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「いやしくも日本広しといえども、こんな変なことを研究しているのは俺一人だ」というような態度の悪さが知的な緊張を持続するためには必要なんです。
2024年10月11日の内田樹さんの論考「自由の森学園40周年記念講演「教育と自由」」(その2)をご紹介する。
どおぞ。
さっきも控え室で、菅間校長と話していましたけれども、今の社会は全部そうなんです。とにかくたいへんな勢いで変化している。その急激な変化に「キャッチアップしろ」という圧力がかかる。それを受け止める学校側も、とにかく社会の変化についていかなきゃいけないと思って、必死になっている。「何のために変化しなければいけないのか」という根本の問いを忘れて、とにかく時代がこう変わっているんだから、テクノロジーがこう進化しているんだから、政治過程や市場の仕組みがこう変わっているんだから、それに合わせて教育も変わらなければいけないと必死になっている。そういうオブセッションが教育現場にも強くかかっています。
文科省に言わせると、それでも文科省が防波堤になって、産業界や政治からの「教育を変えろ」という圧力に抵抗しているんだそうです。たしかに防波堤にはなってくれているのかも知れませんが、現場には必ず「文科省経由」で指示が入ってくるわけですよね。新しいテクノロジーを教えなさい、新しい価値観を教えなさいと。学校で金融を教えろというような要請がありましたね。
でも、そのときどきに産業界が要求している、いわゆる「人材」なるものとは何か、それを考えた方がいいと思うんです。「人材」を育成して送り出せと向こうは学校現場に要求してくるわけですけども、その「人材」の仕様がコロコロ変わるんです。ほとんど毎年のように変わる。そのたびにそれに合わせて学校の教育課程を変えるなんてあり得ないことですよね。
僕は私立学校がシステムの設計について参照すべきものがあるとすれば、それは「建学の理念」だと思うんです。たいせつなのは「建学の理念」であって今の「社会のニーズ」なんかじゃない。だって、建学された時、学校には何にも「手持ち」がないんですから。そもそも在校生がまだいない。卒業生もまだ出していない。自分たちの学校がこの社会でどういうような役割を担うものであるかまだ検証ができていない。でも、理想だけはある。何より建学時には「社会のニーズ」なんかないんです。卒業生に対する社会のニーズが全くないという状況で建学者たちは教育を始めた。
神戸女学院は、明治8年創建なので、もうすぐ150年になりますが、アメリカからやってきたタルカットとダッドレーという二人の女性宣教師が神戸で開校した小さい塾から始まります。この2人の宣教師はサンフランシスコから船に乗って太平洋を横断して日本に来るんですけれど、出航時点においては、まだ日本ではキリシタン禁制の高札が掲げられていたんです。「社会のニーズ」どころじゃない。「来るな」と言われているところに来たわけです。「社会的ニーズ」はゼロというよりマイナスだったわけですよね。でも、「来るな」と言われても行きたい。どうしても教えたいことがある、伝えたいことがある。そうやって神戸で小さい学塾を始めたら、そこに少しずつ引きつけられるようにして子どもたちが集まってきて、いつの間にか150年が経っていた。
建学の時点において「社会的なニーズ」がゼロであったということはとても大きいと思うんです。ニーズはなかったけれど、代わりに「教えたいこと」があった。「伝えたいこと」があった。「こういうような教育をしてください」というニーズがあって、それに応じて「はい、分かりました」というので何か知識や技能を教えるというようなかたちで私立の学校教育は始まったわけじゃありません。日本の大学は75%が私学ですけども、この私学は本質的には全部がそうです。「教えたいこと」がまずあって学校教育が始まった。「どこもやっていない教育」をしたかったからですね。ほかのどこでもやっていないから、自分がやりたい教育のために身銭を切って学校をつくった。そこから日本の私学教育が始まったわけです。
でも、「ニーズ」という言葉がある時期から、90年代の終わりころからでしょうか、教育現場でさかんに口にされるようになった。「マーケットのニーズ」がどうたらこうたらと教授会で言い出す人が出てきた。そういうマーケティング用語とか、「質保証」とか「工程管理」とかいう工学用語で教育を語る人が増えてきた。でも、僕はそれは違うんじゃないかと思っていました。もし社会のニーズを満たすために学校教育があるなら、日本の私学のほとんどは今存在していないはずだからです。
慶應義塾は「私学の雄」ですけれども、福沢諭吉の『福翁自伝』を読んでいると、「社会的なニーズ」への配慮なんかないんです。彰義隊の戦争のさなかに、江戸中が火の海になるかというときに福沢諭吉は経済学の英書を読む講義をしているわけです。徳川時代の藩校はもう教育機関として機能していない。新政府にはまだ学校を作る余裕がない。いやしくも今の日本を見回して、まともな高等教育をしているのは慶應義塾ただ一つである、と。この反社会性を僕は非常に好ましく思うんですよね。今の日本でまともな教育をしているのはうちしかないんだと福沢諭吉は豪語するわけです。みんな戦争に夢中になっている。相場の上げ下げで右往左往している。その喧噪の中で、われわれは悠々と経済学を講じている。社会の目先のありようとまったく関係ないことをしている。それが学校教育の意義だ、と。
福澤は若い時は大阪の適塾にいて、オランダ語の文献を読みました。哲学書を読み、工学や化学の書物を読み、医学や薬学の書物を読み。とにかくオランダ語で書かれている文献を片っ端から読んだ。もちろん、そんな知識や技能についての「ニーズ」なんか江戸時代の日本社会のどこにもないんです。だから、意地で読んでいる。なぜ意地で読んでいるのかというと「こんなにややこしいもの」を読んでいるのは日本広しといえども、われわれしかいないという自尊心からです。エリート意識というのとはちょっと違う。だって、エリート意識って、既存の支配階級の上の方にいる人間が持つものですからね。適塾の貧乏書生は階級の外にいる。時流にきっぱり背を向けて、金にもならないし、出世にも結び付かない学問している俺たちは「ただものではないぞ」という苦しまぎれのプライドだけを支えに貧しさや飢えに耐えていた。福澤はそう書いています。
でも、学ぶ人間の気概っていうのは本来そういうものなんじゃないかなって気がするんですね。「いやしくも日本広しといえども、こんな変なことを研究しているのは俺一人だ」というような態度の悪さが知的な緊張を持続するためには必要なんです。
学校教育もそうだと思うんですね。世の中とうまくなじんで、社会のニーズにぴったりと対応した教育をしているような学校にはなりたくない、と腹を括って、世間から「一体あんたのところは何をやっているんだ」と白眼視されるような教育をする。そういう学校の側の気概は在校生・卒業生にはちゃんと伝わるわけです。だから、「今の日本であんな変な教育をしている学校はうちの母校しかない。だったら、守らなければ」という気持ちを持つようになる。そういう形で僕は学校を続けていけばいいと思うんです。だから、サイズが大きい必要は全くない。小さい学校で構わない。これから日本の人口はどんどん減っていくわけですから、小さいサイズでいいんです。