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内田樹さんの「『街場の身体論』まえがき」 ☆ あさもりのりひこ No.1558

鈍根に鞭打って、倦まず弛まず稽古を続けました。

 

 

2024年8月11日の内田樹さんの論考「『街場の身体論』まえがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 みなさん、こんにちは。内田樹です。

 「街場の身体論」というタイトル、なんだか既視感がありますけれど、よく考えると、初めて見るものですね。でも、みなさん、ご注意下さいね。これは2011年にマキノ出版から出た成瀬雅春先生と僕の対談本『身体で考える』の復刻なんです。

 うっかり「おお、二人の新しい対談本が出た」と勘違いして買ってしまってから、「あ、これはタイトルだけ変えて、中身は既読ではないか」と天を仰いで歯噛みするということがないように、ここで声を大にしてご注意を申し上げておきます。

 でも、まったく同じ本ではないんです。復刻ですから、せっかくだから「ボーナストラック」を付けましょうということで、久しぶりに成瀬先生と五反田のヨガ道場でお話をしました。それが最後に「おまけ」として付いています。

 成瀬先生はぜんぜんお変りなくて、飄々と、笑顔で、驚くべき話をいろいろ聞かせてくれました。ほんとうに不思議な方です。

 僕はもうずいぶん前から成瀬先生とは何度もお会いして、長い時間お話を伺ってきましたが、先生がどれほどのスケールの人間なのかは今もまったく見当がつきません。「だいたいこんな感じの人かな」と思って、気持ちを片づけようとすると、そういう思い込みのはるか斜め上をゆくようなことをされるんです。ですから、ある時期から成瀬先生のことは「もうわからない」と腹を括ることにしました。

 わからないのは、どうして成瀬先生が「僕なんか」と対談して面白いのか、ということです。成瀬先生と比較してどうこう言うのも恥ずかしいですけれど、僕はほんとうに「凡人」なんですから。

 ご存じの方も多いと思いますが、僕はもともと虚弱児だったので、身体能力はすごく低いんです。走るのも遅いし、もちろん「さかあがり」もできない。

 それでも25歳のときに思い立って多田宏先生に弟子入りして、合気道の稽古を始めて今年で49年になります。鈍根に鞭打って、倦まず弛まず稽古を続けました。自分で道場を開いて門人を育てました。「よく継続した」ということは言えると思います。それでも、武道家としては「凡庸」という以外に形容のしようがありません。

 でも、悪いことがあればいいこともあります。それは自分が獲得してきた技術や知識については、ひとつひとつだいたい言葉にできるということです。小さい頃からずっと「どうして君はこれができないの?」とふつうの人に驚かれ続けてきたので、それが「できる」ようになるまで1ミリずつ這うようにして進んだプロセスについてはかなり精密に言語化し、プログラム化することができます。だから、下手な人に教えるのは得意なんです。

 もう一つ、僕に武道家として恵まれた資質があるとすれば、それは「わがまま」ということです。僕の身体はすごく「わがまま」なんです。もともと弱いから無理が効かない。痛みに耐えてして身体に負荷をかけ続けるということができない。だから、どうやってこの痛みや不快から逃れるかを工夫するしかない。そんなことを稽古していたら、いつの間にか「痛みや不快」の予兆が接近してきただけで、「いやな感じ」がして、それを回避する行動をとれるようになってきました。自分にとって「よくないもの」が接近してくると、アラームがけたたましく鳴動して、耐え難い。だから、ノイズが少しでも鎮まるような場所に移動して、よりノイズがしないように身体を使う。

 こんな術理は「強い武道家」にはたぶんあまり開発する必要が感じられないものだと思います。「弱さのとりえ」というものもあると言うことです。

「才能のない、弱い武道家」というのが僕の立ち位置です。でも、これも決して悪いものじゃないんです。だって、その視点からしか見えないものがあり、語れないことがあるんですから。

 成瀬先生が僕を話相手に選んでくださったのは、たぶんそのせいだと思います。才能のない人間が自分の身体をどんなふうに作り上げるのか、弱い人間がどうやって負荷を軽減するのかといった身体事実についての「インフォーマント」としてならたしかに僕は「余人を以ては代え難い存在」ですから。

 

 以上でまえおきはおしまいです。どうぞ以下の頁を「天才と凡人の対話」という視点からお読みください。そうやって読むとなかなか味わい深い本だと思います。