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内田樹さんの「いま私たちが学ぶべきこと」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1393

人間が知的に成長するというのは「別人になること」だ

 

 

2023年7月7日の内田樹さんの論考「いま私たちが学ぶべきこと」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

いきなり「ちゃぶ台返し」をするのも申し訳ないのだけれど、「いま私たちが学ぶべきこと」という問いの立て方が「ちょっと違う」ような気がしたので、それについて書くことにする。たぶん、すごくわかりにくい話になると思うので、覚悟して読んで頂きたい。

「学ぶ」というのは一言で言えば「別人になること」である。だから「私は学ぶ」という文型を私はどうもうまく呑み込むことができないのである。それは「学び」がほんとうに起動した場合には、「私」という主語はもう同一性を持ちこたえることができないはずだからである。

 

「呉下の阿蒙」という話がある。三国時代の呉の国に呂蒙という将軍がいた。勇猛な武人であったが、惜しいかな学問がない。主君の孫権が「将軍に学問があれば」と嘆じたのに発奮して、呂蒙はそれから学問に励んだ。しばらくしてのちに同僚の魯粛が久しぶりに呂蒙に会ってみると、その学問の深さ見識の広さはかつての彼とは別人であった。魯粛は「君はとてもかつて『呉下の阿蒙』と呼ばれていた人とは思えない」と驚嘆した。これに対して呂蒙は「士別れて三日、すなわちさらに刮目して相待すべし」と答えた。士たるものは三日会わないでいると別人になっているぞ、と。

 私が子どもの頃には時々この話をする年長者がいたが、ある時期からいなくなった。単に漢籍の知識を重んずる風が失われたということではなく、人間が知的に成長するというのは「別人になること」だという知見そのものが失われたためだと思う。

 知的成長ということを現代人はたぶん「知識の量的増大」というふうに考えている。人間としては何も変わっていないのだが、脳内の情報ストックが増えている状態を「成長」と呼び習わしている。だから、何日経って会おうともとりわけ「刮目する」必要はない。「入れ物(コンテナ)」は同一で、「中身(コンテンツ)」が増加しているだけだからだ。

 でも、それは「学び」とは違う。学びというのは「入れ物」自体が変わることだからである。「刮目」してまみえないと同一性が確信できないほどに人間が変わることだからである。学びが深まれば、話す内容が変わるにとどまらず、表情も、声も、挙措も、着付けも、すべてが変わる。

 呂蒙将軍は学びを深めたあともおそらく以前と変わらぬ卓越した武人であっただろう。けれども、その戦い方は歴史的知見に裏づけられ、人間性についての洞察に満ちたものに変わっていたはずである。単に武勇に学識が算術的に加算されたのではない。武勇のあり方そのものが変わったのである。戦術は奥行きと厚みを増し、用兵は縦横無尽のものとなり、ただ一言で兵たちの人心を掌握するカリスマ性を身に付けた。そうでなければ「刮目する」には値しない。だが、いま「学び」という語に、私たちはそこまでの全面的な人間の刷新を期待していない。

 与えられた「いま私たちが学ぶべきこと」という問いには、「学びの主体が別人となることが学びである」という複雑な仕掛けを前にしたときの当惑が(申し訳ないが)感じられなかった。それで「ちゃぶ台返し」から話を始めることになったのである。意地悪をしているわけではないので、ご海容願いたい。

「私たち」に知的に「欠けているもの」がある。それを充填したい。ついてはそのリストを作りたいということが「いま私たちが学ぶべきこと」という論題の趣旨であるなら、私はそのような営みを「学び」と呼ぶことができない。それはむしろ「補充(supply)」と呼ぶべきだろう。「補充」なら「入れもの」は同一性を保ちながら、「中身」だけが増えてゆくありようを正しく伝えられる。

 

 教育の目的が「学び」から「補充」になったのはいつからだろう。1970年代くらいからだろうか。私が子どもの頃は「学ぶプロセスで子どもたちは別人になる」という考え方の方がむしろ常識であった。それはおそらく久しく日本の基幹産業が農業であり、教育もまた農業の比喩でとらえられていたからだと思う。

 子どもたちは種子である。土に蒔かれ、水や肥料を与えられ、陽光を浴びて育つ。台風や病虫害のせいで、枯れてしまうこともあるが、さいわい生き延びることができたものは秋には「実り」として感謝の声を以て迎えられる。そういう植物的な比喩に即して久しく教育は語られてきた。種子が熟果になること、「別人になること」が教育の目的であることに違和を感じる人はいなかった。

 だが、基幹産業が農業から工業に遷移するにつれて、教育を語る言葉もまた工学的なものに変わった。人々は自分が見慣れたシステムに即して現実を記述するものなのだ。

 子どもたちは工場で製造される工業製品のようなものだと見なされるようになった。集められた原材料が工程表に従って加工され、そこにいろいろな部品を付け加えられ、ベルトコンベアの終点では仕様書通りの製品が納期までに、注文個数だけ揃う。それが教育というものだと人々は信じるようになった。

 なるほど基幹産業の遷移は教育にダイレクトに反映するのだな、ということを実感したのは90年代に「シラバス」というものが大学に導入された時である。シラバスには「この授業の履修終了時点で学生はどのような知識や技能が身についているか」が明記される。その目的を達成するために第何週に教師は何を教え、学生たちは何を習得するのかを逐一書かなければならない。その週にシラバスに書いていることを教えなかったら、あるいはシラバスに書いていないことを教えたら、それは「工程管理上のミス」であってペナルティの対象になると言われた。

 ふざけたことを言うな、と私は激怒した。それは私がさしたる計画もなしに教壇に立ち、その時に思いついたことをべらべら話すという授業をしていたせいである。

 でも、仕方がないのである。私が教壇に立ち始めた頃、こちらが周到に講義ノートを準備して万全を期して教場に臨むと、なぜか学生たちは次々と眠ってしまう。どれほど理路整然としたノートでも、むしろ準備が十全であるほど学生たちの集中力は落ちる。どうしたらよいのか。

 ある時、その日の朝、西宮北口駅ホームで見聞きした奇妙な出来事について学生たちに「ねえねえ、こんなことがあったんだよ」と話をした。内容は忘れたが、とりあえず誰かに話したかったのである。すると、ふだんは教室の後ろの方にたむろして、私が教室に入った時点ですでに「寝の体制」に入っている学生たちががばっと顔を上げて、私の話に聞き入ってくれた。

 なるほどと思った。学生たちは「既成のセンテンスの再生」ではなく、「今ここで、即興で行われるライブ演奏」が聴きたかったのである。たしかに授業なんだから聴いてもらわなければ話にならない。だったら、準備はそこそこにしておいても、その場でいま思いついた「鮮度の高い話」で引っ張った方が学生たちの集中力は高まり、教育効果も上がる。そうわかってから後はずっとそういう授業だけをしてきた。

 だから、学生たちによる授業評価アンケートでは、「シラバス通りの授業をしているか」という質問項目の得点はつねに最低だった。でも、あとはおおむね最高点であった。工程管理の徹底と授業満足度の間には統計的な相関はないということである。

 だが、それ以上に激しい怒りを覚えたのは、シラバスは教師と学生の間の教育商品の取引についての「契約書」のようなものだと説明された時である。教育を商取引の比喩で語ることは最大の禁忌である。そのような基礎的事実さえ知らない人間たちが教育の制度設計をし、教育政策を起案しているのかと思って、絶望的な気分になった。