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「歴史戦」とは大日本帝国が過去に犯した非人道的な行為について、それを「なかった」ことにして歴史を塗り替えて、主に中国、韓国に対しての「倫理的負い目」を解消しようとする企てのことである。
2023年9月25日の内田樹さんの論考「「歴史戦」という欺瞞」をご紹介する。
どおぞ。
ある媒体から「関東大震災と朝鮮人虐殺」についての特集を組むのでインタビューをしたいという依頼があった。私は近代史の専門家ではないので、この出来事については通り一遍の知識しかない。けれども、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に歴代都知事が送ってきた追悼文を現職の小池百合子知事が送付を拒絶していることは歴史に対する態度として間違っているということは申し上げた。
知事は追悼文を送らない理由を「何が明白な歴史的事実か確定していないから」としている。しかし、私たちがタイムマシンで過去に遡ることができない以上、「明白な歴史的事実」を確定することは権利上誰にもできない。
その場で現にそれを目撃したという人がいても、「話を作っているのではないか」「記憶違いではないか」「それとは違う証言が他にある」というような「反証」を突きつければ「明白な歴史的事実」の確定を妨げることは可能である。
日中戦争中の南京での市民虐殺について、一九八三年に旧陸軍将校の親睦団体偕行社が当時現地にいた軍人たちに機関紙『偕行』に体験手記の投稿を呼びかけたことがあった。虐殺があったという批判に反論して陸軍の名誉を守るための企画だった。ところが、集まった手記の多くは軍による虐殺の事実を証言するものだった。『偕行』は「弁解の言葉はない」と率直に軍の非を認め、「旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」という謝罪の弁を記した。私はこの潔い態度には敬意を示す。
しかし、こうして、虐殺の事実を現認した旧軍人たちの証言があったにもかかわらず「南京虐殺はなかった」と主張する歴史修正主義者はその後も跡を絶たない。
そして、そのような「歴史修正主義的異論」がある限り、南京虐殺についても「さまざまな意見があり、明白な歴史的事実は確定していない」と言い張って謝罪を拒否することは可能なのである。
歴史に対するこのような態度を私は「歴史的虚無主義」と呼びたいと思う。
やや旧聞に属するが、トランプ大統領の就任式に際して、ホワイトハウスの報道官が「過去最多の人々が就任式に集まった」と語ったことがあった。これは事実に反すると記者会見で指摘をされた大統領顧問ケリーアン・コンウェイは「それはもう一つの事実だ」と言って報道官を擁護した。実際にはコンウェイはalternative factsと複数形を使っており、「もう一つ」どころではなかったのである。あらゆる事実にはそれを代替する別の事実があり得る。そうコンウェイはこの時そう宣言したのである。
これが現代世界に猖獗をきわめる歴史的虚無主義の起点標識をなす事件だったと私は思う。
たしかに、誰も「神の視点」に立って歴史を一望俯瞰することができない以上「明白な歴史的事実」を語れる人間は存在しない。それはその通りである。「私が見ているのは客観的事実だが、あなたが見ているのは主観的幻想だ」と退ける権利は誰にもない。
おのれの主観的バイアスを勘定に入れてものごとを見る抑制的な知的態度を私は高く評価するものである。しかし、そこから「『明白な歴史的事実』を語る権利は誰にもない。過去に何があったのかは誰にも分からない」というところまで虚無的になることはできない。それは歴史を研究する行為そのものを否定することになるからである。歴史家が探求しているのは「明白な事実」ではない。「蓋然性の高い事実」である。「明白な事実」以外の過去についての言明はすべて私見に過ぎないと思っている人は歴史学も知性も否定しているのである。(週刊金曜日8月26日)
関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件については前回も触れた。そこに「明確な歴史的事実が確定していない限り、謝罪もしないし、供養もしないというのは、歴史学と知性を否定することである」と書いた。直接には、小池百合子東京都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文の送付を拒絶したことへの批判としてである。
続いて今度は松野博一官房長官がこの事件について「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べて、謝罪の言葉も慰霊の言葉もなかったことがネット上で炎上案件となった。
実際には内閣府中央防災会議が2009年に出した『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書』の中に関東大震災における殺傷事件の一覧表が掲載されている。「事実関係を把握する記録」を内閣府が出しているにもかかわらず、内閣官房長官は、それは報告書を書いた「有識者」の私見に過ぎず、政府の見解ではないという詭弁を弄した。内閣府が公開している公式な文書についてまで「それは書いた人の個人の感想でしょう」という言い逃れが有効だとは知らなかった。
この事件については、「不逞鮮人」の犯罪を報じた新聞の虚報を根拠に、虐殺を否定するような歴史修正主義的な暴論がいまも流布している。そのようなデマを許容する言論環境が現に日本社会に存在し、それが在日コリアンや在日外国人に対する差別と暴力を駆動しているという事実を知りながら、松野官房長官は、「事実関係を示す公文書」の存在を否定し、政府として事実関係を明らかにする意思も示さなかった。
官房長官のこの不作為はいわゆる「歴史戦」の一環とみなすべきだろう。「歴史戦」とは大日本帝国が過去に犯した非人道的な行為について、それを「なかった」ことにして歴史を塗り替えて、主に中国、韓国に対しての「倫理的負い目」を解消しようとする企てのことである。
このような歴史の塗り替えは許されない。生々しい比喩を使うが、「死体」を段ボール箱に詰めて、ガムテープでぐるぐる巻きにして押し入れに隠しても、腐臭は漂い、やがてその場所を住むに耐えぬほどに不快な場所にしてしまう。自国の歴史の暗部を秘匿する行為もそれに似ている。隠蔽したものは腐乱して、やがて別の病の発生源になる。「抑圧されたものは症状として回帰する」というフロイトの卓見の通りである。
歴史修正主義者たちの最大の過りは嘘をつくことではなく、嘘をつけば「後で祟る」という平明な事実を忘れていることにある。
第二次世界大戦中、フランスは国際法上中立国だったが、実質的には対独協力国だった。ヴィシー政府の官憲はレジスタンスを処刑し、ユダヤ人を絶滅収容所に送っていた。しかし、ドゴール将軍の「力業」でフランスは戦勝国として終戦を迎えた。だが、それは果たしてフランスにとってよかったことなのか。戦後、対独協力の歴史的事実は隠蔽され、歴史学者たちもヴィシーの非人道的な政策についての研究については抑制的だった。そうやって「フランスはつねに正しい戦争を戦ってきた」という「修正された歴史」を正史として採用したせいでフランス人は戦後ベトナムとアルジェリアで非人道的な暴力をふるうことを自制できなかったし、今も深い社会的分断に苦しんでいる。そこには「フランスはつねに正しかった。フランス人には反省すべき過去も恥ずべき過去もない」という歴史修正が関与していると私は思う。
歴史修正でわずかな自尊を奪還しても、その国は何倍かの屈辱と損害を後に別の形で支払うことになる。いい加減にそれくらいのことに気づいて欲しい。
(週刊金曜日9月6日)