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内田樹さんの「自由の森学園40周年記念講演「教育と自由」」(その4) ☆ あさもりのりひこ No.1587

問題は人口が減っていることではなく、資源を全土に分配して、エネルギーや食糧についてもそれぞれの地域で自給自足できるような体制を作り、危機耐性に強い国を作ることです。

 

 

2024年10月11日の内田樹さんの論考「自由の森学園40周年記念講演「教育と自由」」(その4)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 首都圏に人が集まっていくのは自然過程のように語る人がほとんどですね。地方に人がいなくなってゆくことをまるで避けがたい自然過程であるかのように語る。人口減は台風とか地震みたいな災害で、人間にはコントロールできないものであるかのように語っている。でも、これは違います。これは政治の問題なんです。100%政治の問題なんです。人間の力で、人口の偏りは補正できる。現に前例があるんですから。

 明治政府がやったことの中でこれは確実に評価していいということは、高等教育の拠点を全国につくったことです。教育資源を東京に一極集中させないで、地方に分散した。帝国大学は、東京、京都、大阪、名古屋、仙台、札幌、福岡、台北、京城と九つ作りました。旧制高校も明らかに教育資源の地方分散をめざす政策でした。旧制高校の配置を見ていると、明治政府がいかに意識的だったかがはっきり分かります。一高は東京ですが、次に作った二高は仙台です。仙台というのは、戊辰戦争のときの奥羽越の列藩同盟の拠点ですね。賊軍の本拠地に二高を作った。三高は京都、四高は前田藩ゆかりの金沢。五高は熊本、六高が岡山、七高は造士館、鹿児島です。西南戦争の逆賊の拠点です。八高が名古屋で、そこで「ナンバースクール」は終わって、そのあとは弘前、松江、静岡、水戸、山形、高知などいわゆる「ネームスクール」16校ができます。そうやって全国に高等教育の拠点をつくった。この教育資源の分散はあきらかに意図的なものです。仙台や金沢や鹿児島や水戸に旧制高校を作るというのは、政治的配慮です。実際に公共事業の資源分散では、戊辰戦争の賊軍だった藩に対しては分配が少ない。東北新幹線が開通したのは、東海道新幹線開通の半世紀後ですからね。でも、教育の拠点と医療の拠点については、戊辰戦争の官軍か賊軍かにかかわらず、全国に均等に設置するという明確な意志を感じます。これを僕は高く評価します。

 これは今進められている教育拠点の一極集中と全く反対の政策です。一極集中を政府が主導しているとまでは言いませんが、間違いなく放置はしている。首都圏にどんどん集まってくる。そういうものなんです。放置しておけば、若い人たちは都市に引き寄せられる。先端的な文化に触れられるし、経済活動も活発だし、雇用機会も多い。若い人が都市に引き寄せられるのは仕方がない。だとすれば政治にできるのは、人口の都市一極集中を抑制することです。資源を地方に分配する。とりわけ教育資源と医療資源の地方分散を進める。そして、「日本中どこに住んでも、医療と教育については心配する必要がない」という体制を整備する。地方にいても、十分質の高い高等教育が受けられる。しっかりした医療機関で受診できる。そういう環境を作ることは政治的には可能なんです。営利目的の企業は費用対効果を考えて、すぐに地方を見捨てるでしょうから、これは政府が主導するしかない。教育の拠点と医療の拠点をつくっておけば、そこそこの人口は集められる。

 

