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知性の自由というのは、長いタイムスパンの中、広いランドスケープの中で世界を見るということです。長い歴史的コンテクストの中で現実を見るということです。
2024年10月11日の内田樹さんの論考「自由の森学園40周年記念講演「教育と自由」」(その10)をご紹介する。
どおぞ。
島田雅彦って作家がいます。最近『パンとサーカス』っていう小説を書きました。先日文庫化されて、僕が解説を書きました。これはディストピア小説です。日本がアメリカの属国になって、ひたすら収奪されて、見る陰もなく貧しく卑しい国になるプロセスが実に生き生きとした筆致で描かれています。どうしてこの人はこんなにうれしそうに書くんだろうって思うくらい、日本が駄目になっていく過程が活写されている。でも、あれは島田雅彦の日本への愛なんだと僕は思うんです。日本を愛してるがゆえに、日本はこんなふうになって欲しくないと思うと筆が走ってしまう。そういうものなんです。今、僕たちがやるべきことは、妙に訳知りなことを言うのではなく、「あんた、それは妄想だよ」と言われても、そういう未来にだけは絶対に行きたくない「実現して欲しくない未来」について、微に入り細を穿って記述することだと思うんです。そんな日本にだけはなって欲しくないディストピア日本の光景をくっきりと提示する。それがそんな未来を実現させないためには間違いなく効果的なんです。
あ、もう時間になってしまいました。「教育と自由」の話はどうなったのかって、大変申し訳ない。ちゃんと結論はあらかじめ言っておいたので、良かったですけどね。知性の自由というのは、長いタイムスパンの中、広いランドスケープの中で世界を見るということです。長い歴史的コンテクストの中で現実を見るということです。
ただ、僕が「コンテクスト」というのは、ふつう歴史学者がいうそれとはちょっと意味が違うんです。歴史学で言う「コンテクスト」というのは過去のことですよね。これこれこういう歴史的事実があって、その帰結として何が起きたという因果関係が明らかにされる。歴史学はそういうものです。歴史学は当たり前ですが未来がどうなるかについては語らないんですよね。それは歴史学者に限らず、学者は未来については語らない。未来は何が起きるか分かりませんからね。未来については語らないというのは学術的厳密性からいったら当然のことなんです。だって、未来についての予言なんておおかた外れるわけですからね。
でも、僕は「外れて欲しい」から未来を語っているわけですよね。こういう未来だけは実現して欲しくない。僕の予測だけは絶対に外れて欲しい。だから、「こうなる」と断定しているんです。これ、本当に一生懸命やってるんですよ。本当に。大変なんですから。日本中呼ばれるとどこでも行って、「日本はこうやって滅びる」という話をしているんです。ぜんぜん受けない場合もあります。それでも一生懸命語っています。僕は「ディストピアの伝道師」なんです。
僕は『フォーリン・アフェアーズ』っていうアメリカの外交専門誌を定期購読しているんですけれど、アメリカの政治学者たちについて一番感心するのは、彼らがほんとうに「ディストピア的未来」について想像するのが好きだという点ですね。これは核戦争を阻止したという成功体験があるからなんだと思います。今月号の特集は「米中戦争」でした。米中戦争がどういうようなきっかけで起きて、どういう展開になっていくのか。日本や韓国はどうなるのか、その悪夢的な未来が事細かに書いてある。さきほど読んだ中ですごいなと思ったのは、日本と韓国に核武装させろという論文でした。アメリカは中国に対してやっぱり強く出ないといかん、と。中国に対して宥和的な姿勢を示すと、中国はひたすら図に乗ってきて、東アジアでの膨脹政策に歯止めがかからない。だから、中国に対して強攻策に出るほうがいいと。そして、一番効果的なのは、日本と韓国に核武装させることだと言うんです。日本と韓国が核武装すると、東アジアの地政学的安定性は失われる。わずかな誤認や誤解がきっかけになって核戦争が始まるリスクが一気に高まる。中国は東アジアで核戦争が起きることを望んでいないので、「このまま強気で来るつもりなら、日韓に核武装させるぞ」と脅したら、アメリカとの軍縮交渉協議のテーブルに着くかも知れない。そういう論文が出ていました。
