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内田樹さんの「安倍政権の総括」(その4) ☆ あさもりのりひこ No.1521

僕は政策の適否について判断を下す「マーケット」は国際社会における地位だと思います。

 

 

2024年5月1日の内田樹さんの論考「安倍政権の総括」(その4)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―トップダウンによる意志の統一は、一見、組織を強くするように思えますが。

 

内田 株式会社でCEOへの全権委任が許容されるのは、先ほども言いましたけれど、経営判断の適否についてはマーケットが判断を下すからです。トップの経営判断にマーケットがすぐに反応する。マーケットから「退場」を命じられたCEOは黙って去るしかない。「失敗したらすぐに馘になる」という保証があるから、CEOに暫定的に全権を委ねることができるのです。

 でも、政治についても同じことが言えるかというと、これは言えないわけです。というのは、ビジネスにおける「マーケット」に相当するものが政治においては何であるかについて、社会的合意がないからです。

 僕は政策の適否について判断を下す「マーケット」は国際社会における地位だと思います。ある政党が政権を担当している間に、その国の国力はどれくらい向上したのか、国際社会における外交的なプレゼンスはどのくらい重くなったか、その国の指導者の言葉に国際社会はどれくらい真剣に耳を傾けるようになったのか、その国をロールモデルにして、「あの国の成功例に学ぼう」という国がどれくらい出てきているか...、そういう指標に基づいて、政治の成否ははじめて判定できると僕は思います。

 例えば、コロナ対策であれば、同じ問題に世界中の国が同時に取り組んだわけですから、その成否は客観的指標に基づいて正確に判定できます。人口当たりの感染者数、死者数、検査数、ワクチン接種率、医療体制...そういうものを比べれば、日本政府の「点数」ははじき出される。でも、日本政府はそういうことを絶対にしませんでした。というのは、彼らにとっての「マーケット」は国際社会における地位ではないからです。

では、何が「マーケット」かというと、それは「次の選挙」です。次の選挙で勝てば、それは政策が「マーケット」の信認を得たということであり、政策が「正しかった」ということを意味する。政治家もメディアも、みんなそう言い立てています。「次の選挙」で多数の議席を取れば、それはこれまで行った政策はすべて「正しかった」という民意の信認を得たことであるという話になる。どれほど失政を重ねても、すべてうまくいっているようなふりをして、メディアがそのように宣伝して、有権者がそれを信じて投票行動をとれば、すべての政策は「正しかった」ことになる。

 喩えて言えば、マーケットの反応ではなく、社内の人気投票で経営判断の当否が決まる会社のようなものです。いくら売り上げが下がっても株価が下がっても、従業員たちが「経営は大成功している」というプロパガンダを信じていれば、経営者の地位は安泰です。だから、今の政治家たちは実際に政策を成功させることよりも、「成功しているように見せる」ことの方を優先するようになった。

 

―コロナ対策についても、さまざまなミスが検証されないままですが。

 

内田 トップダウンの政体では、失政についての説明はつねに同じです。それは「政府の立てた政策は正しかったが、『現場』の抵抗勢力がその実施を阻んだのでうまくゆかなかった」というものです。スターリンのソ連も毛沢東の中国も、世界中の独裁政権の言い訳はつねに同じです。システムは完璧に制度設計されていたのだが、システムの内部に「獅子身中の虫」がいて、正しい政策の実現を阻んでいる。すべての失敗の責任はこの「反革命分子」「売国奴」「第五列」にあるというものです。だから、失政のあとには「裏切者」の粛清が行われるけれども、システムそのものは手つかずのまま残る。

 今の日本も同じです。コロナ対策でも、「厚生労働省の政策は正しかったが、医療機関や国民が政府の言う通りにしないので、うまくゆかなかった」という話になる。そこから導かれる結論は「だからもっとシステムを上意下達的に再編すべきだ」というものです。憲法を変え、法律を変えて、政府の命じることに逆らう医療機関や市民に罰を与える仕組みを作ればすべてうまくゆくということを言う人がいますが、それは失敗した独裁者が必ず採用する言い訳です。

 

―自民党内で多様性が失われた一方で、野党に対しても「一枚岩ではない」といった批判がよくなされます。

 

内田 政党が一枚岩でなければならないなんてことをいつ決めたんですか。その理屈から言ったら、共産党や公明党が最も「一枚岩」ぶりが徹底しているわけですから、メディアは「共産党、公明党に投票しましょう」と社説に掲げるべきでしょう。そうじゃないと話の筋目が通らない。

 綱領や規律できっちり固められた政党もあれば、かつての自民党のようなぐずぐずに緩い政党もある。僕はそれでいいと思いますけどね。綱領も違うし、組織原理も違う、めざす社会像も違う、そういう政党が並列していて、交渉したり、妥協したり、離合集散を繰り返しながら、とにかく国民にとって暮らしやすい社会を実現してゆく。それでいいじゃないですか。政党がどういう組織であるべきかについて「正解」なんかあるわけがない。メディアが「一枚岩じゃない」「党内で意思統一ができていない」ということをうるさく批判するのは、記者たちが株式会社しか組織を知らないので、「今の政党は株式会社みたいじゃないのは変だ」と言っているだけです。

 いろんな政党があっていいんです。有権者は選挙のたびに自分の判断で投票する。地方選挙と国政選挙で、違う政党に投票したって構わない。有権者はどんなことがあっても一つの政党を支持すべきである。だから政党は単一の方針を貫徹するべきだという発想は幼稚過ぎると思います。

 立憲民主党がふらふらしてどうも信用しきれないと批判する人がいますけれど、立憲民主党は「ふらふらする政党」なんですよ。それが持ち味なんだから、それでいいじゃないですか。「つねに、あらゆる政策判断について正しい政党」の出現なんか期待すべきではありません。どんな政党だって間違えます。間違えた後に「あれ、間違いでした」と正直に認める政党だったら、僕はそれで充分誠実だと思います。