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内田樹さんの「樽井藤吉の「大東合邦論」」(前編) ☆ あさもりのりひこ No1451.

一人当たりGDPで韓国はすでに2019年に日本を抜いた。

 

 

2023年12月23日の内田樹さんの論考「樽井藤吉の「大東合邦論」」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『権藤成卿論』を書いている途中だが、行論の必要上、樽井藤吉の「大東合邦論」を祖述することになった。ひとまとまりの論考なので、樽井の思想とアジア主義の構図を理解してもらうために、この部分だけ公開する。 

 

 樽井藤吉(1850-1922)は大和の人である。上京して平田派国学を学び、西南戦争では西郷側に立つ。敗戦後、無人島に理想の村をつくろうと植民に取り組み失敗。長崎に転じた時に自説が西洋の「社会主義」に近いと教えられ、佐賀を拠点とする「東洋社会党」を結成する。ただちに解散命令を受け、樽井は禁固刑に処される(1882年)。出獄後、玄洋社の平岡浩太郎、頭山満の知遇を得て、金玉均に出会い、韓国での政治革命に実力で関与する計画を立てる。しかし、韓国での爆弾闘争をめざした大井憲太郎や景山英子らが逮捕され、樽井も連座して再び獄に繋がれる(大阪事件、1885年)。出獄後の明治25年(1892年)に衆議院議員に当選。その翌年の明治26年(1893年)に『大東合邦論』を刊行した。こう記しているだけでも、まことに波乱に富んだ人である。だが、明治時代の「壮士」でこれくらいの「勲章」を持つ人は珍しくはなかった。

『大東合邦論』は漢文で書かれた。韓国中国の知識人たちを読者に想定していたから、当時の東アジアでのリンガフランカであった漢文で記したのである。以下に引くのは竹内好による現代語訳による。

 

 樽井はまず「連邦」「合邦」という制度が決して珍しいものではないという歴史上の事例の列挙から始める。合邦はギリシャに始まり、近代でもドイツ、イギリス、アメリカ合衆国がその制を採っている。「わが日韓両国は、その土は唇歯、その勢は両輪、情は兄弟と同じく、義は朋友に均し」という条件にあり、「智識を発達せしめ、もって開明の域に進まんと欲せば、両国締盟して一合邦となるに如かず。和は天下の達道なり。」

 欧米にはこの制を採るものが多いが、東アジアには先例がない。新規の説であるが、それだけで「妄誕無稽」の説としてこれを退けることはできない。樽井が合邦の説を唱えるのは「時運と境遇とにしたがって音調を成」したものであって、頭の中でこしらえた空理空論ではない。 「日韓合邦のこと、たとい今日成らずとするも、他日あに合同の機無からんや」。 問題はそれが時節に合うかどうか、それだけである。

 合邦の国号は「大東」。この名を撰した理由を樽井はこう書く。「大東となすは、両国将来の升(のぼ)るがごときを祝うなり。(...)爾来国人は東字をもって別号となす。(...)朝鮮また東の字をもって別号となす。その朝鮮を称せるは、上古檀君に始まる。太陽東に出で、朝気鮮明の義を取るなり。(...)両国、東字を用うること符節を合するがごとし。」

 

 日韓はともに欧米列強に比す時、国力微弱である。

 

「朝鮮のごとき、その政治なお君主専制にして、国力微弱、その国民痛苦を感ずるは、また応(まさ)に我と同じかるべし。いやしくも感を同じうせば、なんぞ同気相求め、同病相憐まざる。古言に謂う『呉越の人、互に敵視するも、同舟して颱風(ぐふう)に遭わば協力してこれを防ぐ』と。今、わが二国は、なお宇内(うだい)の一大風潮に遭いて、東洋に漂蕩(ひょうとう)する舟のごとし。その舟中の人を顧視すれば、同種の兄弟なり。なんぞ協心戮力(りくりょく)、もって颱風怒濤を防がざる。」

 

