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内田樹さんの「『東京ミドル期シングルの衝撃』(宮本みち子、大江守之編著、東洋経済新報社)」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1505

いずれ日本社会は貧しく、孤独で、社会性のない数百万の老人たちを抱え込むことになるだろう。

 

 

2024年4月15日の内田樹さんの論考「『東京ミドル期シングルの衝撃』(宮本みち子、大江守之編著、東洋経済新報社)」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

東洋経済新報社の渡辺さんから新刊の書評を頼まれたので少し長い紹介を書いた。タイトルはやや挑発的だけれど、人口動態と地域コミュニティ形成についての手堅い研究である。でも、ほんとうに衝撃的なのは、こういう研究にごく最近まで誰も見向きもしかなったという事実の方なのである。

 

 人口減問題について語る人たちの多くはマンパワーの不足やマーケットのシュリンクや年金や医療制度の持続可能性について話すけれど、ほんとうにシリアスなのは「高齢期に入って社会的に孤立化したシングルのアンダークラス化」にある。本書はそのタブーを正面から取り上げた例外的な仕事である。

「アンダークラス」というのは「ワーキングクラス」のさらに下に位置する、生活保護なしでは暮らしていけない最貧困層のことである。差別と排除の対象となり、社会の底辺に吹き溜まる閉鎖集団である。

 日本でもこれから「高齢者アンダークラス」が大量出現する可能性がある。政治家も官僚もメディアもこの問題から目を背けてきたが、高い確率でこれからの日本社会はそういう集団を抱え込むことになる。いまミドル期(35歳~64歳)にあるシングルたちは遠からず高齢期シングルとなる。今のまま何の対策も講じずに放置しておけば、いずれ日本社会は貧しく、孤独で、社会性のない数百万の老人たちを抱え込むことになるだろう。

 

「明らかにされているのは、ミドル期シングルの総体は明確なリスク集団ではないが、パラサイト・シングルを含めて、高齢期に到達したときに経済的困窮や社会的孤立に陥るリスクが高い可能性があるという点です。」(25頁)

 

 病気になったり、介護の必要が出てきた時に、彼らには誰も世話をする人がいない。いったいどう生きたらよいのか。「高齢者は集団自決しろ」という暴論を唱えた経済学者がいたけれども、そういう極論が出てくるのは、もっと穏当で、人間的で、実現可能性のある政策がこの問題については今のところ存在しないということを意味している。恐ろしい話だが、そうなのだ。

 

 本書の論点はおおざっぱに言うと、(1)ミドル期シングルという集団がどれくらいの規模で存在するか(2)なぜ、そのような集団が形成されたか(3)この人たちが高齢化した時に、それを支援するどのような取り組みがあり得るのかの三つである。

これまで行政は「高齢シングル」に対してはそれなりの関心を寄せていた。というのは、高齢シングルは「低所得や要介護のリスクが高く、社会保障に対して負荷を増大させるおそれ」(19頁)があるからだ。でも、ミドル期シングルについては、行政もメディアもまるで無関心だった。

 いや、無関心というのではない。むしろ、日本社会では久しく「家族を作るな。シングルで生きろ」というイデオロギーが支配的だった。本書には言及されていないが、私の知る限り少なくとも1980~90年代においてはシングルであることは、都市生活者につよく勧奨された生き方だった。

 糸井重里は1989年に『家族解散』という小説で中産階級のある一家が離散する過程を活写した。一人一人が「自分らしく」生きようとしたせいで「家族解散」に至る物語である。でも、別に糸井はこれを悲劇として描いたわけではない。いまの人にはわかりにくい理路かも知れないが、「家族解散」は市場に圧倒的に好感された選択だったのである。

 だって、家族が解散すれば、不動産も、家電製品も、自動車も、それまで一つで済んでいたものが人数分要ることになるからである。家族解散は「市場のビッグバン」をもたらした。だから、「家族を作るな」というのは資本主義がわからの強い要請でもあったのである。

 そういう時代を生きた人たちが家族形成にあまり強いインセンティブを感じなくなったということはあって当然だと思う。人口動態がそれを示している。

 

「全国のシングルの総数は、1980年の711万人から2000年の1291万人をへて2020年には2115万人にまで増加しました。40年で2.98倍になったということです。」(45頁)

 

 2115万人のうち男が1094万人、女が1021万人。男では、未婚・ミドル期が29.8%、未婚・若年期が29.6%。女では死別・高齢期が32.4%、未婚・若年期が23.3%、未婚・ミドル期が16・9%。(47頁)ミドル期シングルは1980年に35万人、2000年に156万人、2020年に326万人。40年間で約10倍に増えた勘定になる。(21頁)離婚してシングルになる人たちもいる。男は1980年に17万人、2000年に59万人、2020年に93万人。女は25万人、48万人、77万人。これも急増している。(21頁)

 でも、この極端な人口動態上の変化に日本人は特段の関心を示さなかった。結婚したくない、家族を形成したくないという人が増えてきました。ああ、そうですか。個人の生き方ですから、どうぞご自由に、という話で終わった。

 この集団がいずれ遭遇するであろう「経済的困窮や社会的孤立という問題が深刻化するという未来のリスク」に「いちはやく」着目した研究が登場したのが2010年だと本書には書いてある(22頁)。「いちはやく」ということは「それまで誰も研究しなかった」ということである。

 どういう理由で人々が配偶者のいない生き方を選ぶようになったのか、その理由も本書には列挙してある(さすがに資本主義の要請だとは書かれていないが)。

 東京にシングルが多いのは、地方在住者が家族のもとを離れて東京に進学や就職で集まるからである。これは当然。もう一つは社会進出を果たした女性の晩婚化。シングル女性は移動しやすい。住む場所を変えるほど人は家族形成から遠ざかる。「人口移動によって出生率は低下する」のだ(80頁)。

 

 それに女性は地方の伝統的規範を忌避する傾向がある。「男尊女卑や過度な性別役割分業といった、女性にとっての負の要素」(94頁)から離脱するために地方圏出身女性が東京区部へ移動している可能性はあると本書は論じている(94頁)。そこまで断言していないのは、データが不足しているからだろうけれど、私もそうだと思う。彼らは「画一性からの脱却と多様性への渇望」に駆動されて大都市圏に引き寄せられる(97頁)。