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内田樹さんの「安倍政権の総括」(その3) ☆ あさもりのりひこ No.1519

僕の知り合いで、学生時代に過激派だった男が、就職先がなくて、父親のつてで田中角栄に頼み込んだら「若い者は革命をやろうというぐらいの気概がある方がいい」と言って就職先を紹介してくれたそうです。

 

 

2024年5月1日の内田樹さんの論考「安倍政権の総括」(その3)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―田中角栄の時代には「五大派閥」が互いに拮抗し、「角福戦争」と呼ばれる事態にも発展しました。

 

内田 僕の知り合いで、学生時代に過激派だった男が、就職先がなくて、父親のつてで田中角栄に頼み込んだら「若い者は革命をやろうというぐらいの気概がある方がいい」と言って就職先を紹介してくれたそうです。彼はたちまち越山会(田中角栄の後援会)青年部の熱心な活動家になった。たしかに目くじら立てて「排除する」より「抱き込む」方が政治的な費用対効果はいい。こういう技を駆使する「食えないオヤジ」たちがかつての自民党にはたくさんいました。

 

―様々な層の支持を自民党が一手に受け入れていたのに、党が自ら懐を狭めていったと。

 

内田 中選挙区制の下では、たとえば群馬三区では福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三が同じ選挙区で「上州戦争」と呼ばれるほどの激烈な選挙戦を展開しました。三人がそれぞれに地方組織の充実に努めたので、派閥抗争が激化した結果、自民党全体の足腰も強くなるということが起きた。

 ところが、ある時期から「派閥政治はよくない」という話になった。政治が派閥の間の密室のやりとりで決まるという非民主的なプロセスと、「政治とカネ」の醜聞に国民がうんざりしたからですから、そうなって当然なんですけれども、そのバックラッシュで、今度は「政党は上意下達で、一枚岩の組織であるべきだ」という極端な話になった。

 小選挙区制によって、公認権を握る党執行部に権力が集中したということもありますけれど、政治家が「政党のあるべき姿」についてそれまでと違うモデルを選んだことも大きく影響していると思います。

 かつての自民党の政治家たちが合意形成のモデルにしたのは「農村共同体」でした。農業従事者が日本の労働者の50%を超えていた時代に育った人たちですから当然です。彼らは村の寄り合いでものを決めるように、長い時間をかけて合意を取り付けた。でも、戦後世代の政治家たちはもう農村の合意形成システムなんか知りません。知っている組織といえば株式会社です。

 株式会社では合意形成に手間をかけたりはしません。CEOが一人で経営方針決めて、それが下に示達される。トップのアジェンダに同意する人間が登用され、反対する人間は排除されるのは株式会社では当然のことです。CEOの経営判断の適否の判断は「マーケット」が下す。従業員が合議して決めるわけじゃない。どんなジャンクな商品であっても、マーケットに出したら、バカ売れして、売り上げが伸びて、株価が上がったら、それを決めたCEOは正しかったということになる。「マーケットは間違えない」というのは資本主義の基本ルールです。

 株式会社では、事前に合意形成はしません。トップに決定権を与えて、事後の実績でその良否を決定する。ある時期から、政治家もメディアも何かというと「民間ではあり得ない」という決まり文句を口にするようになりましたが、あれは要するに「株式会社的ではない」という意味です。生まれてからずっと株式会社のような組織しか見たことがない人は、「組織というのは、そういうものだ」と信じているから、政党も行政も学校も医療もすべて株式会社のようなものに仕立て直そうとする。

 自民党もある時期から「政党は株式会社のように組織化されるべきだ」と思い込む人たちが多数派になりました。トップに全権を委ねて、トップは自分のアジェンダにもろ手を挙げて賛成してくれる「お友だち」や「お気に入り」を重用して、反対意見を述べたり、懐疑的な態度をとる人間を政治家でも官僚でも遠ざけるようになる。そうして9年経ったら、上から下まで「イエスマン」ばかりで占められるようになった。

 

―党の「株式会社化」はどのようなタイミングで始まったのでしょうか。

 

内田 決定的だったのはバブル崩壊だと思います。成長が止まり、「パイ」の拡大が止まった。人間というのは「パイ」が大きくなっている間は分配の仕方にあまり文句を言ったりしないんです。自分の取り分が増える限り、分配方法はあまり気にしない。でも、「パイ」の拡大が止まり、縮小に転じると、いきなり分配方法が気になりだす。「おい、いったいどういう基準でパイを分けているんだよ。誰か『もらい過ぎ』のやつがいるんじゃないか。オレの『取り分』を誰かが横取りしているんじゃないか」という猜疑心が生まれてくる。

 90年代の終わりくらいからですね、「パイの分配方法」がうるさく議論されるようになったのは。それまでは「どうやってパイを大きくするか」が優先的な課題だったのに、ある時期から「どうパイを分配するか」の方が優先的な話題になった。もちろん、そんなことにいくら時間を費やしても「パイ」は大きくならないんですよ。ひたすら縮んでゆくだけです。そうすると一層うるさく「パイの分配方法」はどうあるべきかについての議論に熱中するようになった。

 その時に、「社会的有用性・生産性・上位者への忠誠心」を基準にして資源は傾斜配分すべきだということを小賢しいやつらが言い出した。「役に立つやつ」と「役に立たないやつ」を差別化して、「役に立つやつ」に多めに配分し、「役に立たないやつ」には何もやらないようにしよう、と。その頃からです、生活保護受給者へのバッシングとか、「もらい過ぎ」の公務員叩きとか、格付けとか評価とかいうことがうるさく言い出されたのは。どれもやっていることは同じです。もう「パイ」が大きくならないのだから、自分の取り分を増やすためには他人の取り分を減らすしかない。どうすれば「他人の取り分を減らす」ことができるか。その理屈を考えることにみんな夢中になった。「外国人」や「反日」や「あんな人たち」は公的支援を受ける資格がないという話を人々がするようになったのは、資源分配で「他人の取り分」が気になるようになったからで、要するに日本人が「貧乏になった」からです。「貧すれば鈍す」です。

 

 株式会社化というのも、この時に出てきた「格付け」趨勢の一つの現れです。株式会社では能力よりも忠誠心が重んじられる。上位者の命じるものであれば、「無意味なタスク」であっても黙って果たす人間が重用される。「こんな仕事、意味ないじゃないですか」と直言する人間は嫌われ、排除される。忠誠心とイエスマンシップを勤務考課で最優先に配慮する。これが株式会社の人事の最大の弱点なんですが、「株式会社化した自民党」もこの弊害を免れることができなかった。