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内田樹さんの「『若マル資本論』韓国語版のためのまえがき」 ☆ あさもりのりひこ No.1398

どの時代のマルクスも、それぞれに深い思想を語っていて、そこに伏流する「社会は公正なものであるべきだ」という信念に揺らぎはない

 

 

2023年8月8日の内田樹さんの論考「『若マル資本論』韓国語版のためのまえがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 みなさん、こんにちは。内田樹です。

 『若者よマルクスを読もう』の最終巻、『資本論』編の韓国語訳をお手にとってくださってありがとうございます。

 この『若者よマルクスを読もう』はマルクスの主著を中学生・高校生のために解説するために企画されました。『共産党宣言』から始まって、番外編『マルクスの心を聴く旅』を含めての全5冊のシリーズ。この『資本論』で完結します。

 と書くと、「え、私、中学生高校生じゃないんだけど・・・この本の読者に想定されていないんじゃないのかしら」と思った方がおられると思います。大丈夫です。この本は「まだマルクスって、ちゃんと読んだことないんだけれど、そのうちにいつか読まないといけないな」と思っているけれどたまたままだその機会に恵まれない方のための本です。別に年齢とかは関係ないです。

 それから、もう一つご注意があります。それは、この本を読んだ方が「ああ、これ読んでだいたいマルクスのことはわかったわ。これで『資本論』とか読む必要なくなった」と思われては困るということです。これは「じゃあ、いよいよマルクスを実際に読んでみるか」という気分になってもらうために、「背中を一押しする」ための本であって、これで「マルクスがわかった気」になるための本じゃないんです。

「え、この本を読んで、それからさらにマルクスも読まないといけないの?だったら二度手間じゃない。それならはじめからマルクス読んだ方が話が早いじゃないか」と思った方もおられるでしょう。その気持ちはわかります。でもね、そうはゆかないんです。マルクスのような巨大な思想家の著作に取り組むときは、素人がいきなりとりついても無理なんです。巨大な壁がたちはだかっているんですから、どうしても「道案内人」が必要なんです。どういう登山ルートがあって、どの辺に難所があって、どの辺に迷い道があって、どの辺で道を踏み外すと転落するか...ということを知っている人が必要です。

 この本の二人の著者では、石川さんは若い時に正統的な道案内人にしたがって難所をくぐり抜けて、ご自身もベテランの道案内人になった方です。僕の方は若い時には「道案内人なんか要らないよ」と豪語して、無謀なマルクス単独行を敢行して、そこらじゅうで痛い目に遭って、「やっぱり道案内人がないとまずいわ」と思うに至った人間です。

 そういうタイプの違う二人の道案内人がみなさんをマルクスという巨峰への登攀にお誘いしようというわけです。でも、あくまで登るのは皆さんご自身です。僕たちは案内をするだけで、実際に汗をかいて、足を痛めて歩くのはみなさんご自身です。僕たちの仕事は「とにかく、この山に登りましょう」とお誘いし、その気になった人がいたら、ルートをいくつかご案内するところまでです。

 

『共産党宣言』から『資本論』の間には二十年以上の歳月があり、マルクスの思想も、その時代の歴史的経験を通じてかなり変化しています。『若者よマルクスを読もう』シリーズは主著を年代順に解説しておりますけれども、みなさんは別に初期マルクスから始めて、晩期マルクスに至るという順序で読まれる必要はありません。「手に取ったのも何かの縁」です。ですから、この『資本論篇』から読み始めてくださってもぜんぜん構いません。どの時代のマルクスも、それぞれに深い思想を語っていて、そこに伏流する「社会は公正なものであるべきだ」という信念に揺らぎはないからです。

 

 マルクスの解説書がこうして韓国語訳になって、多くの人たちの手に取ってもらえるということを僕たちはとてもうれしく思っています。

 ご存知の通り、韓国には今も国家保安法という法律があって、朝鮮民主主義人民共和国と共産主義を賛美する行為及びその兆候は処罰の対象となります。事実上空文化しているとはいえ、この本のように「マルクス主義を賛美する」ことを主たる目的とする書物が堂々と書架に並ぶ時代が来たということには多くの方が「隔世の感」を覚えておられることでしょう。これはいったいどんな歴史的変化を意味するのでしょうか。これが韓国におけるマルクス主義運動の再評価の兆しであれば、僕はうれしく思います。

 朝鮮共産党は1925年に日本の統治下のソウルで結成されました。東アジアでは、インドネシア共産党(1920年創設)、中国共産党(1921年創設)、日本共産党(1922年創設)に続いて創設された「老舗」です。みなさんの国でも、マルクス主義の歴史はずいぶん古いんです。

 1919年の三・一独立運動の流れの中で生まれた朝鮮共産党は、朝鮮の独立をめざす運動でしたから、当然日本の官憲から激しい弾圧を受けましたが、それでも生き残り、1945年の日本の敗戦と同時に党は再建されました。しかし、ソ連が支配する朝鮮半島北部に党中央組織を作ろうとする人たちと、南北一体の組織維持を目指す人たちが対立し、組織は南北に分裂します。南の組織(南朝鮮労働党)は韓国政府に弾圧され、党員たちの多くは北へ逃れましたが、のちに金日成によってほぼ全員が粛清されました。

 この人たちはマルクス主義の名において、朝鮮半島の統一と独立、市民の自由と平等をめざして戦い、その多くは日本政府、韓国政府、そして北朝鮮政府によって殺されました。この先駆的なマルクス主義者たちひとりひとりの事績の評価については歴史学的な検証を待つ必要があると思いますが、運動の目標そのものは正しかったと僕は思います。

 でも、朝鮮半島におけるマルクス主義の歴史は戦後の韓国の「正史」ではあまり詳しくは言及されてきていませんでした。おそらく多くのマルクス主義者は「国賊」とか「スパイ」というラベルを貼られて、断罪され、忘却されてしまったのではないでしょうか。

 いま、マルクスについての本が韓国の読者に求められているということは、もしかすると、韓国の人たちが自国における「マルクス主義の100年」について、その暗部も栄光も含めて正面から向き合おうとしている徴候ではないか、そんな気が僕にはします。そうであれば、そのような国民的な事業の一助となれることは僕たちにとって大きな喜びです。