったくその通りである。人は葛藤を通じて成熟する。葛藤を通じてしか成熟しない。

 

「解決できない問題に遭遇したら、もう泣くしかないということになります。泣いたり、立ち止まったり、ためらったり...。それでいいんだと思います。

これは、実は時間稼ぎなんです。泣いている間に、なぜ泣いているかわからなくなる。泣いている間に、心の中で肥大化していた問題が、だんだんと実寸大に戻る。実寸大に戻ったときには、たいした問題じゃなかったとわかる。」(36頁)

 

 解決できない問題に遭遇したら、しばらく「しょんぼりする」というのが有効だと以前精神科医の春日武彦先生からもうかがった。「困った、困った」とぼやいているうちに、思いがけないことが起きて問題が「消えて」しまうということがよくある。精神科の患者の場合だと、患者の「トラウマタイザー」であった家族の誰かが死ぬとか。