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広い視野を持って、長いタイムスパンの中で物事を観察する。自分自身を含む光景を上空から俯瞰する。そうすると、今、目の前にある現実がどういうコンテクストで形成されてきていて、どういう文明史的な意味を持っているかということが分かる。空間的なふちどりと歴史的な文脈が分かる。
2024年10月11日の内田樹さんの論考「自由の森学園40周年記念講演「教育と自由」」(その5)をご紹介する。
どおぞ。
このまま人口の一極集中が進行していくと、あと80年後に日本列島に残っている都市は2つだけだという新聞記事が先日出てました。残るのは東京と福岡だけであとは全部なくなる、と。福岡が残る理由は「東京から遠いから」。東京に近い都市は全部東京が吸収してしまう。東京以外の都市がなくなるわけですから、地方の市町村は影も形もないということですよね。日本列島の東と西に2つ都市が残って、あとは荒漠たる無住地が広がる。
でも、21世紀末でも人口は5000万人いるんです。5000万人といったら、今の韓国が5200万ですからそれくらいです。フランスが今6800万人。フランス人に向かって、あんたんところはもう人口が少ないだから、あと少ししたらパリとリヨンだけ残して、あとは無住地にするしか生き延びる道はないよねと言ったら、「バカ言うな」って怒られますよ。そんなわけないだろう、と。
そんなふうになるのは「政治的努力がゼロの場合は」ということです。市場経済に丸投げしていたら、たしかにそうなるかも知れない。都市に人も資本も全部集めて、そこで集中的な経済活動をすれば、日本の資本主義はまだまだ延命できるからです。「シンガポール化」と僕が呼んでいるような事態になる。都市国家になって、国土は捨てる、農業も捨てる。資本主義経済に任せていたら、たぶんそうなる。
でも、日本ではそういうナンセンスな言説が堂々と行き交っているんですよ。人口が5000万になったら東京と福岡だけしか都市は残らず、あとは荒野になるだろうと言われて、みなさん「ああ、そうですか」とぼんやり頷いている。「そんなふうにならないようにしたらどうか」と誰も言わない。政治的努力などというもので経済の行方を左右することはできない。すべては銭金の問題だ。みんなそう信じ込まされている。
「教育と自由」という演題に絡めて申し上げますが、「真理は汝をして自由を得さしむ」という言葉があります。聖書ヨハネ伝にある言葉です。人は真理によって自由になれる。真理というと言葉が強いですけども、広い視野を持って、長いタイムスパンの中で物事を観察する。自分自身を含む光景を上空から俯瞰する。そうすると、今、目の前にある現実がどういうコンテクストで形成されてきていて、どういう文明史的な意味を持っているかということが分かる。空間的なふちどりと歴史的な文脈が分かる。それが今自分が閉じ込められる「臆断の檻」から逃れ出る唯一の方法なんです。とにかく今自分が居着いている視点からいったん離れなきゃいけない。世界地図の中で、100年、200年というタイムスパンの中で、出来事を見る。そこにコミットしている自分を見る。そうしたら、「東京と福岡しか残らない」という言明が全くナンセンスだということは分かるはずなんですよね。だって、今から100年前に人口が5000万人の日本は列島全域に人が暮らし、政治活動が行われ、経済活動が行われ、教育拠点も医療拠点もあったんですから。人口5000万人でも国力は充実していたという事例が過去にある。過去に「成功事例」があるのにもかかわらず、それをモデルにして日本の制度設計をしようという人が今の日本には一人もいないんです。一人もいないんですよ。ゼロなんですよ。大日本帝国時代の成功事例に学びましょうという政治家が一人もいないんですよ。大日本帝国時代の憲法に作り替えましょうということにはあんなに熱心なのに、過去の成功事例から学ぶ気はかけらもない。これ、おかしいと思いませんか。