ずいぶんひどいことを書くなと思いながらも、アメリカではこういうタイプの政治的想像力の使い方を重んじるということはよくわかりました。この論文を書いている政治学者はこれを別にアメリカの政策決定者に向かって提言しているわけじゃないんです。これを中国共産党の指導部が読むことを期待して書いている。『フォーリン・アフェアーズ』は中国共産党指導部の必読文献ですからね。アメリカは場合によっては日韓の核武装と、東アジアでの限定的な核戦争についても腹を括っていると中国に思わせた方が交渉上は有利だと思って、「ブラフ」を仕掛けている。
そういう政治的マヌーヴァーとしての効果を狙った論文だと思うんですけれども、読んでいてがっくりしたのは、「日本は唯一の被爆国で核兵器に対してははげしいアレルギーがあったが、このところの自民党政治のおかげで国民の中には核アレルギーが希薄化しているので、『核武装したいか?』と水を向けたら日本人は嬉々として核武装するだろう」と書いているところでした。アメリカが日本人の政治意識の低さを見下していることが行間から滲み出していました。
それでもやはり、東アジアで中国と日韓が限定的な核戦争をするという状況を想像できるアメリカ人の奔放な想像力には僕は敬意を表します。政治的知性とまでは言わないけど、この奔放な想像力には脱帽しなければいけないという気がする。そこまで考えて初めて「ではどうすれば東アジアでの核戦争は防げるのか」という話が始まる。米中戦争を避けるシナリオをきちんと書くためには、最悪のかたちで米中戦争が始まるのはどういう場合かについて想像力をめぐらせる必要があります。僕もこれまで一生懸命考えてきたんです。どうすれば米中戦争は避けられるか。日米安保条約を廃棄するというのが割と効果的ではないかと、とか。安保条約は締結国の一方が通告すれば1年後には自動消滅する条約です。日米安保条約を廃棄して、中国と日中不可侵条約を結ぶという手もあるんじゃないかなとか。
もともと卑弥呼の時代から、日本列島は中華帝国の辺境で、親魏倭王とか漢委奴国王という官位を受けていたし、足利将軍は「日本国国王」、徳川将軍も「日本国大君」ですから。辺境の自治領の代官ということで150年前までやってきたわけです。今だって日本の総理大臣はアメリカの属国の代官なわけですから、辺境の自治領として高度の自治を許された「一国二制度」であるという点で言えば、アメリカの属国であっても、中国の属国であっても、どっちも似たようなものじゃないかという腹の括り方だってできないことはない。
さて、そう提案したら中国共産党指導部はどういう対応をするか。そういうことについて想像力を駆使してみてもいいと思うんですよね。果たして日本の未来にはどういうシナリオがあり得るのかということを。
でも、日本の政治学者たちは、日本のあるべき未来についてもあって欲しくない未来についても全く想像力を使わない。ただ「日米同盟基軸」しか言わない。それへの賛否の立場の違いはあるかも知れませんけれど、じゃあ、日米同盟基軸に代わって、どういうオルタナティブがあるのかという質問には何も答えてくれない。中国と同盟するという可能性だってなくはない。日韓が同盟する「東アジア共同体構想」の可能性だってなくはない。でも、そういう未来については誰も何も語らない。「日米同盟基軸」一本槍です。でも、そのアメリカの方はさっきの話のように「日韓に核武装させて、これを鉄砲玉にして中国を脅かす」というような非情な構想を公然と語っているんですよ。役者が違う。
この点に関しては、今、日本は社会全体が集団で病に罹っていると僕は思います。想像力の枯渇という病気です。だから、若い人たちには、奔放な想像力を駆使して頂きたいと思います。「最悪のシナリオ」をどこまで書き込めるか、そこで想像力を試してもらいたい。最悪の事態について書けるためには、きちんとした知識が必要です。歴史が分かっていて、国際政治が分かっていて、それぞれの国民に取り憑いている地政学的な「物語」についても知識がないと「最悪のシナリオ」は書けません。「最悪のシナリオ」をエンターテインメントとして書けるだけの知識と解読力、それを身につけてもらいたいと思います。思考の自由、想像力の自由、僕が高校生諸君に一番求めていることはそれです。少し時間を超過しましたけれど、なんとか言いたいところに着地しました。ご清聴ありがとうございました。(9月7日)