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新聞もテレビも必ず「人口減問題」と言うんです。でも、これは正しくない。僕らが直面しているのは「人口減問題」じゃなくて、「人口一極集中問題」なんですよ。問題を起こしているのは、人口減少じゃなくて、人口の分配が偏っていることなんです。過疎地と過密地ができてしまっていることが問題なんです。人口を全国にならせば、今「人口問題」と言われている問題のほとんどは解決する。
2024年10月11日の内田樹さんの論考「自由の森学園40周年記念講演「教育と自由」」(その3)をご紹介する。
どおぞ。
今日は高校生を相手に話すものとばかりと思って来たものですから。高校生向けの「世界はこれからどうなるか」という話を仕込んできたのですが、来てみたら観客は大人の人ばっかりなので、用意してきた話は止めて、「教育と自由」という演題に近い話をします。どうなるか分かりませんが、たぶんどこかでなると思います。
初めに申し上げておきますけれど、「教育と自由」って食い合わせが悪いんです。そもそも「自由を教える」ということができるのかということですね。主体性は教えられるか、自立は教えられるか、自由は教えられるか。どれも教えるのは難しいです。でも、そういうものを自得する環境をつくることはできる。先生が教えなくても自得できるような環境はつくることはできる。教育者としてできることのそれが最大限だと思います。子どもは「自由」も「自主」も「自立」も「自在」も自得するしかない。それを自得できるような環境を整える。あとは眺めて、待つ。たぶんそれしかできないという気がします。この話にはまたあとで戻るかもしれないし、戻らないで「教育と自由」に関してはあれで終わりだったっていうことになるかもしれませんけど。
さて、今日高校生に話そうと思っていたのは「人口減」の話でした。この飯能のあたりでもたぶん人口減ということが結構シリアスな問題になっていると思うんですけども、僕は『人口減社会の未来学』という本を編著したせいもあって、人口減問題に関してよく講演依頼があります
先日も岐阜県のJAに呼ばれて、地方の人口減問題と農業の問題について語ってきました。どこでも言うことは同じです。韓国でもその話をしました。毎年韓国には講演旅行に行っているんですけども、一昨年は韓国の田舎のほうからお呼びがかかって山の中の公民館みたいなところで50人ぐらいの聴衆を前にして講演をしました。そのときにいただいたテーマが「韓国における急速な人口減と地方の生き残り」というものでした。聴衆はほとんどが地元の高齢者でした。もちろん彼らは僕の名前も、何をしている人間かも知らない。でも、その人たちが実に一生懸命に話を聞いていました。どうして僕みたいな人間をわざわざ日本から呼んでそんな話をさせるのかというと、たぶん韓国国内には「地方の人口減問題と生き残り」について真剣に考えてくれる知識人がいないということじゃないかと思うんですね。
韓国の合計特別出生率は0.68です。すさまじい減り方です。去年が0.78なんですから1年間で1ポイント落ちているんです。首都圏への人口の集中が進んでいてソウル周辺だけで全人口の45.5%が住んでいるというデータがあって、その数字を講演で何度か引いたんですけれども、これも最新データに更新しようとしたら、45.5%から1年間で55.5%に上がっていました。1年間に10ポイント上がっているんですよ。すごいですよね。
ソウル周辺だけなんですよ、若い人がいるのは。去年講演に行ったのは釜山なんですけれど、釜山は韓国第2の都市で、日本でいったら京都とか大阪みたいなランクの都市なんです。感じのいい、カジュアルな下町なんだけども、街を歩くと、出会うのは中高年ばかりなんですよ。街に若者がいないんですよ。子どもの歓声も聞こえない。
釜山大学は国立ですからまだ残っていますが、まわりにあった大学が次々と廃校している。この数年間で4校、大学が廃校になったそうです。廃校ですよ。どうしてですかと訊いたら、若い人がみんなソウルに行っちゃうからなんだそうです。釜山大学って京都大学ぐらいのランクの大学なんだけれど、志願者が激減して、入学偏差値が下がっていて、今はソウル近辺の二流、三流大学の後塵を拝している。首都に文化資本が集中していることについて、日本ではあまり報道されていませんね。人口減に関しては、出産率がすごく下がったということは時々報告されていますけれども、ソウルに人口が集中していることが地方没落の原因だという話はあまり報道されない。ネットニュースには出てますけれど、大新聞なんかはまず報道しない。
これは現代日本における人口減問題を伝えるときの報道姿勢の特徴ですね。新聞もテレビも必ず「人口減問題」と言うんです。でも、これは正しくない。僕らが直面しているのは「人口減問題」じゃなくて、「人口一極集中問題」なんですよ。問題を起こしているのは、人口減少じゃなくて、人口の分配が偏っていることなんです。過疎地と過密地ができてしまっていることが問題なんです。人口を全国にならせば、今「人口問題」と言われている問題のほとんどは解決する。
この点では韓国が日本より一歩先に進んでいます。韓国で起きているのは一極集中なんです。もちろん人口も減っているわけですけれども、物価が高く、競争が激しいソウル周辺に若い人が集中しているせいです。だからなかなか就職もできないし、結婚もできないし、子どもも持てない。
日本でも同じことが起きつつあります。今起きているのは「人口減問題」ではなくて、「人口の一極集中問題」なんです。今、首都圏に4000万人近くが居住しています。東京、埼玉、神奈川、千葉に日本の人口の三分の一が集まっている。他方で地方の過疎化が急速に進んでいる。先日、能登半島で地震がありましたけども、まったく復興が進んでいませんよね。福島の復興も進んでいませんが、能登はもっとひどい。政府には能登半島を復興する気がないことがわかります。被災地は、高齢化が進んで人口が減っていて、いずれ過疎地になるだろうから、そんなところに復興コストをかけるのは無駄だと思っているからです。高齢者は仮設住宅にいるうちに鬼籍に入ってしまう。遠からず誰も住まなくなるような集落へ続く道を修復したり、集落の水道やライフラインを補修したりする必要はない。公然とそう語っている政治家もいます。健康で文化的な生活がしたかったら、都市部に引っ越せばいいじゃないか。山の中の過疎の集落のために道路を通す、橋をかける、トンネルを通すとか、そんなコストをかけることはできない。行政コストの無駄遣いだ。そういうことを公然と語る人がいます。多くの人がそれに反論できずに、なんとなく頷いている。でも、これは明らかに言っていることがおかしいわけです。だって、人口減と言っても、今だって日本列島には1億2500万人いるわけですよ。
江戸時代の人口って3000万人ですよ。日本中に276の藩があった。藩というのは一応原理原則としては、エネルギーと食料に関しては自給自足でした。276の政治単位が、自給自足していた。そこで政治を営んで、特産品があり、固有の文化があり、技術があり、伝統的な祭祀儀礼芸能があった。それが人口3000万人の時には可能だったのに、1億2500万人では不可能になったと言われている。これはおかしいでしょう。江戸時代より1億近く人口が多いのに、地方に生業の拠点とか固有の文化を発信する拠点なんて作れるはずがないと、みんな信じ込まされている。どう考えてもおかしい。江戸時代は3000万人でやっていけた。明治40年でも5000万人でやっていけた。漱石が『坊ちゃん』とかを書いていた日露戦争の頃、日本の人口は5000万人ですが、日本列島中津々浦々に人々が居住して、生業を営んでいた。山の中にまで集落があった。その人口でも全国津々浦々で居住して、生業を営むことができるということは歴史的に検証済みなんです。きちんと資源を分散すれば人口5000万人まで減っても、ふつうに暮らせる。それをしようとしないということが問題なわけです。