 アメリカの場合、地方には、地域での雇用を創出しているのが政府機関と大学と総合病院だけという地方都市がたくさんあるそうです。その三つだけで一地方都市の雇用をほぼまかなうことができる。確かに、そうですよね。行政機関で働く人がいて、大学で働く教職員がいて、学生がいて、病院で働く医師や看護師がいて、患者がいて...その家族や関連企業の従業員やその家族がいるわけですからね。この人たち毎日生活するためだけでもかなりの規模の経済活動が行われる。だから、政府と自治体主導で、行政機関、大学、病院を全国均等に設置する。それだけでも、人口一極集中はかなり抑制できると思うんです。でも、こういう話をメディアはまず伝えることがありません。僕は一度も聞いたことがない。どうやって地方に雇用を創出するのかという話になると、みんな金の話をする。どうやって生産拠点をつくるのか、どうやって消費を喚起するのか、どうやって新しいビジネスを起こすのかという話になる。でも、ビジネスのタームだけでこの問題を論じている限り、資源の地方離散ということは絶対にできないと思うんです。人口分散は市場経済的には「あり得ない選択肢」だからです。

 これについて話すと長くなりますので、そこははしょりますけれど、資本主義は「過疎地」と「過密地」を作為的に創り出すことで成立する経済システムなんです。だから、人口が国土に均等にばらける状態を資本主義は決して許さないなんです。それは19世紀英国で行われた「囲い込み(enclosure)」という歴史的事実からわかります。だから、資源の地方分散は、市場経済に決定を委ねて、「市場は間違えない」と言っている限り、決して実現しません。これは政治主導でしか実現しない。

 明治政府は教育と医療については地方分散を政治的に進めました。それに比べて、この25年間日本の政治は一体何をしてきたのか。いったい、教育政策にどういう哲学があるのか。全くありません。問題は人口の実数がどうであるかとか、手持ちの金がいくらあるかとかいう話じゃないんです。哲学なんです。「国がどうあるべきか」についての明確な指針なんです。今の日本の政治家にはそれがない。だから、「人口一極集中問題」と言わずに「人口減問題」という。そう言われてきたから、「台風問題」とか「地震問題」とかいうのと同じように人知の及ばぬ問題だと人々は思い込む。でも、それは違うんです。問題は人口が減っていることではなく、資源を全土に分配して、エネルギーや食糧についてもそれぞれの地域で自給自足できるような体制を作り、危機耐性に強い国を作ることです。当たり前のことですよね。資源を分配したほうが危機に強いに決まっている。

 

 でも、資源の地方分散について論じられたのは、2011年の東日本大震災のあと一瞬だけですよね。当時「遷都」が話題に上りました。首都機能を分散しようということも言われた。東京に国家機能が集中していると、東京直下型地震が起きたときにいきなり国家機能が麻痺してしまうんですから。でも、移ったのは文化庁が京都に移っただけですよ。あんなの、単なるアリバイ作りです。

 京都大学名誉教授の鎌田浩毅先生と時々お会いするんですけど、そのつど「南海トラフは必ず来ます」って警告されます。南海トラフは周期性が高いので必ずあと30年しないうちに起きる、と。関連して、首都圏直下型地震も起きるかもしれないし、富士山が噴火するかもしれない。これを地震学の先生たちが口を揃えて警告しているわけですよね。この災害リスクを勘定に入れたら、どう考えても、最優先の国家的課題は「リスクヘッジすること」でしょう。統治機構を分散し、産業拠点を分散し、教育・医療の拠点を分散して、中央集権型ではなく、離散型のネットワーク・システムに設計変更する。離散型の仕組みなら、どこか一箇所が大きな被害を受けても、周辺からすぐに支援に行けるし、生き残ったところを拠点にシステム全体を作り直せる。システムの復元力を考えたら、「リソースを散らす」のが一番確実なんです。

 首都圏が直下型地震で機能停止した場合、救援にかけつけることができる一番近い100万都市は新潟です。新潟から関越道で東京まで来る他大規模な支援の手立てがない。関越道なんて当然壊れていますから、交通不能ですよね。東京には救援物資がなかなか届かない。何日間か、何週間か、食糧も医療支援も来ない。それを考えたら、なるべく東京に人を集めない方がいいに決まっています。その方が死傷者も少ないし、救援活動も効率的にできる。合理的に考えたら、こんな地震列島の上で、人口一極集中を許すというのは危機管理上間違っているんです。