今日本の農業は壊滅的な状態です。自給率38%と言いますけれど、東大の鈴木宣弘先生によると、実際にはもう10%を切っているということです。日本の農業従事者はあと10年ぐらいで3分の1ぐらいにまで減ると予測されています。このまま放置しておけば日本から農業なくなる。どうして日本の農業がなくなることにこれほど政府や財界が無関心なのか。それは農業がなくなってしまったら、もう農耕が行われていた土地には住む人がいなくなるからですね。そこに生業がなくなってしまうんですから、行くところがない。みんな仕事を探して都市に集まってくる。日本の農業が壊滅すれば、人口の一極集中はさらに加速する。それをめざしているんです。
これ、既視感のある風景なんですよね。人々が農業を営むことができなくなって、生産手段を失った自営農たちが都市部に集まって賃労働者になっていったっていう風景は。これは世界史で習った「囲い込み」ですね。
「囲い込み」というのは、それまで農地だった土地を資本家が買い上げて、周りに柵をめぐらせて、「立ち入り禁止」にしたことを指します。「囲い込み」によって地方に生業の拠点を失った人々が都市に集住して、自分の労働力を売るしかないプロレタリアになり、彼らの労働価値を収奪することで英国の資本主義は発展を遂げた。マルクスの『資本論』を読むと、たしかにそう書いてあります。
「囲い込み」が行われるまで、広い土地が村落共同体の共有地(コモン)でした。そこには森があり、川があり、野原があった。村落共同体のメンバーはコモンで自由に牧畜をしたり、狩猟をしたり、魚を釣ったり、果樹やキノコを取ったりすることができた。ですから、コモンが豊かであれば、個人資産が少ない人でも豊かな生活が送れた。この仕組みはヨーロッパでは中世からずっと続いていたんですけども、さまざまな理由をつけて村落共同体のコモンが買い上げられて、富裕な貴族や商人の私有地になった。共有地を失ったことでたくさんの人が没落していった。でも、囲い込みがもたらしたのはそれだけじゃないんです。囲い込みはただ農民たちから共有地を取り上げただけじゃない。人為的に過疎地と過密地を作り出したんです。
『資本論』には「資本の原初的蓄積」の分析に割かれた章があります。タイトルは堅苦しいんですけども、ここが僕は読んでいて一番おもしろかった。どうして資本主義は成功したのか。実は資本主義が英国で「テイクオフ」を果たしたときにやったことは一つだけなんです。それまで地方に等しく分散していた人口を移動させて、人口過密地と人口過疎地をつくった。それだけなんです。実質的にはこれしかやってない。もちろんさまざまな科学技術上のイノベーションがあって、産業革命は起きたわけですけれども、資本主義が成功した最大の理由はこれなんです。過疎地と過密地を人工的につくり出した。
農業というのは生産性が低い産業ですから、狭いところに多くの人が集住する。この土地を買い上げて彼らを追い出した資本家たちがそこで何をしたかというと、農業より生産性の高い産業に切り替えたわけです。19世紀のイギリスにおいては、これは牧羊でした。毛織物が基幹産業の時代ですから、かつての農地を牧羊地にした。牧羊というのはマンパワーが非常に少なくて済む「生産性の高い」産業なんです。マルクスによると、農業の100分の1の従事者で同じだけの利益を上げることができた。人件費コストが100分の1になる。それまで100人の農夫が暮らしていた土地に羊飼いが一人いれば済む。それを組織的に行ったのが「囲い込み」なんです。
これは資本主義の成功体験として骨身にしみついているんです。困ったことがあったら、人口過密地と人口過疎地を人為的につくり出せ。人口過密地では地価が上がり、物価が上がる。労働者の替えはいくらでもいるから賃金は下がり、雇用条件は切り下げられる。人口過疎地にはそのつど「最も生産性の高い産業」を誘致する。だから、都市に人が集まって、地方に人がいなくなることは、資本主義的には何の問題もないんです。むしろ歓迎すべき事態なんです。今の日本の政治家や官僚やビジネスマンが資源の地方分散のために指一本動かさないのはそのせいです。それが資本主義の理にかなっているから何もしないでいるのです。