 ここでいう「颱風」「一大風潮」とはもちろん欧米列強による東アジアの植民地化の圧力のことである。 

 樽井は合邦の利点を挙げる前に、まず合邦反対論を駁すところから始める。

反対論の一は「朝鮮は貧弱の国なり、今あえてこれと合するは、これ富人の貧者と財産を共にするの理なり」、そんな損なことをなぜするのかという銭金の話である。樽井はこれに見事な反論を立てる。

 

「古より、貧人の変じて富人となり、弱国の化して強国となるもの、枚挙に暇あらず。現状を目してもって将来を侮るべからざるなり。」

 

 これは今日の日韓を観ればまことに「その通り」という他ない。一人当たりGDPで韓国はすでに2019年に日本を抜いた。樽井はさらにこう続ける。

 

「昔我が国は韓土に学びて今日の盛有り。今我の彼を導くは、徳に報ずるなり。」

 

 日本は朝鮮から文化的な「贈与」を受けた立場である。恩を返す反対給付義務がある。これは文化人類学的にも倫理的にも正しい言明である。国防上の利点もある。

 

「辺境の守禦(しゅぎょ)を負荷するは、ただに朝鮮の守禦のみならず、また我の守禦なり。朝鮮にして他邦に侵犯せられば、合同せずといえども傍観すべからず。ゆえに曰く、朝鮮の守禦はすなわち我の守禦なりと。(...)朝鮮の利はすなわち日本の利、日本の利はすなわち朝鮮の利なり。いやしくも合すればあに彼我の別有らんや。」

 

 この一節は私たちの胸を衝く。四十年後の日本人は「内鮮一体」「満蒙は日本の生命線」というほぼ同型のロジックで他邦を土足で踏みにじったのだが、そのときにはもう「徳に報じる」という倫理的な責任感は見るべくもなかった。

 たしかに朝鮮は今は弱国であり、貧国であるけれども、それは政治の責任である。政治を正せば朝鮮は甦るはずだ。樽井はそう考える。

 

「朝鮮に禍乱の兆有るは、実にしかり。しかれども禍乱なるものは、人為なり。天造にあらざるなり。合邦の制成りてその弊革まらば、また自然に消滅せん。」

 

 朝鮮の政治が乱れているのは弱国だからである。合邦して強大となれば、おのずと「自主の気象」が生まれるはずである。

 樽井は続いて征韓論を駁す。私は寡聞にしてこのような手触りの優しい論法で征韓論を非とした経世家のあることを知らない。

 

「国人かつて征韓論を唱うる者有りき。それ戦ってこれを取らば、必ず国力を疲靡(ひび)し、もってその怨を買わん。論者これを知ってなおこれを取らんと欲するは、外人のこの地に拠るを恐るればなり。いま協議してもってこれを合するは、その大幸たる、はたして如何ぞ。けだし大公を持してもってこれを合すれば、我は兵を用いずして朝鮮を取るなり、朝鮮もまた兵を用いずして日本を取るなり。一将の功成らずして、万人の骨は枯るるなし。兵争に費やすの資をもって朝鮮の開明を誘(みちび)かば、これ怨を買わずして徳を樹()つるなり。」

 

 ここで言う「外人」はおそらくはロシアを指す。仮にロシアに本格的に対抗するためであればなお朝鮮を「取る」ために戦費を失い、死傷者を出し、朝鮮人の憎悪と怨恨を買うだけの「征韓」は愚策である。

 

「日韓両国は戦うべきの国にあらずして、相和すべきの国なり。」だが、朝鮮の人々はこの言を信じるだろうか。「しかれども朝鮮人この説を聞かばまさに言わん、これ日本人の詭弁を弄してもって我を瞞(あざむ)くなりと。ああ。余を目するに詭弁の徒をもってするか」と樽井は長嘆する。

 樽井は大韓帝国の王統を守ると約束する。合邦は朝鮮皇帝が日本の天皇に臣属することを意味するのではない。二つの王統が「兄弟の誼を結び」、並立するのである。合邦した両国はそれぞれの王を戴く。「合邦の制はその民たがいに合邦の君を尊奉すればなり。」